第16話 スフィーティアの涙

 スフィーティアは、領都を飛び立つと、すぐにリザブ村上空まで到達した。赤色のドラゴンが、南西方向に飛び立ったのも確認していた。


「遅かったか!」

 スフィーティアは、リザブ村が、炎に焼かれ、瓦礫の山となって崩壊している光景に顔をしかめた。そして、中央広場付近を通過しようとした時だ。

「ん、あれは!」

 スフィーティアは、何かに気づき、中央広場に降り立った。腹部から大量の血を流し倒れている男の傍までやって来ると、駆け寄りその男を抱き起した。


「お前は、エゴンではないか!おい、しっかりしろ!」


 スフィーティアは、エゴンを軽く揺する。

 エゴン・アシュレイは、スフィーティアが剣聖ユリアヌス・カエサル・ブルーローズの元で修行をしていた頃、ブルーローズ家に仕えていた従士であった。スフィーティアは、剣の使い方を、最初は、エゴン・アシュレイから教わったのだった。


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 あれは、私がまだ8歳の時。剣聖となることを決意し、マスター(ユリアヌス・カエサル・ブルーローズ)に師事した時だ。マスターは、最初私には目もくれなかった。そんな時、マスターの従士であるエゴン、お前が私に優しくしてくれた。最初に剣の扱い方・剣術を指導してくれた。


「スフィーティア様、そうじゃない。こうです。そんなことでは、一人前の剣聖になれませんよ」

 お前の指導は、とても厳しかったが、終わった後は、決まって、私を気遣ってくれた。

「スフィーティア様、お怪我はありませんか。よく見せてください」

 特訓が終わると、お前がいつもオロオロしていたのを思い出す。


 1年ほど経ったある日、マスターが初めて私に剣の指導をしてくれた。木剣での立会だったが、マスターは、容赦なく私を打ちのめした。ボロボロになり、失神しそうになっていた時にお前が私をかばってくれたな。


「ユリアヌス様、やりすぎです。これでは、スフィーティア様が死んでしまいます」

退け」

退きません」

退け!」

「嫌です!」

 決然と言うエゴンに、マスターは、剣を振り下ろした。が、エゴンの眼前で止まる。木剣を投げ捨てると、マスターは何も言わず立ち去った。そして、エゴン、お前は、私に駆けより、抱き起してくれた。

「スフィーティア様、大丈夫ですか。すぐに治療を!」

 思えば、マスターと上手くいっていなかった折にお前がいてくれたから厳しい修行を頑張れたと思う。


 そして、また3年ほど経ったある日、お前は突然何も言わず、いなくなった。伝言メモを残して。

『スフィーティア様、突然去ることをお許しください。ユリアヌス様より授かりました重要な任務故、急に出立することとなりました。一言申し上げたかった故伝言を残させていただきます。ユリアヌス様は、あなたを弟子として認めております。あの方は言葉にするのが苦手なだけ。私がいなくなっても、もうスフィーティア様なら上手くやっていけます。私は、しばらくはブルーローズ家には戻れません。次にお会いできるのは、きっとスフィーティア様が立派な剣聖となっている時だと思います。その時を楽しみにしております。修練にお励みください。 

                           エゴン・アシュレイ』


 思えば、あの時を境にして、マスターと向け合えるようになり、関係が良くなったのだと思う。

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 エゴンは、微かだが、まだ息をしていた。そして、苦しそうに目を開ける。

「あ、あなたは・・、スフィーティア様。ああ、なんと立派な・・剣・・聖のお姿に・・。ユリアヌス様の若い頃に・・似て・・いらっしゃる」

 エゴンは、自分の血で真っ赤になった右手を伸ばし、スフィーティアの顔をなでる。でも、その手には力がなかった。

「しゃべるな!今なんとかしてやる」

 スフィーティアは、エゴンの腹部の大きな傷口に手を当て、傷口を塞ぐ処置をしようとしたが、既に大量に出血し、もう手の施しようがなかった。

「わたしは・・。もう駄目で・・す。ゲボッ、ホッ、ホッ」

 エゴンが、また口から吐血した。

「はあ、はあ・・。エ、エリーシアを・・頼・・み・・ます」

「エリーシア?」

「ユリ・・アヌス様の・・お子です」

「マスターの・・・子?」

「私に託され・・、育てておりました。銀髪の長い・・髪の・・・少・・女です。赤いドラ・・ゴンが・・狙って・・ます。あの子は・・私たちの、ウッ!・・き・ぼう・・。はあ、はあ、はあ・・」

「わかった。わかったから、もうしゃべるな!」

 スフィーティアは、自分が何もできないことに歯噛みし、青碧眼の瞳が悲しみに揺れている。

「こ、これを・・、あの子に・・。ユリアヌス様から・・、お預かりした・・指・・輪です」

 エゴンは、指輪を胸の懐の内から取り出し、スフィーティアに渡そうたした。それは、ブルーローズ家の家紋が施された金色の指輪でエゴンの手のひらで輝いている。スフィーティアは、それを受け取り、血に染まったエゴンの手を強く握った。

 スフィーティアの両眼の瞳は揺れているが、涙は出てこない。剣聖は、竜の力を取り込んだ時から、感情が抑制されるているせいだ。

「よ、よかった・・。これで・・、ユリアヌス様の・・元へ・・」

「馬鹿、死ぬな、エゴン!死なないでくれ!私は、まだお前に・・・何もしてあげてないんだ」

 しかし、その声は届かず、エゴンの手はスフィーティアの手から滑り落ちた。

 エゴン・アシュレイは、スフィーティアの腕の中で静かに息を引き取っていった。その顔は、安心したのか微かに微笑んでいるように見えた。


「うわぁーーっ!」


 スフィーティア・エリス・クライは、天に向かって慟哭ないた。しかし、どんなに悲しくても、その青碧眼の瞳からはどうしても涙は出てこなかった。


 ずっと会いたいと思っていた相手ひとにやっと会えたと思ったらこの結末だ。人の世とは、時に非常に酷なことを経験させる。

 そのことにどんな意味があるのだろうか?

 ただ言えるのは、その非情な経験が、人を突き動かす行動の原動力ちからとなるということだろう・・。

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