第29話 ボン奪還

 紫陽月しようづき(6月)10日。早朝。


 ここは、カラミーア領西方の国境に近い荒れた平原だ。国境都市ボンが近いことから、「ボン平原」とも呼ばれる。曇天の空から小雨が舞っていた。


「機は熟した」


 褐色肌の美丈夫(といっても女性だが)アナスターシャ・グイーンは、赤い輝く鎧を身に纏い城砦の上から、敵軍を見下ろし、笑みを浮かべながら声を発した。その声は、本人は小声のつもりだったかもしれないが、周囲の将兵にも届き緊張が伝わった。


 カラミーア軍の急ごしらえの野戦城砦前には、ガラマーン軍総勢3万の軍勢が、地を覆っていた。ガラマーン族だけでなく他の種族や獣人族の兵士も抱える混成軍団だ。1週間ほど前にアナスターシャと対戦した巨体のドグ族の兵士もちらほらと見える。

 そして、その軍勢の向こうには、国境の城砦都市ボンが伺える。


「将軍。出陣だ。作戦を開始する」

「御意」

 アナスターシャの合図に、ミスト将軍が応じた。

「手筈通りに行く。カラミーア軍は、私に近づきすぎるなよ。魔剣の影響を受けるからな」

「承知しています」

「お前の騎士団は大丈夫なのだろうな?」

 アナスターシャは、ブライトン卿の方を振り向く。

「馬鹿にするでない。魔剣などに怖気づく騎士など我が麾下にはおらんわ!」

 長い銀髪を靡かせ、ブライトン卿が抗議する。

「上出来だ。では、参ろうか。我らが戦場へ」

 そう言うと、アナスターシャは、10メートルはあろうと言う高さの城壁から飛び降りた。すると、下で待機していた彼女の勇馬ゆうめ聖雲セイウンが嘶くとジャンプし、アナスターシャを騎上に迎えた。

 勇馬ゆうめとは、テンプル騎士団の中でも筆頭騎士エインヘリヤルなど一部の騎士が駆ることができる勇敢な馬のことだ。どんな戦場でも臆することなく突撃ができると言う。その速さも一級の馬である。アナスターシャのセイウンは、真っ白な白毛の馬で目が赤い美しい馬だ。アナスターシャの巨躯が乗っても、全く速度を落とすことなくしっかりと走る。

「セイウンよ。また、お前の美しい白い馬体を真っ赤な血で染めよう。付き合ってくれよ」

「ウヒヒヒーンッ!」

 セイウンが前脚を大きく上げて嘶いた。


「アナスターシャ様、これを」

 アナスターシャの部下のヘーゼル・ウィンウッドが、灰色の大剣を差し出した。

 魔剣ブレイブ・ソウル。別名『ソウルイーター』とも言われる。魔剣が輝きを発すると周囲の人の魂を挫き、恐怖が襲うと言う。つばに不気味な歪んだ顔のような文様がある。それが薄ら笑いをしているように見えなくもない。

「うむ」

 アナスターシャは魔剣を受け取ると、背中に差した。魔剣は反応せず、まだ灰色のままだ。

 城砦の門が開くと、ブライトン卿麾下きかのテンプル騎士団50騎が出て来てアナスターシャの後ろに整列した。さらに、ミスト将軍率いるカラミーア軍の兵2千がその後ろに隊列を組んで並んだ。


 アナスターシャは、前方を不敵な笑みを浮かべ、目の前を見た。ガラマーン軍の大軍3万が地を覆っていた。何せカラミーア軍の約10倍にもなるのだ。壮観だ。兵力の圧倒的な差に余裕を見せているように見えなくもない。


「ヘーゼル、お前は、ここに残り、残った兵とともに、城砦を守れ。さらに逃げて来た敵をここから先に通すなよ。全て殺せ」

「御意」

 アナスターシャが馬上から低い声で言う。

「では、始めようか。我らの殺戮を!」


 戦争というのは、殺戮の応酬だ。どんなきれいごとを並べ立ててもその本質は変わらない。それを体現するのが、『アマルフィの戦乙女ヴァルキュリア』と言われるアナスターシャ・グイーンだ。


 アナスターシャの黄色い眼が敵の一点を凝視した。

 瞬間、アナスターシャ・グイーンは単騎でガラマーン軍3万に向かって突っこんでいく。

 いつの間にか、小雨が止んでいた。



 一方、ガラマーン軍は圧倒的な大軍を擁しているため、余裕の陣容だ。

 後方に控えていたガラマーン軍の将軍は、濃い褐色肌で目が赤く耳長なのは通常のガラマーン族と変わらないが、がっしりした体格でかなり大柄な男だ。他のガラマーン兵の粗末な鎧とは違い、頑丈な鉄の鎧に身を包んでいる。馬よりも体格の大きい森の魔獣馬まじゅうばに乗り戦場を眺めていた。横にいたガラマーン族の参謀が声を発した。


