第二十四話「C7」

                 ◆


「――せ、ん、ぱぁぁぁああああああい!」


 街を歩いていたら、急に横から変な女に抱きつかれた。

 火曜日の放課後。私は心療内科での定期健診を終え、家に帰ろうとしているところだった。


「楓せんぱい! 楓せんぱいですよね! やっぱりそうだ! わああああ!」


 その、銀色に染めた派手なツインテール頭に見覚えはない。

 だけどその声と顔には見覚えがあった。


「おまえ、……金子?」

「はい! どっちだかわかります!?」

「……。アキ」

「ぐへー!? 違いますう! ハルの方ですう!」


 まあ、知ってたけど。表情豊かで、うるさい方が姉のハル。双子の金子姉妹。私が以前一緒にバンドをやってた一つ下の後輩。

 今眼の前に居るのは、その片割れだった。


「お姉ちゃん、急に走り出してどうし……うそ、楓先輩?」


 思ってる傍から、もう一人銀色の髪をした奴が駆け寄ってくる。双子の大人しい方、妹のアキ。顔は同じだけど髪型は違う。長めのボブカット。

 そしてその更に向こうの方に、二人の女が立っていた。


「……誰? 知り合い?」

「……ああ。うん」


 一人は見たこともない、背の高い金髪の女。

 もう一人は、すぐに誰か分かった。髪型は変わっているけど、相変わらず教育ママみたいな趣味の悪い赤縁眼鏡を掛けている。


 国枝舞子。ヴィクトリカのドラムスでリーダー。

 私の唯一の、――親友だった女。


                 ◆

 

 そうして、昔のバンド仲間に囲まれた私は強引に駅前のファミレスに連れ込まれた。テーブル席の両脇を双子に挟まれて、ステレオでそれぞれ別々の事を話しかけてこられて頭が混乱する。せっかく頼んだケーキの味もよくわからないまま、私は苦い味のコーヒーを啜った。


「あ、もうこんな時間。それじゃ先輩、用事あるので私これで失礼します!」

「あ、わたしも。先輩、また今度時間ある時ゆっくりお話しさせてください」

 

 話したい事だけ一方的に話すと、嵐のように双子は去っていった。さっきから用事ってなんだろうな。彼氏か? あの背の高い金髪の女も用事があるとか言ってすぐに店を出て行ってしまった。必然、舞子と私だけがその場に取り残される。


「……おまえは、行かなくていいのか」

「……頼んだパフェ、まだ来てないから」


 沈黙。


「……おまえは、なんか用事とかないのか」

「……ないけど。何?」

「……ふうん」

「……何よ。言いたいことあるならはっきり言えば?」

「……別に。その調子じゃ彼氏もいないんだろうなって」

「は、あ、ああ!? うっさいわ! っつーか別に暇じゃないってえの! 少なくともアンタに関わってる時間はもうないっ!」

 

 札金をテーブルに置き、バッグを肩にかけると舞子は勢いよく席を立つ。


「待てよ」

「……今度は何よ」

「パフェきたら私が食べていいのか」

「勝手にしたら!?」


 真っ赤な顔を更に真っ赤にして舞子はずんずん歩いていく。

 が。なぜか急に踵を返して戻って来た。


「……なんで戻ってきた?」

「……パフェ、アンタに食われるのやっぱ癪だから。食べてく」

「ちっ」

「え、舌打ちした今?」

「空耳だろ」

「いや絶対したでしょ今!」

「してないぞ」


 相変わらず食い意地張ってる女だなと思っただけだぞ。


「……まあいいや。楓。アンタにちょっと聞きたいことあったんだ」

「……言っとくけど、バンドに戻って来いとか、そういう話は、」

「はあ? 自惚れてんじゃないわよ。全然そんな話じゃない。……あの二人はあんな事言ってたけど、あたしはそんな気全くないから。今更ヴィクトリカにアンタの居場所なんかない。さんざん振り回してくれた挙句、勝手に出てった奴を誰が戻すか。……あたしらが、あれからどんだけ苦労したかわかる? わかんないでしょうね。いつも自分の事しか頭にないあんたには」

