第20話:【正太】非ざる者─2
案内したのは、二階の大部屋だ。七、八人で泊まれるように、ベッドはない。代わりに毛布を重ねて敷き、ヨルンさんを横たわらせた。
フードを外した彼は黒に近いグレーの短髪を後ろに撫でつけ、男臭い雰囲気がした。ヨーロッパの軍人さんの写真で、こんな感じを多く見かける。白黒の時代のだ。
「早速だけど、水をもらえる? 飲むのと、身体を拭くのと」
「すぐに」
手慣れた風に、ユリアさんはローブとシャツを脱がせた。思った通り、鋼のように鍛えられた胸板が現れる。
厨房へ行き、バケツとカップに水を汲む。大部屋に戻ると、アーシェさんが口説かれていた。
「これは美しいお嬢さんだ。良ければ今宵、二人の未来について語り明かそうではないか」
背中を壁に預け、息も荒く。それでもヨルンさんは、不敵に笑む。
しかしアーシェさんの目に、労りは無い。じとっと冷たく、あからさまな蔑みが感じられる。
「元気そうね」
「そうなの。若い女と見たら、お構いなしなんだから」
言いつつ。ユリアさんはバケツに気付き、浸していた手拭いを取る。と、腕を大きく振りかぶり、ヨルンさんに向け投げつけた。
「心配をするな、ユリア。俺が本当に愛しているのは君だけだ」
「うるさい。黙って寝てなさい」
つかつかと近寄り、目を吊り上げながらも手拭いを拾う。ユリアさんは首すじから脇、胸に背中と、丁寧にヨルンさんの汗を拭いていった。
彼もされるがまま、身を任せている。頑なに、横にはならなかったけれど。
「あいにくだけど、
「えっ。じゃあやっぱり、僕がぴったりじゃないですか!」
僕の主が言い寄られるのにはムッとした。でも、条件まで挙げてくれたのはありがたい。
だというのにアーシェさんは、喜んで駆け寄った僕の額をぴしゃりと叩く。
「なんでショタァまで交ざるの。こいつの特徴を言って、穏便に断ってるだけよ」
「穏便でしたか?」
疑問には答えてもらえなかった。まだ僕の手にあるカップを指さし、「飲ませるんでしょ」と。
仕方ない、やるべきことはやろう。お客さんのお世話も、僕の仕事だ。
あれ。でもこの二人は、お客さんなのかな。また疑問を抱え、ヨルンさんの所へ。
「少年。お前もあのお嬢さんを狙っているのか、なかなか見処がある。俺たちは、ライバルというわけだ」
「ダメです。アーシェさんは僕の物です」
などと言いながらも、水をあげないとか意地悪をする気にはなれなかった。苦しそうに、肩というか背中全体で息をしている有り様だ。
「ああ、うまい水だ。見たところ、ここは宿屋か」
「ええ。他にもお守りとか」
心地よさそうに息を吐き、部屋を見回したヨルンさんはポケットを探った。
取り出されたのは、一枚の金貨。国境を越えたと言うだけあって、見たことのない模様の。
「食事を頼む。足りなければ言ってくれ」
「ええと。あっ、ユリアさんのですね」
「いや俺のも。二人分だ」
「食べられるんですか?」
耳を疑った。どう見たって食事を受け付けそうにない。元気なのは言葉だけで、声にも張りが無いというのに。
「パン粥でいいですか」
「少年が作ってくれるのか? それもいいが、出来れば肉がいい。血の滴るような、分厚いやつを」
「はあ」
暑いときこそ熱い食べ物を、みたいなことだろうか。どうしたものか困っていると、ユリアさんが苦笑で言った。
「ごめんね、この人我がままで。ほんと出来ればでいいから、言う通りにしてあげて」
「いえ僕はいいんですが。分かりました」
大部屋を出て、厨房へ。するとアーシェさんも続く。
血のしたたるような肉なんか置いておけないから、どこかで調達する必要がある。きっとその為に。
「じゃあ、なにか探してくるわ。ショタァはスープでも作ってて」
「ええ。でもアーシェさん、薬のことは言わなくて良かったんですか?」
