第二章:想い遂げる方法

第15話:【アーシェ】幸せの少女─1

 ニーアに居たのは、もう六日も前なのに。我が家の可愛いショタァは、元気が無いように思える。

 哀れに死んだ女性の怨念が、よほど怖かったのか。それとも歪んだ大人の情愛を目の当たりにして、気分を害しているのか。

 どちらにしても可愛い男の子の「なんでもないです、大丈夫です」なんて強がる姿は痛々しい。


 いやまあ。それはそれで可愛いというのも、認めるにやぶさかでないけど。

 苦しそうにため息なんか吐かれては、やっぱりどうにかしてあげたくなる。でもなにも思い付かなくて、自分の無力と無能を痛感した。

 えっ、待って。あたしの頼りがいが無くて、幻滅してるとかそういうこと?


「アーシェさん。もう片付けて大丈夫ですか? パンが残ってますけど」

「食べる食べる。ショタァが焼いてくれたの、おいしいよ」


 切らしていた小麦粉を使い、塩パンの作り方を教えてあげた。油と塩で捏ねて、ちょっと寝かしておくだけで簡単に作れる。

 そうしたら毎日、毎食、律儀に出してくれるようになった。あたしは別に、肉だけとか魚だけとかでも構わないのだけど。


「そんな無理しなくても」

「無理じゃないの。食べるの」

「分かりました。他の食器を拭いてきますね」


 ああ、行っちゃった。苦笑もしてくれない。たった五、六歩の距離だけど、厨房の水場がやけに遠く感じる。

 いっそ安易に「もう、なにを悩んでるのか教えてよぅ」と背中へ飛びつけばいいんだろうか。


 そんなこと。あたしがショタァにされたら、なんでも暴露する自信がある。

 ショタァでなかったら?

