008「気になる中身」

「なるほど。それでこの黄昏運送にやってきた、と」

「はい」


 桂木かつらぎさんはゆっくりと頷いた。彼女が話すのをやめると、部屋の中はしんと静まりかえった。


 美しく、心優しく、才能にあふれた、あこがれの人。友達のようで、姉妹のようだった大事な人。そんな人が突然病で命を落とした。感謝も別れも伝えられないままに。もう二度と何も届かない場所にいってしまった。

 

 それは、本当に……


「大変、でしたね」

「……そう、ですね。でも、一時期よりは大分落ち着きました」


 桂木かつらぎさんはそう言って、寂しげに笑った。その顔は年齢より遥かに大人びて見えた。

 いや、失礼を承知でより正確に言えば、女子高生とは思えないほどに老け込んで見えた。


 悲しんで、悲しんで、悲しみ疲れて、悲しみに慣れてしまった。そんな顔。あらゆる感情が摩耗して、生きている実感が徐々に薄まって、自分が生きているか死んでいるかもよくわからなくなってくる。


 黄昏運送にやってくるお客様はそんな表情をした人たちばかりだった。いや、むしろそういう人たちだからこそ、【黄昏】などという奇妙なものを信じることができるのかもしれない。


「「……」」


 応接室の中は酷く重苦しい空気になった。暗い話をしているのだから、暗い空気になるのは当然なのだが、ここまで陰鬱な雰囲気になってしまうと、どうにも次の話にも移りにくい。なんと声をかければいいものか……。


 こんな空気の中でいつも通りに話題を切り出す事が出来る人間がいれば、それはよっぽどのコミュニケーション強者か、全く空気の読めない頭のおかしい奴だろう。


桂木かつらぎちゃん桂木かつらぎちゃん! その、アヤノちゃんの写真とか、持ってるっすか?!」


 突然身を乗り出し、いつもの調子でしゃべり始めた大曲おおまがりは、もちろん圧倒的に後者だ。コミュ強じゃない。コミュ狂である。


「しゃ、写真ですか?」

「そっす! 桂木かつらぎちゃんみたいな可愛い子がベタ惚れする美少女……めちゃくちゃ気になるっす! めちゃくちゃ見たいっす!!」


 どうやら単純に美少女の写真が見たいだけらしい。なんというか、とても大曲おおまがりらしい。


「えっと、あったかな……」


 桂木かつらぎさんはポケットからスマホをとりだして、慣れた手つきで操作し始める。両手で素早く画面を触る様子は、いかにも女子高生っぽい。


「あ、ありました。これとか……」

「やったっす! ちょっと拝見……」


 画面を除いた大曲おおまがりの顔が硬直した。驚きのあまり目が見開かれ、口が半開きになったまま固まったので、ひどく間抜けだ。そんな反応されたら僕も気になる。


桂木かつらぎさん、僕も拝見してもよろしいですか?」

「あ、はい。どうぞ」


 そう言って桂木かつらぎさんは僕にも見えるようにスマホの画面を傾けた。画面をのぞき込むと、そこには……。


「……!!」


 病院の白いベッドの上に身体を起こし、照れ笑いを浮かべながら右手でピースを作っている大貫彩乃おおぬきあやのは、まぶしいばかりの美人だった。


 胸の辺りまである長くつややかな黒髪、それと見事なコントラストを生み出している雪のように白い肌。そして美術品のように絶妙なバランスで均整のとれた目鼻立ち……。


 え、何この美少女。

 出身ウユニ塩湖?


「めちゃくちゃ綺麗っす……。まさしく発光の美少女っす……」

「薄幸、な」


 誤用だが、大曲おおまがりの言いたいことも分からんでもない。大貫彩乃おおぬきあやのは光り輝くほどに美しい女性だった。


 驚くほど整った顔立ちをしているのに、笑顔はとても柔らかく、見るものを安心させる力があった。自然で優しい表情からは、画像でみるだけでもこの人が「いい人」である事が伝わってくる。


 こんな魅力的な女性が近所に住んでいたら、僕だって舞い上がってしまう。きっと周到で綿密な観察と研究により、毎日「偶然」同じタイミングで家を出られるように画策するに違いない。


「いやせんぱい、マジでキモいっす。流石のアタシもドン引きっすよ」


 ……黙れ。モノローグを読むな。


「えへへ……美人さんでしょ? アヤノちゃん」


 桂木かつらぎさんもどこか誇らしげだ。まあ、自分が一番親しくしていた姉貴分がこれほど綺麗だったら、自慢したくもなるだろう。写真はどうやら加工の類もされていない。ナチュラルボーン美少女のようだ。


 ともあれ、少し空気が軽くなった。今のうちに聞くべきことは聞いてしまおう。


桂木かつらぎさん、大貫さんについてもう少し詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

「あ、はい。どうぞ」


 スマートフォンをポケットにしまい、桂木かつらぎさんは表情をひきしめた。


「ご存じの範囲で結構です。大貫さんは、ご自身の容姿について、何かコンプレックスや特別なこだわりを持っていませんでしたか?」

「……? コンプレックス? こだわり?」


 僕の問いかけに桂さんは眉根を寄せる。


「先ほども少し触れましたが、【黄昏】の住人は自身の肉体を失っています。言い方を変えれば、身体という枷を外された状態です。ゆえに【黄昏】内ではどんな姿にでもなれる。どんな姿にもなってしまえるんです」


