第十六話「ライク・ア・ストーン」
◆
『悪いけど、もう話しかけないでくれ』
『――え?』
幕切れは呆気なく、期待した程の痛みもなかった。雨の日の交差点、困惑した表情で立ち尽くす一ノ瀬に背を向けて立ち去ったのが昨日の事。結局私が得たものといえば、いつもの生ぬるい、自己嫌悪だけだった。
(何をしてるんだろうな、私は)
何がしたいのか、もう自分でもよくわかっていない。
そもそもからして、おかしい話だ。死ぬほどのストレスが欲しいなら、他にいくらでも方法はあるだろうに。思考が鈍ってるのか、そもそも馬鹿なのか。両方か。とりわけこの頃は特に調子を乱されている。色んな奴が、私の近くに来たせいで。
私は、何も変わらないと思っていた。一年半も引き籠もり、凝り固まった私の感情は、もう誰にも代えられないはずだと信じていた。
だけど、実際には違った。話しかけてくる一ノ瀬を無視できなかった。口喧嘩で負けたことのない弟に言い負かされた。挙句の果てには気に入らない奴の口車にのって、差し出されたギターを拒めず、あろうことか――その時間を。
「……」
苛立ちが収まらず、ベッドの下に隠したタバコの箱を探す。けれど出てきたのは空の箱だけで、何か別の事で気を紛らわせようと無意識の内に手を伸ばしていたのがエレキギターのネックで――ますます腹が立ってきた私は、溜息を吐きながらまたベッドに横たわる。
――外に出よう。
大嫌いな人混みに紛れれば、この寒気も少しは収まるかもしれない。
◆
「――あれ? 楓先輩?」
午後、日も傾きはじめた頃。駅前のチェーンのドーナツ店に腰を落ち着けていると、急に声をかけられた。眺めていた携帯の画面から視線を外すと、派手派手しい髪色をした女子が、ドーナツが盛られたトレイを手にして立っている。
「ああ、やっぱ楓先輩だ。こんにちわ」
誰かと思ったら五十嵐だった。
私服姿で、髪型もポニーテールにしているから一瞬誰だか分からなかった。
「ん? どした香月」
「あー! こないだの、ギターめっちゃ上手い先輩でしょ! ちわっす!」
五十嵐の後ろから友達らしい女子二人が近づいてきて、適当に会釈する。片方は帽子を被っていて眠そうな眼をしてる女。片方はやたらに明るいギャル女。こないだ昼休みにギター弾かされた時に、野次馬の中に見た顔だ。
「あ、そだ! せっかくだから相席しません!? ちょうど隣あいてるし!」
「ちょ、おい亜美。やめろって、迷惑だろ」
「えーでもわざわざ離れて食べるのも変じゃね? どすか先輩! うちらと相席!」
「……いいよ。好きに座れ」
「やったー! じゃあ、あーし隣いただきー!」
正直意味は分からないけど、断るのも面倒だから受け入れる事にした。
私の正面の席に五十嵐が座り、他二人は隣の席へ。それから三人はずっと喋りっぱなしだった。流行りの服が化粧が恋愛がどうとか、時々私の方に質問が飛んでくる。暫くすると二人がコーヒーのお替りと追加のドーナツを注文しにいって、私と五十嵐だけがその場に取り残された。
「……すいません。騒がしくて」
「……別に。気にするなよ」
「……っそれから、こないだのことも。本当すいませんでした。高宮の奴、ごちゃごちゃ何か言ってたと思うけど。気にしないでください」
粛々と頭を下げる姿は、なんだか不憫に見えた。思い返してみれば、五十嵐はあの時も一人だけ、明らかに乗り気じゃない表情をしていた。
「……五十嵐はなんであいつに――高宮に付き合うんだ?」
「……え? なんで、って」
「真面目に、辛くないかああいうの。そうやって、頭下げたり。色々振り回されて大変そうに見える」
「ああ、……まぁ。大変は大変ですけど。別に全然、辛くはないです」
それを聞いて、一つ。ある考えが頭をよぎる。
「……それって、好きだからとか?」
「え、は!?」
五十嵐はあからさまに顔を真っ赤にした。図星だからなのか、見当違いすぎて怒っているのか、鈍感な私にはよくわからない。
