019「回想〜千曲川あきお③〜」
ことの発端は、密着取材を行った記者だった。
その記者の男は、元々画家を志していたが、彼女が在籍する東都美大に合格することができず、そのまま芸術家としての道を断念したらしい。
その男は、公募に出す予定だった彼女の作品「黄昏」を無断で撮影し、自身の裏アカウントでSNSに投稿した。
「パッと見て分かったけど、これ、どう考えてもノルデのパクりでしょ。こんなのが評価されるようになったら流石にこの公募も終わりだな」
動機は定かではない。軽い気持ちでやったのかもしれないし、裏アカウントだから問題ないと思ったのかも知れない。彼なりの大会への警鐘のつもりだったのかもしれないし、もしかしたら、自分が諦めざるをえなかった画家としての道を進む彼女への嫉みがあったのかもしれない。
ともかく、彼女の作品がとある著名な画家の作品の盗作であるとする、彼の投稿は瞬く間に広がった。投稿自体には並木楓の名前はなかったが、その画風からすぐに彼女の作品であることが割り出された。なまじ彼女の名前が売れていただけに、この「パクり疑惑」は大きな話題を呼んだ。
自称芸術家たちが、こぞってネット上に転がっている著名な画家の作品の画像と投稿された彼女の作品の写真の比較を行い、低俗な雑誌がおもしろおかしく騒ぎ立て、少数のテレビ局では特集が組まれた。
結果、ネット上では彼女を糾弾する者、擁護する者、芸術の倫理観に苦言を呈す者、「これだから女は」と女性批判に走る者、彼女の過去を調べ上げて見当外れな精神分析を行う者……様々な憶測と推論が飛び交い、正誤の区別なく情報が氾濫した。
最初のうちは、彼女も必死に盗作の事実はない事を主張したが、広がった火を消しきることはできなかった。盗作の本人が自分の罪を認めるはずがなく、むしろ躍起になって否定するほどに事態は悪化していくように見えた。
実物を見ている僕から言わせてもらえれば、彼女の作品と似ているとされている画家の作品は全くの別物だった。確かに描かれているものが「夕暮れ」であることは同じであったがそれ以外はほぼ全てが違う。彼女の作り出す色合いは彼女にしか作れないものだったし、浮かび上がる世界が真逆だった。かつての画家の作品は故郷の「郷愁」を感じさせるが、彼女の作品は生と死が入り交じる不気味な「儚さ」が焦点になっている。どう考えても、全く別の絵だ。
しかし、それは僕がじっくりと時間をかけて彼女の作品を見ることで感じ取ることができたものだ。特に知識の無い一般人がスマホやパソコンの画面上で流し見する程度では、その違いを感じ取る事が出来なかったとしても、不思議ではない。
それこそ、あの時、あの美術館で、彼女に出会わなかったとしたら。きっと僕は二つの違いに気づくことなく、「悪いことする女がいたもんだ」と名も知らぬ彼女を軽蔑していただろう。投稿を拡散はしないまでも、「いいね」くらいは押したかもしれない。
結局、「黄昏」は公募に出されることはなかった。
騒動がここまで大きくなってしまったからには、この作品を賞賛することにも批評することにも余計な詮索が入ってしまう。そのため、もうこの作品に対して適正な判断を下すことはできない、というのが運営側の言い分だった。
筋が通っているようにも見えるが、その実、厄介ごとの種を排除しただけだった。原因をつくった記者の男はそれ相応の処分を受けたが、並木楓の作品が適正な評価を受けずに終わった事には変わりは無い。全ては後の祭りだった。
「……」
公募に出すことができないと分かった後、彼女はしばらく放心状態だった。大量の記者や野次馬たちがアトリエや大学、果ては彼女の家まで押しかけたが、彼女はすべての取材を断り、部屋に閉じこもり続けた。それほどまでに、彼女はこの作品に真剣だった。
新しい作品を書くことはおろか、口を開くこともできない。大学に行くこともできず、一日中ベッドから起きられないような日が続いた。食事はとりあえず取っていたことだけが救いだった。
僕も、情けないことに、かける言葉が見つからなかった。本当に、どうすればいいか分からなかった。それでも、放っておくことはできなくて、できるだけ毎日彼女の家に通った。言葉はかけられなくとも、彼女が回復するまで、せめてそばに居ようと、そう思った。
一ヶ月も経っただろうか。大分事態が収束し、野次馬たちも消え去ったころだった。いつものようにお見舞いに行き、何をするでもなく床に座ってぼんやり彼女を見ていると、彼女がぼそりとつぶやいた。
「……私さ」
「……うん」
「ずっとさ」
「……うん」
「昔から絵を見る時は、描いた人がどんな想いをその絵に込めたか、ちゃんと感じたいって思ってたんだ。それが分からないと、すっごい悔しくて、申し訳なくて、もっとちゃんと勉強しようって」
「……言ってたな」