「……そうだな」


 考えられうる限り、私たちは最悪の別れ方をした。コイツの言う通り、私はバンドを滅茶苦茶にして出て行ったろくでなしで、謝って済むような些末事じゃない。


「……ま、でも別に。今更恨んでもないけどね。アンタがバンド抜けてくれたお陰で、色々大変だったけど。あたしも曲作り見直すいい機会になったっていうか。ぐちぐちうるさい奴が居ないお陰で、気兼ねなーく色んな事を試せて、ヴィクトリカの音楽性は格段に広がった。そりゃ最初はさんざんだったけど。今じゃ固定客もついてチケットはすぐ売り切れるし、物販の売れ行きも好調。もう言う事なしって感じ。だから今はむしろ、あんたに感謝してるくらいよ」

「……そりゃどうも」


 嫌味ったらしい口調で舞子は語る。……それにしても響から聞いたけど、割と今は人気らしいな、ヴィクトリカ。私からすれば結構、信じ難い話だ。バンドを抜けた時、あいつらが三人でやっていけるのか不安に思ってもいたから。まあ、さっきの金髪が新メンバーだろうから、今は四人でやってるんだろうけど。


「で? 聞きたいことってなんだ」

「え? ああ。それは、その……」


 視線を落とし、舞子は何やら口をもごもごさせる。 


「……ひ、響くん、のことなんだけど」

「……は?」

「……あたしの事、何か言ってた? もしかして怒ってたりとか、してた?」


 何かと思えば、あいつのことか。……そういえば、こいつ。


「……お前。まさかまだ響の事狙ってるのか?」

「ね、狙っ……!?」

「あいつまだ15だぞ。年の差考えろよ」

「べ、別にいいでしょ! いいいいいから質問に答えなさいよこのスカタン!」


 ……高一の時、こいつを家に連れてきたことは今でも後悔してる。いわゆる一目惚れとかいうやつで、舞子は響に恋をしたらしい。当時響はまだ小六だから、私にはこいつが変態としか思えなかった。大体響と私は顔がそっくりなんだから、それで一目惚れとかさらに気持ちが悪い。


「別に……何も言ってなかったけど」

「そ、そう……。じゃあ最近、響くん何してる?」

「何してるって、本人に直接聞けばいいだろ」

「できないからアンタに聞いてんじゃん。……なんか、電話もメールもこないだから全然応答なくて。なんか怒らせちゃったのかなとか、」

「どうせお前が、あいつに無理やり迫ったりでもしたからだろ」

「してねえわ!」

「……お客様大変お待たせいたしました。こちらスペシャルパフェになります」

 

 くだらない口論を交わしていると、店員が豪勢なパフェを置いていく。


「そんなの食ったらデブるぞ」

「デブらないっつの。ドラムの運動量なめんな」

「ふーん……」

「……な、なによ。そんなに食べたいなら、一口くらいならあげてもいいわよ」

「おまえの唾ついてるからいらない」

「あっそ!」


 また顔を真っ赤にすると舞子はパフェをがっつきだした。

 相変わらずガキみたいな食べ方だなと私は思った。


                ◇


 二人でファミレスを出る。太陽は沈んで、空はもう群青の色が差していた。


「はあ。なんかどっと疲れた。誰かさんのせいで」

「へえ。ろくでもない奴もいたもんだ」

「いやアンタよアンタ。他に誰が居んのよ。ったくもう本当、この相変わらずのクソ女……」


 否定はしないけど、お前も相変わらず口やかましい女だと思う。


「ま、でも久々に顔見れて安心したわ。言いたかった事もたっぷり言えたしね」

「……その割には、大人しかったな。一発くらい、ぶん殴られるかと思ってた」

「……。あ、あたしだって、また会ったら一発引っ叩いて、とことん罵ってやろうって気だったわよ。……でもなんかアンタ、ほんと呆れるくらい昔のままだから。殴る気、失せちゃった」

「……どういう理屈だ? 殴りたいなら殴ればいいだろ」

「……いい。それよりもちょっと、一緒に歩こ。駅まででしょ?」

「……? 別にいいけど」

 

 駅までの短い距離を、信号機に足を止められながらゆっくり歩く。こいつの狭い歩幅に合わせて歩く感覚を、身体は今でも覚えていた。

 また信号に捕まって、舞子はどこか遠い目をしながら、溜息がちに口を開く。


「……なんか。こうしてアンタと歩いてると、すんごい懐かしい。アンタとその辺ほっつき歩いてたのそんな前でもないのに、何でかなー……もうすっごい、昔のことに思える」

「……そうだな」

 