魔女というと大きな鍋を前に、怪しげな薬を作っているイメージがある。「イェーヒッヒッ」とは言わないけど、アーシェさんも薬が作れるのだ。
しかし彼女が言い出さないものを、僕が勝手に言うわけにはいかなかった。
「うん。彼に効く薬は、あたしじゃ作れないと思うから」
「そんなに悪いんですね……」
石をメインにする魔法は得意だけど、薬草をメインにした調薬はそれほどと聞いたことがある。
だからヨルンさんの病状を見て、対処出来ないと判断したのだと思う。たしかにそれなら、薬が作れるなんて教えないほうがいい。
「それより。たぶん大丈夫とは思うけど、変なのが来たらすぐにあたしを呼びなさい」
「変なの?」
「やっぱりおかしいのよ。間違いなく誰かが、この家に妙な仕掛けをしてる」
わざわざしゃがんで、耳元で囁かれた。くすぐったくて背中が震えるのを堪え、僕も彼女の耳に声を向ける。
「心当たりがあるんですか?」
「たくさんあるけど、最近ではニーアの件ね。ザビネに妙な薬を渡した男」
町の女性に危害を加えていた、ギルベルトさん。「監視も付いたことだし、衛兵も無能じゃないわ」と、アーシェさんは特になにもしなかった。
その監視役であるところのザビネさんは、ちょっと怖い空気を持った人だった。
「行ってくるわ、気を付けて」
箒に跨り、魔女はすぐに見えなくなった。気を付けようもあまり無いのだけど、物音とかに耳をすませていればいいか。
ともかく言われた通り、スープの用意をしなければ。今からあれこれやっていると、昼食の頃合いになる。僕たちのも含め、たっぷり五、六人分ほども干し肉や野菜を切り分けた。
「一人なの? 急がなくていいって言いに来たんだけど。ヨルンが寝ちゃってさ」
ちょうど湯が煮立って、料理っぽい香りのし始めたころ。ユリアさんがやって来た。もの珍しそうに、食堂から厨房を覗きこむ。
ヨルンさんの後、自分も汗を拭いたんだろう。首もとまでの髪が、さっきよりすっきりと動く。
「ええ、お肉の準備が無かったので。眠れたんですね、良かった」
「あちゃあ、悪いね。ある物で良かったのに」
「いえいえ。病気の人が食べたいって言うんだから、食べてもらわないと」
「凄いね。ショタァだっけ、何歳?」
食堂の椅子を厨房の端まで運び、ユリアさんは座った。
九歳と答えると、今度は目を見開いて驚く。ヨルンさんと対象的に日に灼け、くるくると表情の変わる楽しげな人だ。
「九歳だって? 私の知ってる九歳や十歳は、食って寝てバカやってるよ」
「あはは。居候ですし、そうもいきません」
正直なところを答えたのだけど、ユリアさんはしばらく返事をしなかった。息を呑んだような気配だけ、なんとなく感じたきり。
「……そっか。ショタァもまともな生まれじゃないんだね」
「も、ですか」
ことことと、静かに揺らぐ鍋の中。僕はずっと、そちらばかりを見ていた。たぶん今、ユリアさんの顔を見るには勇気が足りない。
「私さ。盗賊なの」
「盗賊というと、人の物を」
盗賊という言葉は、日本に住んでいた僕に馴染みがない。もちろん意味は分かるけど、物語に出てくるのと同じかたしかめたくなった。
それが面白いらしく、ユリアさんは声をあげて笑う。息詰まる空気が消え、僕はようやく振り返る。
「うん、そう。悪者なの。国境を越えて来たって言ったでしょ。私が失敗しちゃって、向こうの国に居られなくなってさ」
「僕が聞いてもいいお話ですか?」
棚から塩を取りながら問うと、ユリアさんは手を差し出した。小さなスプーンにひと匙、載せてあげる。
「うん、聞いてよ。バカな女の話」
舌をぺろっと。塩を舐めたユリアさんは、甘そうに口角を上げ、もごもごと味わった。
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