 それを聞いてどんな罠を考えるつもりか、と疑うに決まってる。あたしはこっそりため息を落とし、腰の小袋をテーブルにひっくり返した。


「あれ。今のはお昼ごはんですよ?」


 二人で三枚のお皿とフォーク。ショタァはあっと言う間に拭き終え、戻って来た。

 朗らかな陽気が窓から降り注ぐのに、あたしが昼と夜を取り違えたと本気で思っているらしい。


「分かってるわ。あんたにプレゼントをあげようと思って」

「僕に?」


 目や口元が、嬉しそうに綻んだ。椅子へ座ろうとしたのが、止まってしまうのも可愛らしい。

 でもそれはほんの一瞬で、すぐに遠慮という看板を掛けた苦笑に変化する。あたしが見たかったのは、それと違う。


「これ」

「綺麗な橙色ですね。でもこれ――」

「ガーネットよ。どうやって持つのがいいかな、やっぱり首に掛けるのが便利よね」


 ショタァが言いかけた言葉は予想出来る。きっと高価な物だから、受け取れないと。

 たしかに人間の商人から買えば、これ一つでそれなりの家が建つ。あたしは自分で見つけてくるから、タダだけど。


 断れなくする為に、さっさと鎖を通す穴を空けた。テーブルの引き出しから純銀の鎖を出し、石と両方に魔力を通す。


「大地の鏡。生命を真似る者。その形ある限り、持ち主を写し続けなさい」


 橙色の中心がふわと光り、すぐに消える。見た目には普通の首飾りとなんら変わりない。


「はい、どうぞ。魔法とか呪いとかを防ぐお守りよ」


 なぜ今まで、こういう物を渡してあげなかったんだろう。常に一緒だから、必要ないと感じていたのか。

 だとしたら、とんだ思い上がりだ。死なんてどこからでも飛んでくると、嫌になるほどあたしは知ってるはずなのに。


「アーシェさん。僕、これを貰ってもいいんですか?」

「いいに決まってるよ。あたしの使い魔だもの」


 銀の鎖を握ったものの、ショタァは首にかけようとはしない。目の前へ持ってくるでもなく、受け取った位置でぶらさげたまま。


「でも僕、なんの役にも立てません。使い魔なのに、邪魔してばかりです」


 ああ、もう。全身余すところなく撫で回したい。それとも小さくして、あたしの首へ貼り付けるのがいいか。

 それならずっと頬擦りしてることになって、天へ召されそう。


「邪魔なんてことないよ。うぅん――ああ、死霊に食われかけたこと? あれはあたしの油断のせい。謝るならあたしのほう」

「でも」


 なるほど、自分の価値を見失ってるのか。そんなものを求めても、意味が無いと最後に知るのだけど。

 意味があるとすれば、知るまでの過程だ。


「ねえショタァ。ここに座ってみて」

「え、ええ」


 彼の座る椅子をあたしのすぐ隣へ引き寄せ、座面を叩く。可愛い使い魔は、素直に座ってくれた。


「どう?」

「どうって、なにがですか」

「立っているより、話しやすくない?」

「それはまあ……」


 あたしが話すと、じっと目を見てくれる。すぐにハッとして逸らそうとするけど、また戻ってくる。

 分からなくても、分かろうとしてくれる。彼はいつも、全身であたしを必要としてくれる。


 それだけで十分過ぎるんだよ。と言っても、たぶんショタァは納得しない。価値とはなにか理解するまで、分かりやすい役割りを求めるものだから。


「椅子ってね、誰かを座らせる為に生まれたの」

「そ、そうですね」

「だから椅子は、そのことしか考えてない。座れば落ち着けて話しやすいとか、座るあたしたちが勝手に感じてるだけ」


 伝わってほしい。なにも難しくなんかないことが。まだまだ幼い彼に、やるべきことなんて限られてることを。


「人間はもう少し色々出来ちゃうから、混乱するよね。でもそれなら、自分の得意なこととか好きなことを見つけたほうが楽しいよ」

「楽しいなんて。アーシェさんが椅子に座ったまま、なにもしなくても全て済ませられる。そうでないと僕の居る意味が無いじゃないですか」


 あらら、また極端に思い詰めたなあ。

 不安で自分を矮小化して、正反対になれるよう背伸びをする。とか、あたしにも覚えがある。窒息するくらい。


「ええ? あたしを運動不足にさせる気ね」

「えっ、いや。そういうことじゃなくて」

「うふふっ。分かってる」


 からかうつもりはないのに、彼を見ていると笑ってしまう。胸の奥の温かな場所から、微笑みの種が運ばれているよう。


「あたしの言いたいのはね、焦らないでってこと。あたしが九歳のころ、魔法なんて使えなかった。お茶の淹れ方も知らなかったわ」


 あまりしつこく言っても、あたしのほうがわからず屋と思われる。しかしこういうとき、お話の纏めみたいなものを言うのは良くない。

 けれどそれ以外に、話題を切り替える術が見つからなかった。案の定ショタァは「分かりました」と、無理に拵えた笑みを浮かべる。


「――あれ? 誰か呼んでる」


 互いに黙って、数拍。足の下から声が聞こえた。正確には床の下で、一階に客が来ているらしい。


「ショタァ。いつも通り、お茶をお願い出来る? たぶん一人よ」

「もちろんです」


 二人は並べない、狭い階段を下りる。気分転換にちょうど良かったと考えつつ、不思議にも思う。

 馬や馬車の気配は無かった。歩いてのひとり旅は、些か危険だ。いったいどんな人物かなと。


「お待たせしました、店主のアーシェです。どんなご用件で?」


 年齢、性別、身分。最初の言葉は、誰が相手でも同じにしている。対する反応で、こちらの態度も決めさせてもらう。

 今日のお客さまは、やはり一人。白いドレスの裾を持ち上げ、右の踵を引く。ちょっとぎこちないけど、貴族めいた挨拶だ。


「私、ヘルミーナ。ご主人さまのところへ行きたいの」

「へえ。ご主人さまはどこに居るの?」


 十歳前後。塗り分けたように線の濃い、銀色の髪。真っ白な肌は、土埃に汚れたドレスよりも透き通って見えた。

 靴は履いていない。長く歩いたらしく、スカートの裾があちこち千切れかけている。

 それでも疲れた様子も無く、「あっち」と。ニーアとは反対の方角を指さした。


「ご主人さまって?」

「ハンナ」


 なんとなく、彼女が何者か理解出来た。助けてあげるのは簡単だけれど、それがこの子やハンナに不幸とならないか。

 考えていると、ショタァも階段を下りてくる。トレイにお茶の準備を怠りなく。


「えっ。この子が一人でここまで?」

「そうみたいよ」

「それは大変でしたね……」


 よほどのことがあったと想像したようだ。鎮痛な顔で椅子を勧め、お茶を振る舞う。


「で、ヘルミーナ。どうしてほしいの? ここまで歩いて来たなら、ご主人さまの所へも行けるでしょ」

「行ける。でも私、ご主人さまに捨てられたの。私、ご主人さまが好きなのに。どうしたらいいか教えて」


 やっぱり。

 出されたカップを珍しそうに、矯めつ眇めつ。というヘルミーナを、同情で見つめるショタァ。

 どうしたものか、あたしも誰かに答えを聞きたい。

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