030「求める姿」

「せんぱい、ホントにうまくいっちゃったっすか?!」


 僕と大貫おおぬきさんの元にやってきた大曲おおまがりの一言目はそれだった。


 すでに大貫おおぬきさんの髪の毛は元の長さに戻って、公園も元の姿に戻っていた。


「なんだ。信用してなかったのか?」

「いや、まあ……正直半分諦めてたっすから……ちゃんと、大貫おおぬきちゃんの思ってること、言い当てられたってことっすよね!」

「ま、当たらずも遠からずってところだろうけどな」

「おお……なんかプロっぽいっす!」


 僕と大貫おおぬきさんの顔を交互に見ながら、大曲おおまがりは目をぱちぱちさせている、本当に意外そうな顔だった。割合にレアな表情だ。


「ふっ。偉大な先輩を持ったことを誇りに思えよ」


 おどけて胸を張ってみせたが、大曲おおまがりは本当に感心していたらしく僕に向けてパチパチと拍手を送った。こんなに素直に僕を賞賛するなんて、本当に珍しい。


「すごいっす! 長年あの事務所で人間観察力してただけあるっすね!」

「そんなこというな。恥ずかしいじゃないか」

「長年女の子の考えてること妄想してただけあるっすね!」

「そんなこというな! 恥ずかしいじゃないか!!」


 あ、やっぱりコイツ。いつも通りだわ。


千曲川ちくまがわさん……いい趣味してますね……」


 大貫おおぬきさんが引きつった笑顔を浮かべている。


 冗談ですからね。本気にしないで下さい。


大貫おおぬきちゃん! 昨日ぶりっすね! あたしのこと覚えてるっすか?」

「ええ、一日ぶりです。大曲おおまがりさん!」


 ぶんぶんと手を振って挨拶する大曲おおまがりに、大貫おおぬきさんも笑顔で返事をする。大分記憶も言葉も戻ってきているようだ。


「……見苦しい所を見せてしまいました。お恥ずかしい……」

「大丈夫っすよ! 背格好だけならギリギリキッザニアにいてもおかしくない偏屈眼帯男に比べればなんてことないっすよ!」

「ふふふ。そうですね。安心しました」

「安心しないで下さい。僕が不安になります」


 冗談ですよね? 場をなごます為の小粋なジョークですよね?



 ともあれ、大貫おおぬきさんはすっかり元通りみたいだ。


 これなら、大丈夫だろう。


大曲おおまがり、彼女に桂木かつらぎさんの荷物を」

「うっす! 大貫おおぬきちゃん、受け取って欲しいっす!!」

「は、はい……」


 大貫おおぬきさんは酷く緊張した面持ちになった。大曲おおまがりが差し出した風呂敷包みをじっと見つめ、恐る恐る手を伸ばした。


「……やっぱり、ちょっと、怖いですね」

「あれ? 昨日もちらっと中見てたっすよね? 中身知ってるんじゃないっすか?」

「そ、そうでしたっけ? ごめんなさい。髪の毛みたいだなって思った瞬間からあんまり記憶が無くて……頭の中がメイちゃんとのことだけになっちゃって……」


 大貫おおぬきさんの手は震えていた。明らかに風呂敷包みを開くのを怖がっている。


 また、この中身を見たら、あの姿に戻ってしまうのでは?

 また、悲しみと恨みの渦の中に巻き込まれてしまうのでは?

 そんな不安が、彼女の表情からありありと感じられた。


 でも、僕らは知っている。

 その心配が杞憂であることを。


「……大丈夫ですよ」


 多分、昨日彼女が荷物の中身を見て豹変してしまったのは、「髪」が彼女の未練を思い出すトリガーになってしまったのだろう。


 ただ単純に、「髪」というものから連想される自らの未練に引きずりこまれてしまった。ただそれだけだ。


 でも今とあの時とでは状況が違う。


 その荷物がどういう意味を持つのか。

 どんな想いが込められているのか。

 それを受け止めることが、今の大貫おおぬきさんにはできる。


「信じてください。あなたが思う桂木かつらぎさんのことを」


 僕の言葉に、大貫おおぬきさんはこっくりとうなずき、ゆっくりと包みを開いた。


 そして……。


「……これって、ウィッグ?」


 中から現れた黒くて艶やかな髪に目を丸くした。


「はい。桂木かつらぎさんの髪から作ったものです」

「え……」


 大貫おおぬきさんは、バッと僕の顔を見た。口は半開きで、大きな目はさらに大きく見開かれている。


 美人は驚いた顔も綺麗なんだな。


 そんな場違いなことを考えながら、僕は続けた。



「最後の日……。あなたと桂木かつらぎさんが病院で会った最後の日。あなたの予想通り、桂木かつらぎさんはあなたの髪が本物でないことに気づいていました。そして、あなたの問いかけに、嘘をつきました」



