015「豹変」

「あ、れ……?」


 大貫さんが小さくつぶやく。先ほどまでの優しい声色じゃない。妙に聞く人を不安にさせる声だった。


「どうかなさいましたか?」

「いえ、その……送り主の方、なんですけど……」


 依頼書に書かれた「桂木芽衣子かつらぎめいこ」という文字を不思議そうに見つめている。


桂木芽衣子かつらぎめいこさん。あなたの家の近所に住んでいた女子高生です。あなたとは姉妹のように親しくしていたとうかがっています。亡くなる直前までお見舞いにも行っていたと……」

「は、はあ……」


 煮え切らない返事だ。もしかすると、記憶があいまいになっているのかもしれない。さっきまで自分の名前さえあやふやだったくらいなのだから無理もないけれど。


「思い出せませんか?」

「……そうですね。聞き覚えがあるような気がするのですが」

「そうですか……では、もう少し詳しくお話しします」


 それから、僕は桂木さんから聞いていた通りに、二人の関係性について説明した。


 僕らが事前に依頼人と受取人との関係を聞いているのは、こういうケースに対応するためだ。【黄昏】の住人達は、生前の記憶が曖昧になっていることが多く、依頼人との関係を忘れてしまっていることも少なくない。正しい相手を特定するには重要な情報だ。


 二人がどうやって出会ったか、どうやって仲良くなったか、どんな思い出を共有したか、桂木さんが大貫さんをどんな風に思っていたか。


 そして、大貫さんが亡くなって、どれほどの喪失を抱えたか。

 間違いが無いよう、できるだけ丁寧に話した。


「……そんな方が、私のそばにいてくれたんですね」


 一通り話し終わると、大貫さんはひどく辛そうな顔で言った。今にも涙をこぼしそうだ。


「どうですか。なにか、思い出されましたか?」


 悔しそうに首を横に振る。やっぱり、ダメみたいだ。


「こんなに、私のことを思ってくれている人がいたっていうのに、悔しいです。でも、どうしても思い出せないんです。桂木芽衣子さん。彼女のことを頭に思い描こうとすると、頭の奥がズキズキ痛むみたいで……」


 表情は真剣だ。必死に桂木さんのことを思い出そうとしているのがわかる。思い出せない自分のことを責めるように、こめかみに指を強く押し付けている。きっと、本当に心優しい人なのだろう。


「なのに……こうやって忘れていっちゃうっすね」


 大曲がポツリとつぶやいた。コイツらしくない、とても寂し気な声だった。


「桂木ちゃん、あんなに大貫ちゃんのこと想ってたのに、大貫ちゃんは桂木ちゃんのこと覚えてもいないなんて……やるせないっす」

「……そうだな。でも、しょうがないことだ」


 人の記憶は、ハードディスクみたいに脳にそのまま記録されているわけじゃない。友人との思い出話や、当時読んだ本の一節、撮った一枚の写真、そういったきっかけを取っ掛かりに、突起に指をひっかけながら壁をよじ登るように思い起こされるものだ。


 他者との関わりが一切断たれている【黄昏】の住人が何かを思い出そうとすることは、真っ平な壁を道具も使わずに登ろうとするようなものだ。記憶に限らず、情熱にしろ、嫉妬にしろ、愛情にしろ、一度忘れてしまったことは、もう二度と思い出せないと言っても過言じゃない。


 逆に言えば、絶対に忘れたくないならば、ずっとそのことだけを考えていなければいけない。今覚えていることを明日忘れないためには、一日中思い出し続けるしかない。つぶやき続けたり、自分の身体に刻み付けたり、絶え間なくそのことを意識し続けなければいけない。


 【黄昏】の住人が抱える「未練」とは、言い換えれば彼らが「絶対に失いたくないこと」ともいえる。住人達は、ひどく歪な形で、自分を保ち続けているともいえる。


 本当に、悪趣味な仕組みだ。


 しかし、そんな世界だからこそ、僕らの仕事には意味がある。

 生者と死者を行き来することができる僕らにしかできない仕事だ。


「思い出せなくても大丈夫ですよ。大貫さん。その風呂敷包みの中身、見てみてください」

「中身、ですか?」

「ええ。それは桂木さんがあなたのことを想って送った品物です。それをご覧になれば、桂木芽衣子のことを思い出すことができるかもしれません」


 僕らが届ける荷物は、【黄昏】の住人達にきっかけを与えることができる。

 失いかけた記憶を復元する、とっかかりを示すことができる。

 そういう意義があるからこそ、僕はこの仕事を辞めずにいる。


 大貫さんは少し驚いて、風呂敷包みと僕を交互に見た。しかし、すぐに嬉しそうにほほ笑んだ。


「そうですね。ありがとうございます!」


 眩しいほどの笑顔だ。艶やかな黒髪と白い肌のコントラストが美しい。

 至近距離で見ると思わずあとずさりしてしまいそうな美しさである。


「荷物中身見てないのによくそんなに自信満々に言えるっすね」

「うるさい。気持ちがこもってるなら品物なんてなんでもいいんだよ」


 僕がそう言うと、大曲は呆れ顔になり、諭すように言った。


「うわぁ……せんぱい、今後女の子へのプレゼント、同じテンションで選んじゃダメっすよ。気持ちがこもってればいいとか、『考えるのめんどくさい』って言ってるのと同じっすよ!」

「手厳しい……」


 しかし、一理あるな。


「じゃあ、大曲、女子に送るプレゼントはどんなものがいいんだ?」

「メルカリで高く売れるやつっす」

「……血も涙もねえな」


 もういっそ現金そのまま渡した方がいいんじゃないか?