「やっと敵は砦から出て来ましたな。こちらは、敵の約10倍の兵です。寡兵で大軍に勝つなど愚者おろかもののすることであることを教えてやりましょう。包囲して一人も残さず全滅させてやりましょう」

「うむ。ここは、一気に攻め落とさねばならん。あの砦を落としたら、カラムンドへ向け進軍する」

「ハッ!」

「うん?何だ、あれは?単騎で物凄い速さでこちらに突っこんでくるぞ」

「この軍勢を前にして血迷いましたかな?はたまた降伏しに来たのか?」

「いや待て!剣を抜いたぞ。あれは、ドグ族のトーリを殺った女ではないか!」

 ガラマーン軍の将軍は警戒した。

「放矢だ!」

 急ぎ、伝令が飛ぶ。


 雨はすっかり止み、晴れ間が見えて来ていた。


 勇馬セイウンの速さは、尋常ではない。大柄のアナスターシャを乗せても通常の馬の3倍の速さはある。あっという間にガラマーン軍の先頭集団に接近していた。ガラマーン軍の弓兵が放った矢は、アナスターシャが通った後に着弾した。

「さあ、魔剣よ。久しぶりにその魔力ちからを見せよ」

 アナスターシャが背中の灰色の大剣を抜刀すると、黒く輝きを始めた。晴れ間から出て来た朝日をバックに敵陣に突っ込んで行く。

 

 すると、魔剣の魔力が発動し、アナスターシャの眼前のガラマーン兵が急に恐怖に襲われ、混乱し始めた。

「ウギャーーーッ!」

「ウギギーーッ!」

 断末魔のような奇声を上げて、アナスターシャの前の先頭集団が後方に逃げようと背中を向けた。セイウンは、大きく跳躍し、その上に落下し兵を踏みつぶす。ガラマーン軍の中に飛び込むと、アナスターシャは魔剣を振るい、周囲のガラマーン兵を斬り捨てる。忽ち、敵兵の血を浴びるが、魔剣は黒光りするばかりで、血は一滴も付着していない。まるで、魔剣が血を吸っているかのように血が触れると消えて行く。

 セイウンが、敵兵を吹き飛ばし、アナスターシャが魔剣を振るうと周囲の敵が真っ二つになり、倒れた。血を吸う程魔剣の斬れ味と威力は増していき、敵軍の穴を開けて前進していく。

 

「我が英雄騎士達よ。アナスターシャに続け!」

 ブライトン卿が麾下のテンプル騎士団に吠えた。

「おおーっ!」

 ブライトン卿とテンプル騎士50騎が、アナスターシャが開けた穴をガラマーン兵を叩き、広げていく。ブライトン卿は愛用の大斧を振るい、周囲のガラマーン兵を吹き飛ばしていく。


「何だ?何が起きているのだ?」

 ガラマーン軍の将軍は、アナスターシャが自軍に突っ込むと、前線が崩れ、混乱し、兵等が逃げようと、こちらを向いて引き返そうとして、後ろからアナスターシャに次々と斬られていく様を見て、驚愕していた。

「ええい、何をやっておるのだ。相手は1騎だぞ。あれを止めぬか!」

 その指令が飛び、四方から一際大きなトグ族の戦士等が動き出した。いずれも5メートルはあろうと言う巨体だ。いずれも鉄仮面で顔と頭を覆っている。


 しかし、アナスターシャの後ろにブライトン卿麾下のテンプル騎士団が続き、兵が吹き飛ばされるのを見て、さらに慌てた。

「思い出しましたぞ、将軍!」

 ガラマーン軍の参謀は震え出した。

「なんだ?」

「あれは、アナスターシャ・グイーンと言う者。2年前のルーマー帝国との戦役で帝国兵2万が彼女あれ一人のために全滅したと言いますぞ」

「なんだと!」 

 ガラマーン軍の将軍の額から冷や汗が流れ出す。

 

 トグ族の戦士等は、魔剣の影響を受けていないようだ。ガラマーン兵の中を突進し、アナスターシャに四方から近づく。トグ族の戦士の衝撃でガラマーン兵は吹き飛ばされている。