 人間の身体はそう簡単には変わらない。変わりにくいものであるから、アイデンティティの拠り所になりうるという側面もある。現に、僕らが人を識別しようとするとき、その人の身体的特徴を頼りにすることがほとんどだ。


 しかし、【黄昏】にはそれがない。不変であるはずの身体がない。彼らは【黄昏】の中で、自分のなりたい姿になっている。


 だから、【黄昏】の中で人を探すときは、生前の姿と合わせて、生きているとき「どんな姿でありたかった」かが重要になる。


 まあ、こればっかりは実際に【黄昏】に入ってみないと雰囲気がつかめないだろうけど……。


「なんでも結構ですので、思い当たることがあれば教えてください」

「……」


 桂木かつらぎさんは口をつぐんだ。そして、なんとも複雑そうな表情になった。

 なんというか「何を言ったらいいかわからない」というよりも、「言おうかどうか迷っている」ように見える。

 

 なんだ? 大貫彩乃おおぬきあやののこだわり……なにか言いにくいことがあるのか?


「……髪、ですかね」


 しばらくの沈黙の後、桂木かつらぎさんはそう言った。絞り出すような声だ。


「かみ……髪の毛ですか?」

「そうです。真っ直ぐで、艶がある綺麗な黒い髪。それはアヤノちゃんのトレードマークでしたし、本人も気に入っていたと思います。私もおんなじようにしたくて、色々聞いて真似してました。シャンプーとかトリートメントとかも同じの買ったり……」


 確かに、先ほど見せてもらった写真でも、彼女の黒髪は際立っていたように思う。色白の肌とのコントラストも美しかった。一番近くで見てきた桂さんが「こだわっていた」と言うのであれば、多分間違いない。


 しかし、妙に歯切れが悪い。先ほどまで、嬉々として大貫彩乃おおぬきあやののことを自慢げに話していたのとは明らかに雰囲気が違う。後ろめたさを隠すような違和感がある。やはり、どうもワケアリらしい。


 まあいい。生前の写真も見せてもらったし、これだけ分かれば【黄昏】の中でも多分見つけられるだろう。


「……わかりました。以上で、僕らが聞きたいことは全部聞けました。依頼、承ります」

「あ、ありがとうございます」


 少しほっとしたように桂木かつらぎさんは息を吐いた。

 僕は、もう一度、桂木かつらぎさんが書いた『配達依頼書』に目を通す。


「お送りする荷物はこちらの風呂敷包みですね。中身は……『衣類』ですか」


 随分ざっくりした書き方だ。


「ちなみに、具体的には何を……」


 そう言うと、桂木かつらぎさんは露骨に嫌そうな顔をした。眉間に皺が寄っている。


「……それって詳しく言わないといけないんですか? 今さっき聞きたいことは全部聞けたって……」


 非難するような口調に少し尻込みする。

 まずい、触れてはいけない部分に触れてしまったか……?


「せんぱーい。いくらせんぱいに女の子の『衣類』に興味があるカワイソーな性癖があったとしても、仕事に乗じてそれを聞くのは、ショッケンランヨーっすよ!」


 ちょっとたじろいだ僕を見て、大曲おおまがりがここぞとばかりにちゃちゃを入れてくる。

 こいつ、本当に僕の隙を見逃さないな……。


「失敬だな。僕は只の布に興味はない。大事なのは中身だ!」

「それはそれでどうかと思うっす」


 またしても大曲おおまがりがケタケタ笑い、桂木かつらぎさんは靴の裏についたガムでも見るような目で僕をにらみつけた。

 

「わかりました。配達が完了しましたらご連絡いたします」

「……」


 桂さんはまだジトっとした目でこちらを見ている。

 めちゃくちゃ疑われている。僕が荷物の中身を見ることを警戒しているらしい。


「大丈夫っすよ桂木かつらぎちゃん。このあたし、大曲おおまがりななみが責任をもって荷物の中身、この眼帯男に見られないように守るっす! もしこの変態が勝手に覗こうもんなら、もう片方の目も眼帯にしてやるっす!」

「じゃあ、安心ですね」


 割って入ってきた大曲おおまがりと桂さんが妙に神妙な顔つきで頷き合い、固い握手を交わした。

 なんか、僕を批判することで仲良くなってるなこの二人……。


「……ともかく。お荷物、お預かりします。お代は、受領印付きの『配達依頼書』のお渡しのタイミングで結構です」

「……わかりました。どうぞ、よろしくお願いします」


 桂木かつらぎさんはそう言って、とても丁寧に頭を下げた。

 そのお辞儀から、この依頼に対する彼女の想いが伝わる。彼女は、本気だ。


 挨拶もそこそこに、桂木かつらぎさんは部屋を出て行った。


 その背中を見ながら、僕も気持ちを引き締める。

 色々あったが、久しぶりの仕事だ。気合を入れていこう。

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