 嘘だ。本当は真逆だった。こいつと街を歩いていたのが、私にはほんの昨日の事のように思える。だけどウェーブのかかったこいつの髪の毛も、鼻先をくすぐる香水の匂いも、あの頃のこいつとはもう違う。私の知らないところで、私の知らないものを見て――こいつは今、私の横を歩いている。


「……ねえ楓。ストリングス、って覚えてる?」

「? ああ」

「あたしとアンタで作った、一番最初のアルバム。あれってさ、アンタのせいでギターが全部バカテクじゃん。だから再現できなくて、ずっと封印してたんだけど。こないだ久々にライブで演ったんだ。響くんがゲストで入って、あんたのギター頑張ってコピーしてくれて。……そしたら、すっごい客受けよくて。びっくりしちゃった。今まで結構な数ライブやってきたけど自分のライブでダイブとか起きたの初めて見た。あの夜は、最高だったな。お客さんの雰囲気も凄い良かったし。今まで色々辛い事あったけど、バンドやってきて良かったって心から思えた」


 しみじみと眼を細める舞子の顔は、何故か寂しそうに見えた。

 何も応えないまま、私は舞子の横を歩く。

 そして駅前の歩道橋まで辿り着いた所で、ふと足を止め、口を開いた。


「舞子」

「ん?」

「悪かったな。……あの時のこと。全部、私のせいだった」


 眉を顰めて、不審そうに舞子は私を見る。


「……何、今更急に。そんなこと」

「……別に。ただ、また言い忘れる所だったなって思ってさ」

 

 ビルの隙間から覗く夜空を見上げながら、茫然と呟く。

 困惑した表情で立ち尽くす舞子を一瞥すると、私は一人で歩き出した。


「……金子たちにも伝えといてくれ。じゃあな」

「……っ待って!」

 

 後ろから追いかけてきた舞子が、私のジャージの袖を掴む。


「……何だ?」

「……楓。アンタ、あれからずっと、どうしてたの? あんなにメールしたのに。なんで一言も返してくれなかったの。それに、――なんであの時、アンタのお父さんのこと、何も言ってくれなかったのよ。……ねえ楓。答え、てよ」


 振り向くと、舞子は今にも泣きだしそうな顔で俯いていた。


「……アンタがあの時出て行って、学校に来なくなった時。アンタについて、ろくでもない噂が流れてた。死んだ父親が借金抱えてたとか、そのせいで変な店で働かされてるとか、クソみたいな噂ばっか。あんたのこと嫌ってた連中が、好き放題言いふらして」


 唇を噛み締めて、ぽろぽろと涙を零しながら、舞子は絞り出すように声を紡ぐ。


「その中でも、最悪だったのは。――アンタが、自殺しようとしたって。家のドアノブで、首、吊って。意識ないまま、病院に運ばれた、って」


 そして、口にした。嘘でも噂でもない、醜い真実のことを。


「嘘だって信じてた。だけど本当かどうか、わからなかった。電話してもメールしても反応ないし、アンタの家行ってみても、いつも誰も居なくて。響くんも、何も詳しい事は教えてくれないし。アンタと喧嘩別れしたこと、その時凄い後悔した。だってあの頃のあんたは、……お父さん亡くして、すごく辛かったのに。あたし、そんなこと知らないで、あんたに酷い事ばっか言ってバンドから追い出して。……あんたの居場所を、最後の心の拠り所を、奪っちゃったんじゃないかって」


 何も奪ってなんかない。お前は一つも悪くない。私が八つ当たりで、全部自分から放り出しただけだ。言うべきなのに、言葉がつかえて出てこない。


「……ねえ、楓。アンタ、今、本当に大丈夫なの? 二年もずっと音沙汰なしで。学校で友達とか、いるの? 辛い事とか、ないの。あたし達が力になれることとか、……何か、ないの?」


 沈黙する。本気の視線が痛かった。

 だけどこっちは、本気になるわけにもいかない。

 わざとらしく溜息を吐き、私はぽりぽりと後ろ頭を掻く。


「……別に何もない。大体そんな大した話じゃないしな」

「……え?」

「父親の事は、確かに色々あったけど。その後の事は全然関係ない。進路の事とか、母親の再婚の事とか。色々面倒臭くなったから。嫌なこと全部すっぽかして、毎日テキトーに過ごしてただけだ」