 アナスターシャは、四方から突撃してきたトグ族の戦士等に囲まれた。トグ族の戦士の仮面の下の眼が赤く光っている。


「よし、やつを囲んだぞ。トグの狂戦士バーサーカー等に襲われては、あやつもそうやすやすと抜けまい」

「はい。この間に一旦後退して大勢を立て直しましょう」

 ガラマーン軍の将軍等は、ボンの方に後退していく。


 トグ族の狂戦士バーサーカーが、アナスターシャのすぐ傍らまで突進して来て持っていた棍棒や斧を振るってきた。

 アナスターシャの黄色の瞳が一瞬光る。アナスターシャは、静かな笑みを浮かべると馬上セイウンから飛び上がり、魔剣を振るう。一番先に突進してきた斧持ちのトグ族の狂戦士は、兜の上から首を斬り落とされ倒れた。

 魔剣の斬れ味は、血を吸う程に増す。ここまで何百もの血を吸い、魔剣は黒光こっこうを増していた。アナスターシャは、舞うかのように魔剣を振るっただけだ。本当にスーッと吸い込まれるように首に先端が当たるときれいに首がスッと落ちたのだ。

 そして次の目標に向け空中を舞う様に飛び、トグ族の狂戦士に近づき片手で魔剣を振るうと、この首がスッと落ちて行く。

 ものの10秒ほどで周囲のトグ族の狂戦士4体がアナスターシャの魔剣の舞ダーインスレイフ・リクードで倒れた。

 アナスターシャは、ダーインスレイフ・リクードを終えると、セイウンの馬上に降り立ち、すぐに直進する。

 

 あっという間に、期待していたトグ族の狂戦士が倒され、これを目撃したガラマーン兵は恐怖に震え、混乱していく。

「ええい、なんだ。あやつは化け物か!ダメだ。さっさと退くぞ!」

 ガラマーン軍の将軍が逃げ足を早めようと乗っている魔獣馬に鞭を入れた。


 しかし、アナスターシャは、すぐ後ろに迫っていた。


「これ!兵どもよ。わしを守らぬか!」

 しかし、魔剣の影響で恐怖に支配されたガラマーン兵は我も我もと逃げ出す。そこをアナスターシャは、魔剣を振るい、倒していった。


 そして、後ろを振り返ると、アナスターシャは、ついに追いついた。


「ダメだ。殺られる!」

 ガラマーン軍の将軍からは、冷や汗が湧き出ていた。


 そう覚悟して、目を閉じた。

 が、まだ首は繋がっていた。恐る恐る目を開けると、アナスターシャは、南東方向に方向転換し、密度の濃いガラマーン軍の中に飛び込んで行くのが見えた。これは、逃げるチャンスと思い、将軍は魔獣馬に鞭を入れた。


「死ね!」

 しかし、希望空しくガラマーン軍の将軍の首は落ちた。

 アナスターシャのすぐ後ろに続いていた、ブライトン卿が馬上から勇躍し、大斧を振り下ろしたのだ。いや、首と言うよりも将軍の右肩から左脇の下の辺りで身体は真っ二つになった。将軍の横にいた参謀も、テンプル騎士団の騎士に斬り落とされていた。


 自分たちの大将の首が落とされた。

 この悲報の情報は、近くにいて目撃していたガラマーン兵からあっという間に軍全体に電波していき、総崩れとなっていく。


「今ぞ!進め」 

 戦場の機微を窺っていたミスト将軍指揮のカラミーア軍2千が前進を始めた。歩兵が敵に接触する前に、後方から弓兵による矢がボン方向へと逃げて行くガラマーン兵に雨のように降り注ぎ、倒れた。その後に歩兵が接触し、槍で串刺しにしていく。ガラマーン兵が倒れても動いているガラマーン兵には剣を抜き、止めを刺した。

「蛮族どもを一人残らず殺せ!」

 

 カラミーア軍は、混乱し、逃げるガラマーン兵を追いながら、ボンを急ぎ包囲するため、突進する。

 南東に方向を変えたアナスターシャは、ガラマーン軍の中を進み、魔剣で周囲の敵を滅多切りにして進んでいた。当然魔剣の力で彼女の周囲のガラマーン兵は混乱し、我先にと逃げ始める。その後方を、敵将首を討ち取ったブライトン卿麾下のテンプル騎士団が進む。

 ミスト将軍指揮のカラミーア軍が、ボン方向に突進したのを確認すると、アナスターシャは、また方向を東北東に変えた。これは、カラミーア軍の兵に後方から近づく敵を討つためだ。