『ねえ、私の髪……どう、かな?』

『……きれいだよ? いつも通り』



 このやりとりがこの依頼のすべての始まりだ。このたった一言の会話が、二人の間に途方もなく大きな歪みを生み出してしまった。


「……」


 大貫おおぬきさんはじっと僕の話を聞いている。


「……桂木かつらぎさんは、後悔していました。あなたに嘘をついたことを。気づかなかったフリをして、あなたを傷つけてしまったことを。心から後悔して……たどり着いたのが、このウィッグでした」

「……!」


 口からあふれ出そうになる気持ちを、大貫おおぬきさんはぐっとこらえた。


 僕の言葉を一言一句聞き漏らさないために。

 桂木かつらぎさんの気持ちを、正しく受け取るために。


桂木かつらぎさん、おっしゃってましたよ。自分の髪なら、あなたに憧れて、あなたを目指して、あなたに近づきたくて、丁寧に手入れをしてきたこの髪なら、きっとあなたが満足するモノができると。そうすることが、あなたを傷つけた償いになるかもしれないと」

「……」

「あなたと別れてからすぐ、彼女は準備にとりかかりました。髪をばっさり切って、専門のお店にお願いして、自分でお金を払って、できる限り質のいいものを作ろうと時間をかけた。あなたのもとに行かなくなったのは、その準備のためでした」


 つくづく思う。二人は、多分何も間違っていない。

 本当に、ただただすれ違っていただけだ。


「……残念ながら、ウィッグは間に合いませんでした。完成を前にして、あなたが亡くなってしまったからです。桂木かつらぎさんは、どうにかしてこの想いをあなたに届けて欲しいと、僕ら黄昏運送をたずねてきた……。これがことの真相です」


 話し終えて、僕は口をつぐんだ。

 しんとした空気のなか、大分傾いた橙色の光が僕らを照らす。


「……」


 つうっと。


 大貫おおぬきさんの瞳から一筋の涙が流れた。


 誰かを想う、悲しくて、美しい涙だった。



「……わたし、ずっと、知らなかった。メイちゃんが、そこまで、私のこと想っていてくれたなんて。気づかなかった。気づこうとしなかった。こんなに愛されていたのに、最後に私、あの子のこと恨んでさえいた。嫌われたんじゃないかって怖がって、悪いことばっかり考えて」



 耐えられなくなったらしく、大貫おおぬきさんはその場に崩れ落ちた。



「ごめんね。ごめんね。こんなに素敵なモノ作ってくれていたのに、死んじゃってごめんね。気づいてあげられなくて、ごめんね……」


 

 子どものように泣きじゃくる彼女に、僕はそっと近づいた。



「……大貫おおぬきさん。違いますよ」

「……え?」



 そう、桂木かつらぎさんはあなたにそうやって反省して欲しいわけでも、謝って欲しいわけでもない。そんなことのためにこのウィッグを作ったんじゃない。



桂木かつらぎさんは、あなたに喜んで欲しくてそれを作ったんです」


「……あ、あああぁぁ……」



 嗚咽と共に、大貫おおぬきさんの瞳から涙があふれ出した。

 それは、悲しさではなく、感謝とか喜びとかそういう暖かい色合いを持っていたと思う。


 ふと、彼女の言葉を思い出す。


『込めた想いが届かないのが、一番寂しいんだよ』


 本当、その通りだ。


 でもだからこそ、想いが届いた瞬間は、震えるほど嬉しいんだろうな。




 しばらく涙をながした後、大貫おおぬきさんは目元を手で拭って、ゆっくりと立ち上がった。目は真っ赤になっていたが、その表情はすっきりしていた。


 おもむろに大貫おおぬきさんが自分の髪に触れた。

 次の瞬間、はらはらと彼女の髪が抜け落ちていった。


大貫おおぬきちゃん? いったい何して……」


 大曲おおまがりが開きかけた口を、そっと手で制す。

 これは、準備だ。


 髪はすごい勢いで抜け落ちていき、足下に落ちる度に消えていった。


 ものの数分で、大貫おおぬきさんの頭から殆ど髪はなくなった。


 完全なスキンヘッドというわけではなくて、まだらに髪が残っている、荒れ地のような頭だった。


 正直に言って、それは、痛々しいほどにみすぼらしい姿だった。


 多分、これが、亡くなる直前の彼女の本当の姿だったんだろう。


 薬のせいで、自信があった髪を失って、こんな姿になってしまったのだとしたら、そのショックは相当なものだっただろう。自分の死を連想してしまうほどに弱ってしまったことも、桂木かつらぎさんの何気ないひと言に酷く傷ついてしまったのも、無理もないことに思える。



 でも、今、彼女は自分で選んでその姿になった。

 望めばどんな姿にでもなれる【黄昏】の中で彼女はそれを選んだ。

 桂木かつらぎさんの想いを受け取るために、この姿になることを望んだ。



 大貫おおぬきさんはゆっくりとウィッグをかぶり、自分になじませるように整える。


 そして……。


「……とても似合ってますよ」

「当然です」


 そうして完成した彼女の姿は、今までにみた彼女の姿の中で、いや多分、生きている間を含めても、一番輝いていて、一番美しかった。



「この髪は、私の自慢ですから!!」



 大貫おおぬきさんは、髪の輝きに負けないほどに、眩しいばかりの笑顔で言った。

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