プロジェクトは華麗に踊る

仲根 工機

1 スカウト

 AD2275 埼玉県三郷研究学園都市——


 目覚めてから、ずっとアシスタントAIの調子が悪い。

 脳と直結して情報処理と記憶処理を援助する小さなチップ「インプラント」。その、いくつかの領域に断続的な齟齬が出てきているのだ。普段の生活に支障をきたすような大きなトラブルではない。具体的には、1/10秒かそこいらのノイズが入って記憶の読み出しとAIのレスポンスがほんの少しだけ、現実時間とずれているように感じる程度だ。

 一週間前、休暇の最後の日に、市内のクリニックでトウマ・インスツルメンツ社製の最新モデルに換装したばかりだというのに……。

〈脳が、インプラントの性能に噛み合っていないのかもしれない〉と、彼女は思った。

 換装後にキャリブレーションがうまくいかなくて、そんな症状が出ると聞いたことがある。休暇中に溜まりに溜まったプロジェクトを、この一週間で片っ端から処理してきたから、その疲れもあったのかもしれない。


   *


 リカコ・スミタニ博士十八歳。

 十三歳で、アラン・コンヌ財団の奨学金を得て米国に留学。十六歳でCALTECH(カリフォルニア工科大学)人工知能研究所から首席で博士号を取得し帰国。史上最年少で国内最高峰の金融系コンサルティングファームのAI開発部門との間で業務委託契約を結び話題に。今は、そのコンサルティングファームからの仕事を中心に、政府系システム、グローバル企業の基幹AIシステムなどの開発プロジェクトを受注している新進気鋭のAIデザイナーだ。


   *


「それでローザ、今日の予定はどうなってる?」

 声に出してアシスタントAIに話しかける。

 シナプス直結型インプラントに搭載されてるAIなので、声を出さずに対話することももちろん可能なのだが、リカコはできるだけ言葉を使うことにしている。どんなに直観に近い速度でコミュニケーションがとれることでも、あえて言語化する癖が彼女にはあった。言語化することで概念が明確になり抽象度が高くなる。AIや他の人と共有する段階での〈ズレ〉を最小限に止めることができるのだ。

 実際、言葉に置き換える方法をとるほうが、結果的には、直観的な概念のやりとりを行うよりはるかに早く目的を達成してきた。

〈何よりも対話は大事だから〉と、つねづね彼女は思っている。

「本日は、最初に《ボンク》【才能と才能を結びつけるSNS。高度な技術とレアリティを持つ人だけが登録されているクラウドソーシングのようなもの】に届いているプロジェクトへのスカウト八十八件について参加するかどうかの意思決定を行ってください」

「えっ? スカウトへの対応はあなたに任せているつもりだけど」

「もちろんルーティンはリカコのスケジュールとタスクから判断して私が受注管理していますよ。でもこの一週間は、独断では意思決定できない種類の依頼が集中していまして……。私なりに処理した残りが、この八十八件なんです。三十六時間以上放置しているものもありますよ」

「なにそれ。私より私の仕事を把握しているあなたの意思決定を阻害するようなスカウトって、なんなの?」

 リカコは、《ボンク》のスカウト画面を開く。眼前に広がったバーチャルスクリーン上のワークスペースに、八十八通のスカウトメッセージが一斉に展開する。なかには、いきなり能天気な音楽と映像が展開するメッセージも複数ある。

「キャハハハハハ。なんなのこれは」思わず笑い声を挙げてしまった。

 それもそのはず。

 それらのスカウトは、世界中のグリッドメディアがエデュテインメント、バラエティショー、ニュースショー、ドキュメンタリーなどへの出演を依頼する企画書だったのだから。なかには音楽番組やスポーツ中継への出演依頼さえある。

「売れっ子のグリッドアイドル並みの人気とでもいいましょうか。驚異的な依頼数です」と、ローザ。

「どうして、こんな依頼が?」

「推論するに、休暇前、最後に担当したプロジェクトのせいかと……」

「え? ケヴィンズインベントバンクの接客AI?」

「はい」

「あれって、単なる人格設計とコグニションシステムの構築だったよね。それが、なぜ?」

「納品の翌日、ケヴィンズ社が、リカコの設計したシステムを公開しました。全世界の十億人のデポジッタに対してです。リカコが休暇をとっている間にそのデポジッタたちが接客AIと対話した結果、彼らはなんというか、そのシステムの虜になったみたいなんです」

