第17話:【アーシェ】幸せの少女─3
「好き。大好き。私きっと、一番幸せ。誰よりも」
「そこまで……」
いくら抑揚に乏しく、僅かも上向かない口角でも。まばたき無しに見つめられては、説得力が甚大だ。
頬を赤らめたショタァは、次を言うのに何度か口ごもる。
「え、と。ハンナさんは、どんな人ですか?」
「可愛い」
「そうなんですね。ヘルミーナさんも可愛いし、二人並んだらとても目立っちゃいますね」
危なかった。「一番可愛いのはあんたよ」と、吐血しそうな気分。素直に他人を褒められるのは、幼さの特権だ。
ヘルミーナもぶんぶんと、横に首を振っている。
「女の子が一番嬉しいの、可愛いって言われること。ご主人さまが教えてくれた。だから誰より、ご主人さまが可愛い」
意見の一致は無かった。もちろん人それぞれに、違った一番があっていい。
うんうんと、あたしは三度頷いた。だというのに、ショタァの顔は曇っていく。
「へえ――ハンナさんもきっと、ヘルミーナさんにたくさん言ってくれたんですね。可愛いって」
「お話したら、何回も。でも私も、同じだけ言ったの」
「二人とも、お互いが大切なんですね」
言い終えると同時に、笑みが失せた。彼の瞳はヘルミーナを映すものの、どうも別の場所を見ている気がした。
真顔で向かい合う二人のうち、女の子が首を傾げる。相手が急に黙ってしまったので、無理もない。
「どうしたの。私なにか悪いことした?」
「あっ、いえ、そんなことないです! ただ、凄いなあって思って」
「なにが凄い?」
合わせていた視線さえ、俯いて切れかけた。しかしショタァは、諦めたようなため息を吐いて元へ直る。今度は作り物でない、苦笑を浮かべて。
「ヘルミーナさんが捨てられたなんて、絶対にそんなことないです。なにか事情があって、ハンナさんも悲しんでると思います」
「どうして? なんで分かるの?」
ヘルミーナが椅子を立つ。間違いなく彼女とは違う気持ちで、あたしも立ち上がりたくなった。
誰も聞いていないのをいいことに「絶対、なんて無いのよ」と悪態を吐いて治める。
「だって二人とも、お互いを大切にしてるじゃないですか。信じ合ってるじゃないですか」
「信じる。私、ご主人さま信じてる?」
「そうでないと、ここまで歩いて来ないでしょ?」
馬車で丸一日や二日の距離を、魔法無しで歩けと言われたら拒否する。断固として。
そもそも怠惰なあたしよりは、ヘルミーナのほうが真面目だろう。それでも文字通りに足を擦り減らして歩くとは、と。その言い分には同意する。ただしハンナのほうは分からない。人間の気持ちは移ろうものだ。
「うん。私、ご主人さま信じてる。でも困らせたくない」
「大丈夫です。そうならないよう、アーシェさんが方法を考えてくれます」
「私、待ってる」
喉を詰まらせたようにさすりながら、ショタァは反対の手をヘルミーナに伸ばす。「そんなことないよ。あんたのお手柄だよ」と呟いたのはあたしだ。
ともあれ、これなら真実を知っても問題無いだろう。最悪は、うちのマスコットに置くのもいい。
見えた結論に向かう為、タイガーアイを拾おうとした。その直前、ヘルミーナの両手がショタァの手を包む。
「ショタァ、どこか痛い? アーシェ、来てもらう?」
空腹や疲労を感じなくとも、人間の不調は理解出来るらしい。ヘルミーナはテーブルを回り込み、ショタァの全身を眺めた。
たしかに彼は、つらそうに目を細めている。急な腹痛でも我慢しているかというほど。
理由の当ては付く。自分とヘルミーナとを比較しているのだと思う。年代の違いこそあれ、主となる人物に従う立場。
彼女は捨てられながらも、ハンナを愛している。対して自分はどうかと。あたしに言わせれば、前提がおかしいのだけど。
「平気です、痛いわけじゃなくて。苦しい、のかな」
「分かった。私、アーシェ呼ぶ。階段、行っていい?」
「いえ違います。そうじゃないんです」
離れようとする手を、今度はショタァが握って止めた。当然にヘルミーナは、理解出来ない風に首を捻る。
「僕の為って、たくさんの手間とお金をかけてもらったと思うんです。でも今の僕は、そんなの嘘だと思ってる。なんでヘルミーナさんみたいに思えないのかなって」
違う。そうじゃない。伝えたいけど、どの面提げてとも思う。
自分を棚に上げるのは簡単だけれど、もう少し見ていることにした。あれこれ経験したあたしが言うより、ショタァよりも未熟なヘルミーナのほうが上手く伝えられる気がして。
「よく分からない。嫌なことされた?」
「僕の為です。厳しい言葉とか、習い事で自由な時間が無いとか。つらいのは僕の勝手で、僕の為になることなんです」
銀色の頭が、反対に傾く。彼女はまた「よく分からない」と、きっぱり。
「つらい。嫌なことでしょ? 嫌って言った?」
「言いま……」
答えかけて考えるショタァ。彼のことを、あたしも勘違いしていたらしい。
両親の言い分は全て無条件に正しいと思わされている。そう認識していたから。
「言ってないかもしれないです」
「ショタァは話せるから、言わなきゃダメ。アーシェ、言えば分かってくれる」
「あっ、違います。アーシェさんじゃないです」
危ない危ない。あたしが悪者にされるところだった。ヘルミーナも頷いて、「それなら良かった」と言ってくれる。
「アーシェ、優しい。ショタァはアーシェのこと、好き?」
「好きですよ。ずっとここに居たいです」
「じゃあ、つらくない」
悩む必要は無い。彼女なりの言い方に、ショタァも首肯する。歯車へ砂粒でも詰まったみたいに、ガクガクとした動きなのは目を瞑っておこう。
「ハンナの居る町は、おいしい物があるかな」
タイガーアイを拾い、あたしは階段へ向かった。ヘルミーナを送り届けたら、ショタァの好きな物をなんでも用意しようと誓って。
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