「うははっはっは!そーら、恐怖に踊り、私をもっと楽しませろ!」 

 アナスターシャは、殺戮を楽しむかのように、魔剣を軽々と振るい、周囲の敵を斬り刻んで行く。


「相変わらず、恐ろしき騎士よ。敵でなくて良かったわい」

 後方で大斧を振るいながら、続くブライトン卿は、背筋に冷たいものを感じた。


 アナスターシャとテンプル騎士団は、カラミーア軍の兵を左手に見ながら、カラミーア軍の後方の敵を討ち取って行った。彼らの後には、死屍累々と屍が広がっていた。それを見てさらにガラマーン兵は恐怖に襲われ、散り散りに逃げ出して行った。

 ボン方向に逃げて行く敵は、ミスト将軍指揮下のカラミーア軍に行く手を阻まれ、討ち取られていく。東のカラミーア軍の砦方向に逃げて行くと、今度は、砦から雨あられと矢が降り注いできた。


 そして、ボンの城砦に逃げて行くガラマーン兵を追う形で、ミスト将軍指揮のカラミーア軍はボンを包囲した。その後方では、アナスターシャとテンプル騎士団による掃討戦が続いている。カラミーア軍がボン城砦に接近すると、城壁の上から大量の矢が振って来て近づけない。


 しかし、暫らくすると、ボン城砦の後方、つまり辺境側(西の方向)から火の手が上がった。

 これは、カラミーア軍の別働隊500人だ。夜陰に紛れて急な山を越え辺境側に進出していた。その中から選ばれた兵士が、城壁内に入り、機を見て城壁内の町に次々と火をつけて回ったのだ。


「今ぞ!砦を落とす好機。進め!」

 敵の弓兵が怯んだ隙を見たミスト将軍命令の元、歩兵が城門や城壁に開いた穴からボン城砦に飛び込んで行く。

「ウウォーッ!」

「ガラマーンを皆殺しにしろ!」

 城塞の中で抵抗するガラマーン兵と斬り合いになる。しかし、街中が次々と燃えて行くのを見て、ガラマーン軍は、混乱し、劣勢となった。これ堪らずと辺境側の城門からドッと逃げ始めた。しかし、こちら側には、カラミーア軍の騎兵が山上に待機していた。ある程度逃げて来たガラマーン軍を確認すると、山上から勢いに乗り横撃した。

「進め!ガラマーンを潰せ!」

 突然、怒涛のように山上から突撃してくるカラミーア騎兵軍にガラマーン軍は、仰天した。

 そして、ボン城砦から出て来たカラミーア軍の追撃が加わり、反撃もできず散り散りとなり、逃げ出すしかなかった。


 ボン城砦都市内では、隠れたガラマーン兵の掃討が行われていた。



 一方のアナスターシャだ。周囲から敵兵はいなくなり、止まった。彼女の周囲はガラマーン兵等の死体が延々と広がっていた。ボンの方向に目をやると、まだ鬨の声が聞こえ、ガラマーン軍の掃討が続いているようだった。

「後は、カラミーア軍に任せればよかろう」

 勇馬セイウンの白い馬体は、ガラマーン兵の血で真っ赤に染まり、アナスターシャ自身も敵兵の血に染まっていた。ただ、魔剣ブレイブ・ソウルには、血を吸うためか黒光りする剣身はきれいだ。