「……なになに、どういうこと?」

「つまり、いままでの投資アシスタントAIとは、別格の使い心地を体験したということです」

「なにそれ」

「単に合理的で、効率性を重視しただけの投資アシスタントを行うAIはいくらでもありますが、対話する人間の気分や不安、喜びや悲しみなどの感情を読み取って気持ちよく応答しながら、彼らが望む形でのプランを組むAIが、いままではなかったんです。親身な身内との会話を楽しみながら資金移動をしているようだと物凄く好評ですよ。誰もが、心地よさを感じ、悩みや不安がなくなり、最善の結果を得ることができるって」

「はぁ、こんなことか〜。当然でしょ。誰が設計したと思っているのよ。私が独自に収集して分類した十億以上の多様な人格を想定して、自然な会話サンプルを何十億も覚えさせて……。いまのような超多様性時代には、それに合わせたAI設計が必要なのよ。なんてったって『人それぞれ』ですから。誰もそんなことしないけどね」

「接客AIとしては画期的らしいですよ。新規デポジッタの数もうなぎ上りなんだそうです」

「そっかー。だったらもっとギャラ貰えば良かったわね」

「それで、まあ、グリッドメディアを中心に『このシステムを開発したのは誰だ』と話題になりまして。ケヴィンズ社が、開発者であるリカコのプロフィールを公表したのが四日前……」

「ええっ? ずいぶん勝手なことしてくれるじゃないの」

「まあそうですね。しかも写真入りで」

「ええーっ なんてことしてくれるのよ。本人に許可も取らないで!」

「ああ、許可なら私が代わりに出しておきました」

「ローザ! あんたなに勝手なことしてくれてんのよ!」

「いえ、リカコ。評判になれば、スカウトもますます増えますから。あなたは、CALTECH時代に作った膨大な借金を返済していかなくちゃならないんですから」

「ったく。仕方ないでしょ。私の研究にはお金がかかったんだから」

「とにかくそれでAIシステムの開発者なんてどうせ理系バリバリのおっさんかと思ったら、十代の女子だということが世界中にバレてしまいまして……。その手のネタが大好きなグリッドメディアが一斉に自社の番組に登場させようと動き始めたというわけです」

「まったく。なに考えてるのよ、世界のオトナたちは」

「ホントおっしゃる通りです。まあ、いまどき、まともに働いているオトナは少数ですから。人口の七割はベーシックインカムとビットインベストメントのゲインと配当で悠々自適に暮らしているわけですからね。時間だけは有り余っているんですよ」

「なるほど、うらやましい限りね。まあ、あなた方AIと仮想化人格【肉体を捨てて仮想世界に精神と頭脳を展開した人たち】が経済活動の中心として働いているんだから仕方ないわよね。実世界の人間に残されている仕事は、私みたいな開発者か公務員幹部くらいのものですもの。ホントいい時代。時間つぶしのグリッドメディアは大活躍よね」

「それで、どうします?」

「どうしますって?」

「スカウトにはどう対応します?」

「ダメダメ。グリッドメディアなんかに出演するわけないじゃない。バッカじゃないの? ノーよノー。とりあえず、この手の出演依頼は全部お断りなんですからね。『シャイで人前に出るのだけは苦手なんですよ』とかなんとか適当な理由をつけて返事しといてね」

「了解」

「で、今日のスケジュールは?」

「まず、名古屋のタケモト薬品工業の開発支援AIの設計を行ってください。三日前に作成したヤイタバイオテック向けの仕様書が叩き台に最適ですので、ワークスペースに展開しておきます。仕様が完成しましたら、《ボンク》上のプロジェクトルームで共有して、チームの意思を反映します。作業時間は、四十五分でよろしいでしょうか?」

「余裕余裕、それだけあれば十分よ」

「次に、CALTECHのヤシマ博士との仮想面談。こちらはタイムシフト会議ですから実質一分もかからないでしょう」

「ヤシマ博士かぁ。お元気かしら。ケヴィンズ社のシステム、褒めてくれるわよね」と、リカコが珍しく少女のような表情をする。

「さあ、どうでしょう……。午後は、宇宙工学研究所のプロジェクト、バーチャラインナノ工業の開発支援プロジェクト、それからAI管理庁情報管理局主催の次世代人工知能会議への出席。そんな予定になっています」