「……は?」

「だから、お前が思ってるような深刻な事なんて何もないよ。ただ、だるいからサボってただけ」

「……は、はあああ?」


 大口を開け、舞子はわなわなと震えだす。


「何だ? 自殺って。馬鹿馬鹿しい。お前そんな話信じたのか」

「信じてない、けど。……近所の人は、救急車は本当にあんたの家に来てたって」

「……。じゃあ本当のこと教えてやるよ。家で倒れたのは、ヤケ酒起こして酔っぱらって階段で転んだから。あと隠れてタバコ吸ってたのも学校にバレて、ごたごた忙しかったから。これで納得するだろ」

「は、はあ!? じゃあ酒飲んでタバコ吸って停学になってただけってこと!?」

「そうだよ」

「なにそれふざけんな! あたしの涙を返せ!」

「人のこと勝手に妄想して泣く方が悪い」

「こ、んのおおおおおお!」


 激昂した舞子がすごい剣幕で掴みかかってくる。

 ここ歩道橋の上だぞ。本気で殺す気か。


「……はあ。なんか心配して損した。そりゃそうよね。アンタなんてのほほんと生きてるカメってか、むしろスッポンみたいな凶悪な奴だし。そこまで繊細な奴じゃなかったか……」

「なんだ、その例え」


 色々と納得がいかない。それとも自分は月だとでも言いたいのか。


「……ねえ、楓。さっきは、ああ言ったけど。あたし本当はまたアンタと――」

「舞子」


 言葉を遮り、はっきりと私は言う。


「おまえのバンドだろ。頑張れよ」

「……楓」


 はっとした様子で、舞子は目をぱちくりさせる。

 やがて、ふっと鼻を鳴らすといつもの明るい笑みを浮かべた。


「……そ、そうよね。アンタなんてどうせ今更バンドに戻したところでグチグチうるさいだけだろうし? それにあの衣装、アンタ絶対着ようとしないでしょ? あれ着れないともうヴィクトリカ名乗る資格ないんだからね! あ。アンタ男みたいだしどうせそもそも似合わないか」

「お前もあんなの着たって、痛いオタク女にしか見えないぞ」

「はあ!? な、なめんな! 私だって結構人気あるし! 上から数えて四番目よ!」


 それって最下位じゃないのか。変な眼鏡かけすぎて数も数えれないアホになったんだろうか。


「そういや楓。アンタは今バンドとかやってないの」

「やってるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい」

「え? なんで? やればいいのに。まだあんでしょ、軽音楽部」

「あんなとこ、ただの遊び場だろ」

「いや、そこはまぁ、否定はしないけどさ……それでもあそこで、あたしら出会ったんじゃん。今だって誰かいるんじゃないの? メタル好きなやつとかさ。っていうかそうだ。響くんいるじゃん」

「……おまえさ。私、今年で二十歳だぞ。そんな奴が制服着て学校通ってるだけでもひどいのに、軽音楽部でバンドやるとか、馬鹿にしか見えないだろ」

「いいじゃん別に。バンドやるのに年の差なんか関係ないわよ。それにどっちかっていうと、ギター弾いてないあんたの方が馬鹿っぽいわよ」

「どういう意味だ、それ」

「そのままの意味。……楓。あんたなんてどうせギターしかないギター馬鹿なんだから。メタルでもパンクでも何でもいい。弾きなさいよギター。だってあんたは、ギタリストでしょ?」


 ――つい最近。どこかのアホに、似たような事を言われたような。


「それからヴィクトリカはまだまだこれから、どんどん成長する。いつかあんたが後悔するくらいの凄いバンドにしてやるつもり。だから、……ちゃんと目ぇ開けて見ときなさいよ」


 人指し指を突き付けながら舞子は言う。


「あたしから言いたい事はそんだけ! じゃ。響くんによろしく」


 私が嫌味を言うよりも先に、舞子は駅の改札の向こうへと消えていく。

 キャンキャンうるさいあいつの声がなくなると急に寂しくなって、私はしばらく立ち尽くしていた。

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