 それこそ究極の思考放棄だけど。


「最近はフリマアプリも便利になりましたからねぇ……」

「大貫さん、そういう使い方してたこと匂わせないでください」

「一時期、誕生日プレゼントのこと、賞与って呼んでました」

「えげつねぇ……」


 これだけの美貌だ。大層儲かったのだろう。信じたくないけど。

 ていうか、カレシどころか友人すらもほぼいない大曲はともかく、あなたみたいな美人が言うとシャレになりません。


 大貫さんはすぐに冗談ですよ、とちょっと舌を出した。

 あざといが、とてもかわいい。それで許してしまうのはどうかと思うけど……。


 

  


 閑話休題。


「さて……荷物の中身、ご覧になりますか?」

「……はい。拝見します」


 風呂敷包みを軽くほどき、大貫さんは僕らに見えないように中身を覗いた。

 荷物の中身を見られたくないと言った、桂木さんへの配慮で、僕らは包みから目を逸らした。

 


「…………………………………………」



 随分じっくり見ているらしい。目を伏せる僕らの瞼の裏側で、しばらくシンとした沈黙が続いた。そしてとうとう……


「……メイちゃん?」


 という大貫さんのつぶやきが聞こえた。


 どうやら、桂木さんのことを思い出すことができたらしい。ほっと胸をなでおろし、僕は大貫さんに話しかけようとした。



「桂木、芽衣子、かつらぎ、めいこ、カツラギ、メイコ、メイメイ……メイちゃん?」


 しかし、どうも様子がおかしい。ブツブツと何かつぶやき始めている。


「かつら、めいこ、かつら、めいこ、めい、めい、めいちゃん? めいちゃん? あの子? めいちゃん? めいちゃん、めいちゃんだ。しってる。この子めいちゃんだ。めいちゃんだ。めいちゃん、めいちゃん? どうして? めいちゃん、めいめい、めいめいめいめいめいめい……」


 先ほどまでの可愛らしい表情から、見る見るうちに、にらみつけるような恐ろしい形相に変わり始めている。


「せんぱい。これ、なにが起きてるっすか? 大貫ちゃん、なんで急にこんな……」

「わからん。だが、なんだかヤバそうだ」


 大貫さんはブツブツ呟き続けた。その様子は、まさしく他の【黄昏】の住人と同じ、狂気に満ちている。


 突如、彼女の美しい黒髪が、ずるずると伸び始めた。


「めい、めい、めい、めい。めいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめいめい」


 大貫彩乃の髪は声に合わせるようにみるみる伸び、彼女の顔を完全に隠し、腰を越え自分の足元まで広がった。近くに立っている僕らの方にまで向かってくる。そして、完全に髪で隠れた顔の奥から、はっきりと声が聞こえた。




「……ゆるさない」




 怨嗟のこもった、どす黒い声だった。その声が聞こえると同時に、僕らに向かって「依頼書」と風呂敷包みが投げ返された。



「大貫さん! どうしたんですか?! 落ち着いてください!」


 何とか両方キャッチし、できる限り声を張って呼びかける。大貫さんはピタッと動きを止め恨めしそうな声で言った。


「千曲川さん、『黄昏』は未練をもって死んだ人間が集まる場所……でしたよね」

「え、ええ。そうですが……」

「わたし、未練わかりました。わかっちゃいました。その女です。桂木芽衣子……その子が私の未練、いえ恨みです。申し訳ありませんが、その荷物を受け取ることはできません。お引き取りください」

「そ、そんな……」


 桂木さんの話では、二人の仲は良好、いや無二の親友と言っても過言ではないほどだったはずだ。それに、大貫さんは非常に穏やかな性格のはず……。


 そんな彼女が未練どころか「恨み」? いったいどうなってんだ……。


「せんぱい。これはもう無理っす! 逃げるっすよ!!」


 大曲の鋭い声がする。今まで聞いたことのないくらい真剣な声だった。また大貫さんの髪の毛が伸び始めている。今度は僕らの足を絡めとろうとしているみたいな動きだ。


「ちくしょう! なんだってんだ!」


 僕と大曲は踵を返し、大急ぎで公園の出口へ向かって走った。

 背中から、とても悲しい歎き声が聞こえてくる。


「いっしょにいたのに。最後まで一緒にいたのに。好きっていってたじゃない。私の髪、好きって言ってたじゃない。嘘だったの? どうして気づかなかったの? 酷いよ。そうやって、私のことをカワイソウな子だと思ってたの? 同情なの? 気をつかったつもり? そんなこと気づかないとでも思ったの? 気づいてなかった? 何も見てなかった? わたしのこと、ちゃんと見てなかった? いや、そんなの嫌。気を使われてた? そんなのもっと嫌、わたしたち、ずットズッとイッしョニイたカッタ、ソンナノヒドイ。ワタシ、嫌ワレた? 嫌ワレテタ? 嫌ワレタクナイ、キライ? モットチャントシナキャ、スキ、メイ、キライ、メイメイメイメイメイメイ……」

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