第8話

 インタビューは滞りなく進んでいった。

 こちらからの突っ込んだ質問にも笑顔で回答を頂き、雅さんから飛び出す琴との関係や作品に対する質問には、俺と篠森の二人で答える事が出来た。今日のサポートに篠森がついて来たのは、編集長の些細な気まぐれだったのだろうが、それでもファインプレーだったと言わざるを得ない。

 そして、言葉を重ねて改めて思う。砧雅と言う人間は、確かに天から才能を賜った人間だと。

 彼の内側には、彼独自の音楽が鳴り響いている。そしてその独自の音楽は、彼の技術は元より、その特異な人間性の懐から鳴り響くからこそ、感動を与えるまでの水準に達しているだろう事が、ピアノを弾かずとも伝わってくる。このインタビューに向けて、彼の出したCDはそれこそタコが耳に触手を這わせる程聞いた。そしてその耳に馴染んだ素晴らしい音楽達は、確かに今目の前にいるこの人から産まれたのだと、ピアノを鳴らしていないのに、言葉だけで、そう確信させてくれる。

 これを才能と言わずして、何と言うだろう。

 1時間に及んだインタビューの果てに、俺は使い古された紋切り型の質問を最後に持ってきた。

「じゃあ最後に、雅さんにとって、音楽とは、ピアノとは何ですか?」

「……そうねぇ、僕にとっての音楽かぁ、うーん、そうだねぇ、毎晩寝る前に読み聞かせて貰いたい絵本かな」

「絵本?」

「そうそう、小さい頃、お母さんとかに寝る前に読み聞かせて貰わなかった? あれあれ。一日の終わりにあれを聞くのが、僕は凄く楽しみだったんだけど、同時に、この絵本が終わったら今日が終わっちゃうって言う、悲しみの証でもあった。嬉しさも悲しさも与えてくれて、尚且つ寝る前の読み聞かせって、自分が愛されてると感じる最たるものじゃない? 僕にとっての音楽って、そう言うものかな。そんでピアノは、僕が読んで貰う絵本を手に入れる為に必要な手段、沢山の絵本が詰まった書庫の鍵って感じかな。分かるかな?」

「正直、何となくでしか分かりません。俺なりの解釈を付け加えるのも違う気がするので、これはこのまま載せて、インタビューはここで終わりって形でもいいですか?」

「任せるよ」

 結びに相応しい、彼らしい言葉を引き出せたような気がする。それと同時に、彼の言葉を理解出来ない俺は、やはり凡愚なのだろうと、些か自分にげんなりもした。

「じゃあ、僕からも最後の質問ね。達也君にとって、琴ちゃんって、どう言う存在?」

「俺にとっての、琴ですか? そうですね、言葉にすると恥ずかしい部分もありますが、とても有難い存在です。昔から、俺は琴の才能や魅力に必死に負けないように頑張って、支えられる様に歯を食いしばって、それでも自分の未熟さに歯噛みするばかりです。そんな俺といつも真正面から向き合ってくれる、本当に、有難い存在です」

「なるほどなるほど。つまり、あれだね。達也君はどこかで、才能と言う物に対しどこかコンプレックスを抱いている訳だね」

 俺の発言の何処をどう聞いてそう思ったのだろう。雅さんは事も無げにうんうんと頷いた。

「え? あの、俺そんな卑屈な態度出してました?」

「卑屈とかじゃないよ。そう言う事じゃない。ただね、達也君はもしかしたら、自分には才能が無くて、僕や琴ちゃんには才能があると、勘違いをしているんじゃないかと思ってね」

「どうして、そう思ったんですか?」

「うーん、僕は理論とか理屈で語るのはあまり得意じゃないんだけど、どうしてかって言われたら、君の言葉とか、インタビューの聞き方とか、琴ちゃんの本に書かれてる事とか、色んなニュアンスで、何となくそう思ったんだ。そして僕は、もしも君がそう思っているなら、そんな事は無い、君は素晴らしいんだよって言ってあげたいなって思ったんだ。だから、もし違ってたらごめんね。どうかな?」

 不純物の無い澄んだ瞳。冬の早朝を思わせるその瞳には、純粋さと、こちらを見通す鋭さがあり、思わず、これだから天才は、と、溜息が零れそうになった。

 見透かされた挙句取り繕うのも格好が悪いし、何よりここで誤魔化しても仕方が無いだろうと、白旗を揚げることにした。

「あー、そうですね、何かを生み出すことの出来る人に対してのコンプレックスは、正直ありますよ。特に俺の周りには、琴も含めて、本当に才能溢れる人が沢山いますから。そう言う人の話を聞いたりする度に、この人達は、自分とは違う次元を生きて、自分とは違う角度で世界を見られるんだろうなって、羨ましくなります」

 自分の凡人っぷりに早々に気づく事の出来た俺はまだ、そう言う才能溢れる人達に対して届かぬ手を伸ばし続ける事をしなくて済んだ分、傷は浅かったのかもしれない。ただそれは、単に諦めを腹の底まで飲み込んだ事に対する、耳障りの良い言い訳なのだろう。努力を怠った事を謗られれば、それに大しての反論は全く出来ない。だけど、そうしなければ生きていけないのだ。持たざる者がどれだけ叫んだとしても、それは才のある人間には届かないし、理解もされないだろう。

 だが俺は、そうで在るべきだと思うし、そうで無ければならないとさえ思っている。才能のある人間が、凡愚の言葉に一々かかずらうのは、時間と労力の浪費だろうとすら思っている。

