第26話:【アーシェ】招かれざる客─4

 優秀な後輩は、すぐに戻ってくる。頼まれると予め知っていて、どこかへ用意してでもいたように。いやそれくらいに、ベスは獣に慣れている。特にネズミの類を。


「それは?」


 抱えられた焼き物の壺を、ゲオルグは指さす。苦笑から察するに、酒と勘違いしたらしい。兵士に酒なんて、悍ましい組み合わせだ。


「見れば分かりますわ」

「ベス、これに入れて」


 食堂の隅へ置いていた木箱を持って来る。野菜の保管に使うのだけど、今は空っぽ。ベスくらいなら、どうにか入れる程には大きい。

 壺が逆さにされ、木箱の底へ茶色い物体が落ちていった。指一本分の体長には何倍もの高さだけど、危なげなくひらりと着地する。


「うっ。どうしてこんな物を」


 ベスが獲ってきてくれたのは、小さなネズミが五匹。ゲオルグと若人が、揃って眉間に皺を寄せる。


「ちょっとした実験よ。あなたたち、どちらか手を突っ込んでみて。大丈夫、すぐに噛み付くことはないわ」

「なぜそんなことをしなければいけない」

「やってみれば分かるわ。女を脅すことは出来ても、ネズミには手が出ない?」


 怖れる気持ちはあるだろう。特に疫病の流行っている時期は、死神とも呼ばれるネズミだから。でもここ十年以上も、そんな兆候は無い。


「や、やれるさ!」

「ではどうぞ」


 若人が強がって、木箱に手を突っ込む。ゲオルグは止めようとしたけど、止まらなかった。

 ネズミたちは、真ん中辺りになんとなく固まっている。手があるのは、木箱の隅。勢い良く動いたのを警戒して、視線が向く。でもさほど興味を持った様子は無い。


「来ないな」

「もう少し。あ、来たわ」

「うぅぅ」


 何度か立ち止まりつつ、若人の手にネズミの一匹だけが近付いた。指先から甲にかけ、くんくんと臭いを嗅ぐ。


「ん。噛まないのか? あ、痛っ!」


 しばらく。ゲオルグがシチューを掻き込んだよりも、よほど時間を使って。ようやくネズミは噛み付いた。

 若人は必死に手を振り、ネズミを弾き落とす。


「これを塗っておくといいですわ。平気とは思うけど、安心しますでしょ」


 へたり込んだ若人に、ベスは小さな薬瓶を投げ渡す。後で代金を払ってあげなきゃ。

 ちょっぴりでいいものを、たっぷりと塗り込まれる。その様子に納得したらしいゲオルグは、「で?」と首を傾げた。


血吸いネズミザゥゲンマウスが、腹を空かせていないのは分かった。それがどうと言うんだ」

「どうなるかしら」


 ここからが本当の実験だ。やってみなければ分からないと、当たり前のことしか答えられない。

 若人が手を入れたのとは反対の隅に、手紙を滑り落とす。


「そんな物を入れても、どうも――」


 ただの紙に、血吸いネズミが興味を示すことはあり得ない。他のネズミと違い、伸び続ける歯を削る必要も無いのだから。


 しかしゲオルグは、どうもならないと最後まで言えなかった。ネズミたちが五匹とも、一斉に駆ける。親友から届いた、ただの手紙に。


「謝るわ。なにか起こっていそう、という話は間違ってないみたい」

「ど、どういうことだ。ネズミはなぜ!」

「分かりきっているでしょ。血を吸う相手、はともかく。血そのものの臭いには逆らえなかったのよ」


 嫌悪感などどこかへ置いて、ゲオルグは木箱に手を突っ込んだ。ネズミを払い落とし、手紙の裏と表を繰り返しに何度も見返す。


「血痕なんて無いわ。でもたぶん、ギュンターは怪我をしているのね。しかも満足な治療をしていないか、包帯から血の滲み出すような」


 まさかヘルミーナに使った、持ち主の感情を読み取る魔法を使うことも出来ない。ゆえに憶測しか出来ないけど。きっと怪我の臭いが手紙に移ったのだ。

 そうなるだけの時間をかけなければ、ギュンターはたったこれだけの手紙を書けなかった。