「違ッ、ち、違いますよ! 全然そういうんじゃないです、マジで!」
なんだ違うのか。当たり前か。私はこの手の勘が当たった試しがない。
「あいつとはただの幼馴染っていうか、腐れ縁っつうか、その」
「ああ――元から知り合いだったのか」
「はい。……要は、友達です。でも、別に友達だから組んでるってわけでもなくて。あいつ、ギターはともかくボーカルとしては普通に使える奴だとは思ってるし、それに、何か、……あいつには、アタシにないものがあるから、だと、思います」
「……ないもの?」
「……はい。アタシって、なんつーか昔から――けっこう消極的っていうか引っ込み思案で。自発的に何かをやろうと思った事とか、あんまりないんですよ。ドラムも、親父と兄貴がしつこくやれっていうからやり始めただけで。今日も、別にやることなくて家でぼーっとしてたら友達に誘われて。……でも別に、それが嫌ってわけでもなくて。……だから要は、やる気のある奴らと相性が良いんです、多分」
首を掻きながら、五十嵐はどこか恥じ入るように言う。
「……そんでこれも、別に大した話じゃないんですけど」
それから、五十嵐は高宮の置かれている状況について話し始めた。中学の頃、文化祭でひどいライブをして、それをネタに虐められていたこと。高校に入った今も、軽音楽部のガラの悪い連中に目をつけられて、嫌がらせを受けている事。
そこで、ようやく状況が見えてきた。あの奇妙な校内放送の意味。高宮にうっすら付き纏っていた違和感の正体。――いじめられっ子なのか、あいつ。
「……高宮は、正直誰かに何か言われても仕方ないくらい、ウザくて痛い奴かもしれないけど。でも根っこは多分真面目で、冷静な奴なんですよ。少なくとも、音楽に関しては真剣に考えてる。歌だって前はそこまで上手くなかったけど、1年くらい見ない間に、凄い上達してて。相当努力したんだって分かったし」
それが真実だとしても、私には関係がない。本当はなんだろうと、迷惑な奴と変わりはない。だけど、庇うように話す五十嵐の表情はどこか苦しそうで、――そんなことを言う気にもなれない。
「……あいつは、昔から失敗ばっかしてる。だけど、そのたび何度も立ち上がろうとしてる。無理して、虚勢張ってでも。多分、それがやらなきゃいけないことだって分かってるから。だからアタシは――友達として。あいつが立ち直れるきっかけとか、作れたらって思って、……いや、」
そこで一度言葉を飲み込むと、五十嵐は視線を落としながら言う。
「……ただ自分が。後悔しない為に、付き合ってるんです」
「……そうか」
はっきり分かったことが一つ。――五十嵐は良い奴だ。凄く、友達思いで。
自分の都合で他人を傷つけてしまう私なんかとは、全然違う。
「…………。ってかさっきからそこ二人。なんでそんな遠くに座ってんだ」
「いや、だってなんか入りづれえし」「それな!」
横を向くと、端っこの席に五十嵐の友達二人の姿があった。カウンターから戻ってきた後、重い空気を察して離れていたらしい。
「……それじゃ先輩、長い時間すみませんでした」
「お疲れ様です」「またうちらも誘ってくださいっ!」
それから適当に時間を過ごしたあと、四人で店を出る。
外は雨が本降りになっていて、もうだいぶ薄暗かった。
「……あ、すいません楓先輩。ちょっと」
道を別れたところで、五十嵐が一人で駆けてくる。そしてバッグの中から携帯電話を取り出して私に言った。
「あの、もしよかったら。連絡先、交換してくれませんか」
「……ああ」
まただ。また私はこんな風に、冷酷になれない。
どうでもいいはずの他人を、撥ね退けられない。
「ありがとうございます。それじゃ、また!」
ひとり、傘を差して空を見上げる。
雨はまだまだ止みそうになかった。
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