 自分が向こう側に回れない事が分かったからこそ、俺は彼らの素晴らしさをより噛み締める事が出来たと感じている。だから叫ぶ、俺達の為に、もっとその才能を使って、素晴らしい世界を見せてくれと。素敵な贈り物を与えてくれと。あんた達は才能があるんだから、それ位いいじゃないか、そうじゃなきゃ、手が届かなかった俺達が、報われないだろう、と。

「次元が違うと言うのは、じゃあそうだな、僕は結局どこまで言っても音楽畑の人間だから、自分なりに音楽での解釈をさせて貰うね」

 そこで雅さんは、譜面台の上に置いてあった楽譜を一枚手に取り、裏返しにした。そこに、同じように譜面台の上に置いていたペンで、五線譜を書いていく。その五線譜に、四分音符を二つ、ミと、ソの位置に書いた。

「この二つは、当然音が全く違う。お互いに共鳴する事はあるかもしれないけれど、鳴らすのは独自の音だ。この二つは、次元の違う二つの音だと言ってもいい。ここまではどうだい?」

「ええ、分かります」

「じゃあ、ミはミで素晴らしい音を持っているのに、高い位置にいるソの事を羨ましいと思っていたとする。でもこれって、酷く悲しい事だとは思わないかい? だって、ミはミで、ソには見えない景色を見ることが出来るんだよ? ソを羨ましがる必要なんてどこにもない」

 雅さんが、俺の事を励まそうとしている事が伝わってくる。

 その時、ふと唐突にバイブレーションの音が部屋に響いた。

「すいません、ちょっと失礼します」

 篠森が恐縮しきりにそそくさと部屋を出て行った。

「雅さん、雅さんが俺の価値を高く買ってくれてるのは分かりました。でも俺は、その例えは違うと思います。だって俺は、ミでも、ソでも無いんですから。自分ながらの音を持っている人は、確かに他の人を羨ましがる必要なんて無いかもしれません。例えば、ミが琴だったり、ソが雅さんだったりすれば、それはそうでしょう。でも、俺はそんな音は持っていない。世界が五線譜だとしたら、俺が入る隙間は無いんです。俺は感動する側ですよ。ミやソが並んだ事で見せてくれる素晴らしい世界を楽しむ、一人の観客です。俺がステージに上がる事はありません」

「ふんふん、確かに人には、決められた役割がある。ステージに立つ事を望む望まないも人それぞれだ。そう言う意味では、今回の例えは間違っていたかもしれない。でもね、達也君。この例えの意義はそこじゃないんだよ」

「意義、ですか?」

「そう、才能云々はどうでもいいんだよ。僕の今の考えは、僕はどうやったら君に、君は素晴らしいんだって伝えられるか、それだけなんだ」

 その時、篠森が慌てた様子で再び部屋に入ってきた。

「君島君! 今、ちょっと携帯見て!」

「何だよ、今仕事中……」

「いいから! 今会社から連絡あって、琴先生が、産気づいて病院に運ばれたって」

 心臓がドキリとする。瞬間、苦しむ琴の顔が脳裏を過ぎった気がした。

「雅さん、すいません、少しいいですか?」

「勿論、早く早く」

 許可を取り、携帯の電源を入れる。何かあった時は篠森に連絡が入るだろうと、インタビューに集中する為に、俺は携帯の電源を落としていた。携帯に電源が入る様子が、酷く緩慢に映る。俺も、気が急いているんだろう。

 画面に映った着信履歴は4件、最初の一件は琴の携帯、後の三つは、お義母さんからだった。急ぎ掛け直すと、2コールでお義母さんが出た。

「もしもし」

『もしもし、達也さん?』

「はい」

『ああ、あのね、今琴と一緒に病院に来てね。いよいよなんだけど、こっちに来られたりしないわよね?』

「すいません、今まだ仕事中で」

『ああ、そうよね』

「終わり次第すぐに向かいます、あの琴の様子は?」

『とりあえず、大丈夫……』

 聞こえていたお義母さんの声が、突然千切れるように聞こえなくなった。

「奏さん、どうもお久しぶりです。雅です。ええ、そうです、あの砧雅です」

 何事かと思い声の方を見ると、雅さんが俺の携帯を奪い取っていた。

「ちょっと、雅さん!」

 そこで雅さんが俺の顔の前に掌を広げた。叫びそうになった声が、思わず押し止まる。

「ええ、大丈夫です。病院名を教えて頂けますか、僕がすぐに、達也君をそちらへお連れします。ええ、はい、分かりました。では」

 通話を切った雅さんが、俺に携帯を返す。

「じゃあ行こうか。すぐにタクシーを呼ぼう」

「雅さん、タクシーなら既に呼んであります」

「お、流石S嬢、仕事が出来るね!」

「ええ、私、仕事出来るんです。雅さん、仕事が出来る女って、どうですか?」

「格好良くて素敵だと思うよ」

「ありがとうございます!」

 頭が追いつかない俺の背中を、篠森が強めに叩く。

「ほら! 君島君、しっかりしなさい! あんた、もうすぐパパになるのよ!」

 今度は雅さんが、俺の肩を抱く。

「大丈夫、君は僕がバッチリ琴ちゃんの元まで連れて行くからね。ドーンと構えていてくれたらいい」

 呼び鈴が鳴った。迎えのタクシーが来たのだろう。テキパキと動く二人を視界に捉えてはいるが、俺の心は、まるで月でも歩いているかのように、フワフワと浮き足立ったままだった。

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