第4話 脳梗塞の後遺症

 入院一週間位すると少しずつ症状が落ち着いてきて脳梗塞になり入院している事が自覚出来る様になってきたが最初のうちは脳梗塞で倒れ緊急入院した事、治療の為点滴している事等々が理解出来てなく看護師さんが色々とお世話をして下さる事に抵抗し、私が面会に行くといつも小声で「ここには悪い人がいる」「体を縛られた」等々私が何度説明しても看護師さんが近づいて来ると怯えていた。この脳梗塞を発症してからは母との意思疎通が殆んど出来なくなってしまった。理解してもらおうとすればするほど母との関係が壊れていくようだった。


  やがて母が落ち着いてくると特別室から一般病棟に移された。リハビリも開始された。簡単な読み書きや歩行訓練等々月曜日から金曜日までのリハビリは母にはとても苦痛だったようだ。自分の名前を書くのもなかなか難しく時間がかかった。あまり考えると頭が痛くなるとも言っていた。最初の頃、自分の名前もすぐには言えなかった。あるリハビリの時、名前を聞かれてすぐ答えられなかった母に向かって指導するスタッフの方に「名前も言えんのか」ときつく言われて悔しかったと言っていて今でもその時の事を思い出して辛かったとこぼしている。母が言ってることが事実かどうか定かでないが脳梗塞により頭が混乱している母には耐え難い出来事のようだった。


  約一ヶ月の入院で退院したが今回の脳梗塞で手足の麻痺は無かったものの言語障害という後遺症が残った。それにより思ったことが上手く言葉に出来なかったり書けなくなってしまいそのことが今後の生活で母を悩ませる事になった。

 丁度入院して一ヶ月経った十二月二十五日頃主治医の先生から退院の許可が出た。嬉しい反面不規則な仕事をしている私にとっては不安が募るばかりだった。自宅に連れて帰って果たして母は私の留守中一人で過ごせるだろうか?年末年始も仕事があり通常勤務とは違い早出や夜勤がある。約一年前から父は入院している為今は母と二人暮らし。協力者が近くに誰もいなかった。会社には家庭の事情を話し年末三十一日と年始の二日間、休みを頂く。休みにくい職場だったのでこれ以上は望めなかった。


 退院は私の仕事の都合で夜勤明けの三十日となった。幸い三十日から大阪の姉が九日間応援に来てくれた。その間何とか自宅で母が一人で留守番出来るように様子を見ながら段取りするつもりだった。脳梗塞の後遺症で認知度がかなり落ちてはいたものの、歩行やトイレも何とか出来、食事や衣類の着脱も出来る。こちらの話も理解出来るようになっていた。慣れれば何とかなるかもと微かに希望は持てた。私の仕事の日は姉が居てくれて本当に助かった。あっという間の九日間が過ぎ一月七日、姉は大阪に帰って行った。

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