「さて、こいつをどう手から引き剝がすかだ」

 セイウンから降りると、手にした黒光りする魔剣を見て呟いた。彼女の黄色い眼からは妖しい光が見えた。


「アナスターシャ様」

 いつの間にか、彼女の騎士団副官のヘーゼル・ウィンウッドが馬を飛ばしてやって来た。

「ヘーゼルか。ちょうどいい。私を殺すつもりで思いっきりぶん殴って見ろ」

「そ、それは・・」

「早くしろ。時間が無い」

 アナスターシャの魔剣を持つ右手が小刻みに震えている。何かを抑えているように見える。

「わ、わかりました」

 ヘーゼルは言われた通り、アナスターシャを右手で殴った。しかし、アナスターシャは、立ったままで、あまり効いていないようだ。

「なんだ。それは!お前本気で殴ってないだろ」

「は、しかし・・」


「うわはっは!そういうことは、わしに任せろ」

 ブライトン卿がやって来た。指をボキボキ鳴らしている。

「ブライトン、貴様!」

「日頃の恨みを見よ!」

 問答無用のブライトン卿の渾身の右フックがアナスターシャの顔面左頬を捕らえ、アナスターシャの巨体が吹き飛んだ。そして、一瞬意識が飛ぶと、右手の魔剣が滑り落ちた。

「アナスターシャ様!」

 ヘーゼルが、アナスターシャを助け起こす。

「ペッ!」

 アナスターシャが血を吐くと、歯も出て来た。歯が折れたようだ。

「うわはっは!どうだ、魔剣は剥がせたようじゃの」

「ああ、そうだな」

 口を拭いながら、アナスターシャは立ち上がると、今度は彼女が指を鳴らしている。

「さて、お返しといこうか!」

「ま、待て!わしは殴りたくて殴ったわけじゃ・・・」

 ブライトン卿が慌てる。

「お返しはしないとは言ってないからな。それに、と聞こえたぞ」

 先ほどまでの妖しい光は消えたが、黄色い眼が冷たく笑っている。

「ウギャーーーッ!」

 ブライトン卿の悲鳴が広い荒野に響き渡った。



 午後に入った頃にはボン平原の戦闘は終わった。

 空はすっかり晴れ渡っていた。

 平原には死屍累々と死体が無数に転がっていた。獣人族の子キラは、生き残り死体の中に埋もれ隠れていた。カラミーア兵の気配を感じると、息を潜める。


 ドスッ!


「?!」

 槍が死体を貫通し、目の前を掠めた。キラは冷や汗が出るのを感じたが、ジッと我慢した。カラミーア兵が、ガラマーン軍の生き残りに止めを刺して回っているようだ。そして、カラミーア兵の足音は遠ざかって行った。ふうっと安堵する。見つかれば殺される。このまま、兵がいなくなる夜まで待つつもりだった。



 カラミーア軍によるボン城内掃討戦が終わると、アナスターシャとブライトン卿は、ボンの城砦内に入った。ボンの城壁には、アマルフィ王国とカラミーア伯領の旗が掲げられた。城砦と言っても、城砦都市のため、そこには町があり、兵だけでなく人々の暮らしもあった。しかし、城壁内の建物は、ドラゴンによる襲撃とガラマーン軍との戦闘により、建物はすっかり崩れ落ち、焼け焦げて見る影もない。中央付近の高台にある頑丈な城もほとんど壊されていた。また、そこかしこにガラマーン兵や人間族の死体が転がっており、死臭や血の匂いが鼻を突く。幸いなのか、城の地下牢などにガラマーン軍によって繋がれた人々などは、この酷い戦火を生き延びることができたようだ。しかし、それはほんのわずかだった。


 アナスターシャは、ボンの崩れた街中を巡り、カラミーア側の城壁から先ほどまで戦場となっていた場所を見ていた。もう夕暮れの時刻だった。夕日がボン平原を照らす。

「ふん、戦争とは、全く反吐が出る行為だ。こんな死体が延々と並ぶのに何の意味がある」

「同感だがな。こんなことは無い方がいいに決まっている。戦争とは、結局武力による領土の奪い合いだ。領土には、単に土地だけでなく、住民や建物、財産もある。それを奪ったり、守ることには、意味が出て来る。特に国家間の戦争となれば、歴史や体面も出て来るので余計意義を見出すのだよ。それが無い国は、戦争に勝つなど無理な話だ」

 ブライトン卿が、寂し気に応じた。

「くだらんな。私は、アマルフィと王女を守る。ただそれだけだ。例えどんな手を使っても・・・」

 アナスターシャは、背中の鞘に収まった魔剣を横目でチラリと見た。


 ここにボン戦役は終了した。カラミーア軍の圧倒的勝利に見えたが、大軍相手の戦だったたこともあり、約千人に及ぶ死傷者が出たという。実に3分の1の損害だ。そして、ボンの壊滅による損害はさらに大きい。単に都市が廃墟となっただけでなく、住民のほとんどが犠牲になったたのだ。カラミーアにとっては、大きな痛手となった。

 ただ、今回の大敗北によりガラマーン族も、しばらくは、国境を侵すことはないだろう。そして、アマルフィの戦乙女アナスターシャ・グイーンの名は、ガラマーン族には、その名を聞くだけで震えあがるほど轟いた。子供が悪さをした時に、親は「悪い子にはアナスターシャがやってくるよ」と言うと、子供は泣きだして、いたずらを止めるようになったと言う。



 すっかり夜も更けた頃、死体に埋もれていた獣人族の子キラは、起き上がった。首を回し、肩の凝りをほぐす。遠くに見えるカラミーア軍の城砦の火は明るく灯り、騒がしい人の声や戦勝を祝う歌が聞こえてくる。勝利の宴をしているのだろう。腹を空かせたキラは、そこから食べ物を手に入れたい衝動に駆られたが、首を振り、夜陰に紛れて、城砦を迂回して、人目につかないよう、東の方に走って行った。



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