「ギュンターは頭がいい」

「なんの話かしら」

「頭がいい分、余計なことにまで気を遣う。もうどうにもならんと、諦めたに違いない。でなけりゃ栄達を祈るなんて、口が裂けても言うものか」


 あいつは俺の十倍も負けず嫌いなんだ。と、酸の沼に嵌まったような苦悶の表情で吐き捨てる。

 二回。いや三回。深い呼吸で、落ち着きを取り戻そうとする。おかげで幾分、苦しそうではなくなった。代わりに怒りが顕れたけど。


「だから俺なんかに、こんな手紙を出した。あいつなりの、別れの印なんだろうさ。しかしあいにく、俺はあいつの百倍も諦めが悪い」


 ぎゅっと。くしゃくしゃに手紙が握り潰される。でも舌打ちをして、すぐにまた広げられた。

 元通り封筒に。それから腰の小袋に納め、ゲオルグは若人を怒鳴りつける。低く、我が奥歯を砕かんとするように力を篭めた、静かな怒声で。


「悠長にしていられん。なにがなんでも車軸を直す。行くぞ!」

「了解!」


 床を踏み抜かんばかり、ゲオルグは階段へ歩み去る。答えた若人も、跳ね起きて続く。

 ようやく行ってくれた。と思ったのに、若人が後ろ歩きで戻ってきた。なにかと思えば、あたしに指を向けて怒鳴る。


「女! お前は大袈裟と笑うが、兵長は止めたのだ! しかし俺たちが、図々しく着いていくだけだ! 必要になってからでは遅い。だから勝手にな!」

「だからなに。非道を働くと勘違いしたことは、もう謝ったわ」


 幼馴染の手紙をきっかけに、略奪へでも行くのだと思った。衛兵隊に居られなくなった小悪党に違いないと。

 しかし。起きている真実は分からないけど、少なくともゲオルグは嘘を吐いていない。兵士が嫌いでも、それくらいの判断はつく。


「そ、それならいい」

「いいんだ? あ、そう言えば。急いでミスしたと聞いたけど、本当に?」


 家から出て行くゲオルグの足音に、若人は焦った視線を向ける。でもあたしの質問には、律儀に答えた。


「操っていたのは俺だ。急いでいたが、どうってことない曲がり道だった。車輪が急に滑った、いや誰かに引っ張られたような感覚があった。でもたぶん、ぬかるみでもあったんだろうさ」

「そう。実は最近、他にも故障させた人が居たの。明るくなったら見ておくわ」


 とは嘘だ。故障どころか、馬車や荷車もほとんど見ていない。

 街道の不具合まであたしのせいと言いたいのか、若人は指を震わせる。でも結局、諦めて去った。


「お姉さま、相変わらずですわね」

「そりゃあね。戦うことが商売なんて。ましてやそれを誇りに思うような奴ら、好きになれるはずない」


 空いた皿を、ベスは片付け始めていた。そんなことしなくてもと言いたいけど、今は先にやることがある。

 裏へ下りる為に階段へ向かうと、「どちらへ?」と問われた。


「言葉だけじゃ足らないかと思って」

「お姉さま……」


 まだ問いの残る空気はあったけど、構わず階段を下りる。あたしだって、こんなことをしたくない。でも無かったことにするのは、もっとない。


「大地の骨よ。変幻自在の姿を持つ者よ。集まりなさい、我が思う形に。新たな役目を果たしなさい」


 畑の周り。そこらじゅうの地面へ、魔力を送る。地中の砂鉄を集める魔法を使った。

 満月の光が、夜闇を切り裂いている。せっかくの明るい空を、黒い靄が埋め尽くした。それはやがて長い一本の棒となり、ガランと重々しい音を立てて転がった。


「新し過ぎるかな。表面に錆を付けとけばいいか」


 作りたての車軸を担ぎ、衛兵たちの下へ。暗い街道を歩いていると、後ろからランタンの灯りが近付いた。

 振り返れば、ベスの姿が。その手には、シチューを移したらしい手鍋があった。

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