003「訪問者」

 それから、約半年の月日が流れた。


 すぐにいなくなるだろうと思われた大曲おおまがりは、意外なことに辞めることなく本日まで黄昏運送に勤務し続けている。出席率に関してだけは、勤務態度良好と言えた。


 しかし、なんの巡り合わせか、大曲おおまがりがやってきてから一件も依頼が来ていない。大曲おおまがりは毎日職場にやってきて、ベラベラとくだらない話をして定時になると帰っていく。そんなことを半年も繰り返しているのだ。むしろ辞めない方が頭がおかしいと言えるかもしれない。



 時刻は17:00をまわり、あかい夕日が部屋のなかに差し込んでくる。今日も今日とて、お客は来ない。元々、忙しい職場というわけではなかったが、それでもここ数ヶ月の過疎っぷりはちょっと異常だ。大曲おおまがりが来る前はなんだかんだひと月に一度くらいお客が来ていたはずだった。


 いよいよ、この会社も終わりなのかもしれない。そうなった場合、僕はもう一度就職活動を行わなければならない。しかし、それは本当に嫌だ。新卒の時のように精力的にエントリーシートを書いたり、企業に何度も訪問して面接したりして内定を勝ち取るバイタリティはもうない。「この先、どうしよう」という焦りは日に日に大きくなり、真綿で首を絞めるようにじわじわと僕の心を蝕んでいた。


 焦る気持ちを落ち着かせるように、僕は夕刊に目を通した。紙面には今日も不景気なニュースや、汚職事件、猟奇的な殺人事件が軒を連ねている。


 目の端に、とある記事がひっかかった。見出しには「奇形殺人」の文字がある。悲しいことに殺人事件など今日珍しくもないが、この事件はかつて大きな注目を集めている。犯人は不明。単独犯なのか複数なのかさえもわかっていない。事件の最大の特徴は、死体が不可解な形状に変形してしまっていることらしい。目玉が飛び出していたり、腕があり得ない方向に折れ曲がっていたり……。変形はかなり強引になされていて、犯人の高い残虐性と異常性について社説やらテレビのコメンテーターやらが連日論じた。


 しかし、とある記事によると、死体は外から力が加えられたというより、まるで「内側から身体が無理やり変えられている」かのような変形が起きているらしい。あまりに奇妙で、解決が見込まれないからか、この一連の事件は徐々にその姿をメディアから消していった。いまでは月に一度、こうして新聞の社会面の一部に取り上げられる程度だ。


 一通り新聞に目を通したのち、ふと大曲おおまがりの方を見る。大曲おおまがりはデスクに座って新品の緩衝材のプチプチを潰すのに夢中になっている。鼻歌まで歌っている。随分とご機嫌だ。


 まだ何モノも守っていないプチプチ達の命を無為に摘み取っていくその作業は、なんとなく公園にいる蟻を楽しげに潰す子供に似た無垢な残酷さが想起された。


 ていうかやめろ。もったいないだろ。


 コイツは将来が不安になったりしないだろうか。というか、なぜこいつはこんな斜陽産業どころか日が落ちきって真っ暗闇な会社に入社しようとしたのだろうか。そういえばその辺の詳しいところは何も知らない。


「なあ、大曲おおまがり。ちょっと聞いていいか?」

「しょうがないっすね〜。スリーサイズは合計で215っす!」

「足すな。割り振れ」


 プロポーションって割合って意味だから。合計値に意味なんかないから。

 いや、そんなこと聞きたかったわけじゃないけど。


「え、男の人ってとりあえず女性の身体の数字とかアルファベットとかを知りたがるもんじゃないっすか?」

「別に数字が知りたいわけじゃねえ! その数字から発生するイマジネーションが……いやそんなことどうでもいい」


 こいつに合わせて勢いで喋ると、何かしらボロが出そうだ。


大曲おおまがりはなんでこの会社に入ろうと思ったんだ?」

「オンシャノキギョウリネンニキョウカンっす!」


 カタコトかつ棒読み、しかしやけに流暢に大曲おおまがりが唱える。もうなんか「寿限無」みたいな語調だった。ジュゲムジュゲムオンシャノキギョウリネン。


「面接じゃないんだから……本当のところはどうなんだ?」

「えー。知りたいっすか? でも、乙女の秘密をタダで教えるわけにはいかないっすね!」


 乙女て。さっき平然とおおあくびしながら鼻ほじってたじゃんお前。


「なんだよ。金でも払えってか?」

「え?! お金くれるっすか? ひゃっほう! せんぱい太っ腹! セルライト! メタボリック!」


 大曲おおまがりは本当に思いついたことをなんでも口にする。こいつとまともな会話をするのは至難の業だ。脳を経由しないノリとテンションの脊髄反射の会話を無理やりにでもすすめるためには、細かい部分につっかかってはいけない。


「金払ってまで知りたくはないが……そんな特殊な事情なのか?」

「うふふ。それも秘密っす! 知りたかったら今がチャンスっすよ! さあ、思う存分あたしに貢ぐっす!」

「貢ぐって……まあ、またラーメンくらいなら奢ってやるけど」

「お、ラッキー! 全然話すっすよ! 取り立てて隠すようなことじゃないし」

「……」


 じゃあなんだったんだ今の一連のやりとり……。


「多分せんぱいと同じっすよ。高校卒業した後、プラプラバイトしながらそろそろ就職しなきゃなーって思ってた時に、社長に拾われたっす!」

「ほーん。ちなみになんて声かけられたんだ?」

「『君の瞳に惚れた、君のことが欲しい!』的な感じっすね! 文字通りのラブコールだったっす!」


 大曲おおまがりはふざけた調子でケタケタ笑った。多分、先ほどまでの冗談同様、ボケのつもりで言ったのだろう。「それじゃタダのナンパだろ!」みたいな僕のツッコミを誘っているのかもしれない。


 が、多分これは事実だ。おそらく社長は大曲おおまがりにそれっぽいことを言っている。


「……なるほど。やっぱりそうか」

「あれ! せんぱい、ツッコマないっすか?!」

「ああ。僕もその告白、社長にされたからな」

「ええ?! 社長、ストライクゾーン広い!」

「いや、そういうわけじゃなくてな……」


 社長、曲淵由吉まがりぶちよしきちには、とある特技がある。とある「才能」を見抜く眼力に長けているのだ。そんな社長のメガネにかなったからこそ、僕や大曲おおまがりはこの黄昏運送に勧誘された。


 社長の眼力と、僕らの「才能」……いや、「疾患」といった方が適切かもしれない。それらのおかげで、この会社はギリギリ存続している。それはつまり……。



「あの……黄昏運送さんって、こちらであってますか?」



 僕らの「疾患」を必要とする人間が、この世いるということでもあった。

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