「自分が絵を描くようになってから、その気持ちはもっと強くなった。どれだけの想いを、絵を描く人が作品に込めているかが分かっちゃったから。込めた想いが届かないのが、一番寂しいから」
「……」
「でも……皆がそう、ってわけじゃないんだよね」
「……そうだな」
「別に、どんな気持ちが込められてるかとか、見る側からしたら知ったこっちゃないんだよね。自分が見たいようにみて、自分が納得したいようにすれば。自由だもん。創る側がどう見て欲しいかを押しつけるのは間違いだもんね」
「それは、そうだ。だけど……」
作品をどうやって見るかは受け取る側にゆだねられる。文学にしろ絵画にしろ映画にしろ、作品が完成し作者の手から離れた瞬間から、もう作品は受け取る側のものだ。創る側の意図を受け取る側に強要するのは明らかに越権行為だ。それは分かる。
でも、やっぱり釈然としない。
ベッドから乾いた笑いが起きた。
「なんかね。色々どうでもよくなってきちゃった。私にとってね、何かを創ることって、生きていることそのものだったんだ。今回は本当に自信があった。自分にしかできないって、これでもかって感じ。でも、それがさ、大して見てもいない人の『誰かに似てる』で終わっちゃった。これからの作品もそうかもしれない。そう思ったらもうさ、生きてんのと死んでんのに大きな差はないのかもしれないって」
乾いた笑いが続く。聞くに堪えないほどに痛々しい笑いだった。
僕は、彼女に何をしてあげられるだろう。どうやったら、彼女を救ってあげられるだろう。考えがまとまらない。でも、何かを言ってあげなきゃいけない。自分の想いを、どうやったら……
思い浮かばないままに、僕は彼女のベッドの横に立った。
そして、多分、悪い意味で、一生忘れないであろう言葉をかけた。
「大丈夫。分かる人は、分かってくれるから」
今ならこの言葉が間違いだったと分かる。
何が「大丈夫」なのだろう。「分かる人は分かってくれる」ことが今の彼女にとって、どれほどの意味があるのだろう。でも、他にどんな言葉をかければよかったんだろう。それは今でも分からない。
「……うん。そうだね」
それでも、彼女はそう言ってくれた。ベッドの中の彼女の顔には、やっぱりモザイクがかかっていて、どんな顔をしていたか、思い出せなかった。
翌日。僕が彼女の家に行くと、彼女は久しぶりにベッドから起き上がっていた。酷く痩せていたが、とりあえず足取りはふらついていない。
「どうしたんだ? 身体の調子は?」
「んー。まあ、ぼちぼちかな。ふて腐れてるのにもちょっと飽きてきたしね」
「そうか……」
「うん。心配かけてごめんね?」
彼女は申し訳なさそうにそう言った。
もしかすると、昨日、自分の気持ちを僕に向かって吐露したことで彼女なりに、気持の整理がついたのかもしれない。そんな希望的観測を立てて、少しだけ、僕は安心した。
安心、してしまった。
「来てもらって悪いんだけど、ごめん。ちょっと出掛けてくるね」
「大丈夫か? 付いていこうか?」
「大丈夫だよ。子どもじゃないんだから」
以前のようなからからとした笑い声を上げながら彼女は言った。
「そ、そうか、どこ行くんだ?」
「うーん。自分探し、かな」
「なんだよそれ」
「いいじゃない。歩きながら一人で考えたいの」
ちょっとムキになって彼女は言った。どうやらゆずる気はないらしい。遠出はしないだろうが、昨日まで殆ど寝たきりだったわけだし、ちょっと心配だ。
「じゃあ帰ってくるまで、ここで待ってるよ」
「……私の下着とか物色するつもり?」
「するわけねぇだろ! 状況考えろ!!」
「えー、必死なの怪しいー」
彼女はからからと笑った。やっぱりいつもの、自然な笑い声だった。
それから、外に出ようと玄関で扉に手をかけたところで、ふと何かを思い出したように僕の顔を見た。
「あ、そうだ。あなた絵、まだ描いてるの?」
「え、まあ……」
唐突な質問に、ちょっと面食らった。
彼女に酷評されてからというもの、彼女に作品を見せることはなかったが、実はちまちまと絵は描き続けていた。
が、今絵の話を彼女の前でするのは問題ないのだろうか。そんな疑問がよぎって、曖昧な返事になってしまった。
「じゃあさ。私のアトリエに画材とか色々残ってるから、後で取りに行こう」
「え、それってどういう……」
「欲しがってたでしょ。それ、全部あげる」
そう言って、彼女は、コンビニにでも行くような軽い足取りで外に出て、後ろ手で扉を閉めた。
バタン、と嫌に大きな、不吉な音がした。
結局、彼女は帰って来なかった。
次に僕が彼女の名前を見たのは、新聞の見出しの中だった。
「『奇形殺人』の次の被害者は、アーティストの
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