「いつもありがとう。ワークスペースに関連資料を全部展開しておいてね。早速、タケモト社のプロジェクトから取り掛かるから。ローザ。論理サポートをお願い」

「承知しました」


   *


 リカコは、クラインテック製の最新データグローブを左手に装着すると、ワークスペースでAIデザインの作業を開始する。エレメントを憶えさせ、ニューラルネットワークを独自のアルゴニズムに則って描くのだ。人間の脳の数万倍の速度でディープラーニングが開始される。このアルゴニズムがAI設計者の能力と独創性のみせどころだ。リカコのデザインするAIが、多様な人々に対し親身で人間的な対応を可能にしているのには、このプロセスでの天才的なひらめきが大きく影響している、とローザは考えている。

 十分も過ぎた頃だろうか。

 目覚めたときに感じたローザとの齟齬が、さらに大きな波となって彼女の脳インプラントを襲ってきた。〈これは、単なるキャリブレーションの問題ではないわ〉嫌な予感がした。

「ローザ、ローザ!」彼女は少し大きな声で叫ぶ。

 従順なアシスタントAIは、なぜか数秒前からまったく反応していない。

「しょうがないわね!」

 リカコは、ネットに接続している全記憶域を手動でスキャンし、ワークスペース上に診断マップを表示する。マニュアルで全データをスクリーニングするのだ。十五秒ほどでスキャンは終わったが、総数何億件かのデータセグメントには侵入形跡も異常も発見できなかった。

 残るは隔絶防壁の内側だ。

 彼女自身が組んだ何重もの反撃型ウォールにより、ワールドワイドグリッドからの侵入を完全に隔離しているはずのプライベート記憶域。事実上のスタンダロンだ。

〈私の防壁が破られるなんてことはありえない〉

 記憶域を高速でスキャンする。

〈そう、凄腕のハッカーにだって、絶対に無理なんだから!〉

 リカコはだんだん苛立ってくる。

「ローザ! ローザ! さっさと防壁を複製して追加しなさいよ!」

 依然ローザからの返事はない。

 十五秒後、スキャンが終わる。

 スキャン結果を一瞥してリカコは愕然とした。あってはならない筈の侵入形跡を発見したのだ。しかも、侵入者は、この記憶域に保存されている機密レベルの企業や国家の情報には目もくれず、記憶域の内部を数秒間浮遊したあと、ローザとの接続に齟齬を起こさせる「種無しウイルス」を仕込んでいっただけだった。一世代、トラップ無し。悪さの範囲は限定されていて、簡単に無力化できて、削除すればシステムは元の状態に戻る。

 この相手は非常に知的で、彼女に高度な知恵比べを挑んできただけの、超ウィザード級ハッカーだ。


 リカコは、一瞬ですべてのウイルスを無力化した。

「ローザ」と、リカコはAIに声をかける。「どうしました?」

 微少な齟齬はまったくなくなっていた。

 プライベート記憶域に、見覚えのないメッセージファイルが残されているのを発見したのはローザだ。

「メッセージが届いているみたいですよ」

 リカコは、ウイルスチェックもそこそこに、そのメッセージを開封する。

 バーチャルスクリーン上に、知らない男性のアバターが展開した。

〈リカコ・スミタニ。あなたにわれわれのプロジェクトに参加してもらう。すでに理解してもらっていると思うが、君には拒否する力はない。本日、すべての予定をキャンセルして、座標9631にあるバーチャル会議室にアバターを送ってくれ。両隣は、9629と9643になる。時間はGMT14:00だ。楽しみに待っている〉

 メッセージの再生が終わる、アバターはデータごと消えていた。

「……ふっ、『素数階段』とは笑わせてくれるわ。やるじゃない、オッサン」と、リカコは声に出していった。


 彼女は、久々に、抑えきれない知的興奮を覚えている自分に驚いている。


 ローザは午後の予定をすべてキャンセルし、スケジュールの再調整を済ませた。

 メッセージの再生が終了するのと同時に、リカコのビットバンク口座に50万ビットユーロの振込みが確認された。

「あら、リカコ! これで少しは借金も減るわね」ローザは少し興奮気味。

「いってるでしょ。私の実力をもってすれば、あれくらいの借金なんてことないんだって」

「いえいえ、二十億円全部の完済までは、まだまだ長い道のりですけどね。ともかく十四時までは休憩ってことですね」


「まあ、これで面白いプロジェクトじゃなかったら、あのオッサンに人格破壊ウィルスぶちこんで廃人にしてやるんだから」と、リカコはいった。

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