第六話「Razorlike Blue」

                  ◇


 昼休み。俺は二年B組の教室でコンビニ飯を一人でかっ食らっていた。しかし何だか今日は妙に視線を感じる。ひそひそ話に対して耳ざとい高宮イヤーはその内容を聞き逃さなかった。どうやら今朝の事がもう知れ渡っているらしい。


「あ。いたいた」


 声がした方を振り向くと、見覚えのある二人が俺の座る席までやってきた。


「久しぶり、高宮」

「お、水無瀬か。おっす」

「うわ。マジで茶髪になってやがる……」

「出たな安藤。この裏切りもんが。さっさと帰れ。しっしっ!」

「何だてめぇ! せっかく来てやったのに!」


 茶髪で眼鏡で人のよさそうな顔をした方が水無瀬秋一みなせあきひと

 で、この恩着せがましく浅ましい顔をした野郎が安藤龍之介あんどうりゅうのすけ

 二人とも元軽音楽部で、今の俺にとっては数少ない、友人と呼べる存在だ。


「聞いたよ。また軽音でなんかやらかしたんだって?」

「ん? ああ。まあな」

「おめーも懲りねえよな。坂上とか相手にするだけ損だろ。マジで神経疑うぜ」

「はっはっは。いやさすが、去年俺が坂上に絡まれたら急に他人の振りして逃げてった男は言うことが違いますなぁ!」

「たりめーだろ。リスクマネジメントって言葉知らねえのかお前は」

「ああん!? まあそれはそうだわ。お前が正しい。いや俺ってほら? リスキーな男だし? ちょっと安藤ごときには、手に負えなかったかなーっていう……」

「何言ってんだコイツ……? 今日はいつにもまして頭おかしいな」

「ははは。あ。それより、坂上たちとバンド対決するって話本当? なんか退部を賭けて戦うとか聞いたけど」

「おう。マジマジ。来月の選抜ライブで。まぁ、戦うのは三好先輩とだけどな」

「え?」

「は?」


 食事の手を止め、安藤と水無瀬はぽかーんと大口を開けた。


「……高宮、お前。今なんつった? 俺の聞き違いか?」

「……三好先輩と戦うって、どういうこと? 坂上たちとじゃないの?」

「うん。坂上の代わりに三好先輩のバンドと俺が戦うって感じ」

「いや、さっぱりわけわかんねえ。何でそんなことになんだよ」

「やれやれ。まったく察しが悪いな安藤。そもそもだ、坂上が俺なんかの勝負まともに受けると思うか?」

「あん? ……いや、まったく思わねえけど。そもそもメリットないっつうか、むしろどっちかっつうと、リスキーだしな。もし三好先輩たちがお前に手ぇ貸すみたいな事になったら、あいつらも勝ち目ないだろうし」

「お。なんだ今度は急に賢いな安藤。そんじゃ、あいつらに勝負を受けさせるにはどうしたらいいと思う?」

「はぁ? ……いや待て、お前まさか……」

「……三好先輩のバンドと戦うって条件つきで、勝負を受けさせたってこと?」

「そう! さすが水無瀬、大正解! いやー我ながら名案だったぜはっはっは!」


 俺がわざとらしく笑うと二人は困惑した表情で首を傾げる。


「……いや、それ名案どころか本末転倒じゃね…?」

「なーに大したことねえって。勝てばいいんだよ勝てば。できらぁできらぁ。一か月後に三好先輩のハルシオンを……え!? 一か月後に三好先輩のハルシオンを!?」

「ああ。コイツやっぱアホだわ」

「俺もちょっと本気で心配になった」

「なんつって、冗談だよ冗談。んなこと全部先刻承知よ」


 ペットボトルに残った水を、一息に飲み干して容器を潰す。


「……どっちみち、ここらが潮時だと思ってたしな。俺が軽音で邪魔な奴って思われてんのは事実だし。三好先輩たちと同じステージに立てんのも、今年で最後だし。だから、……色々ケジメつけるには、いい機会かなって思ってよ」


 うっかり、暗い言い方になってしまった。

 安藤と水無瀬は顔を見合わせて黙り込み、やがて軽く溜息を吐く。


「まあ……別にいいんじゃね? そもそもお前、去年の初っ端から軽音で浮いてたしな。ゆるい雰囲気なのに一人だけやたらモチベ高すぎるっつうか」

「あ。それわかる。俺も軽い気持ちで軽音入ってたからびっくりした」

「そんなガチでやる気なら最初っから外でバンドやれよっていう」

「おう何だ安藤、俺がスタジオにメンバー募集の張り紙貼ったらウンコのラクガキされてた話蒸し返す気かコラ?」

「いやそれは知らねえけどよ。お前が軽音にこだわってる理由って、ハルシオンに勝ちてえとか全国大会に出たいとかだっただろ、確か?」

「お? おお。まぁな」

「ぶっちゃけそれ、俺あんま意味ねえと思うんだよな。音楽好きなら別に、普通に音楽やりゃいいじゃん。大会だとか誰に勝ちたいとか、むしろナンセンスだろ」

「ぬぐッ……まぁそりゃ、そうかもだけど。何だろうな、こう。男の意地っつうか、メンタル的に? それ逆に逃げじゃねえかって思う所もありまして?」

「ま、とにかく。負けたら負けたで踏ん切りつくんじゃねって話。お前歌だけは無駄に上手いんだから、外で地道に探してりゃそのうちどっかで拾われんだろ」

「そうそう。何なら俺、坂上たち相手なら高宮の方が余裕で勝つと思ってたよ」

「お、お前ら…………」


 ちょっと涙腺が緩みそうになってしまった。やはり持つべきものは友達か。


「…………え~、ではそんな貴様らに耳よりの情報だ。えっとね~? 僕ちょっと今ぁ~暇そうな元軽音部のギターとベースを募集してましてぇ~?」

「あ、ごめん。それはパス」

「俺も死んでもパス」

「チッ!」


 友達甲斐のねえ奴らだな! まあそんな気はしてたからいいけどね!


「……ん? なんか一成から電話来た。なんだろ」


 机の上で震える携帯を手に取り、廊下に出る。


『おっすー、タカミー。今飯食ってるとこ?』

「あー、そうだけど。何か用か?」

『んーと、今朝の話覚えてる? バンドに香月ちゃん誘ったらーって話」

「五十嵐? いやそれは、全然まだだけど」

『うわーやっぱり! そんなことだろうと思った!』

「や、別に忘れたわけじゃねえよ! ただちょっと今朝は色々あって……」

『ふーん。まぁ、とにかくさ。善は急げだよ。今日中に話しかけちゃえ! 絶対だよ! そんじゃあね!」

「は? おい、……ってもう切れてるし」


 なんなんだあの野郎。わざわざそれだけの為に電話かけてきやがったのか。

 

「……五十嵐、か」


 正直、かなり気は進まない。ずっと、あえて避けていたことでもある。

 今回の件を話したところで、あいつが何を言うかなんて容易に想像がつく。

 俺に手を貸してくれる可能性なんて、ゼロに等しいだろう。


(でも、それならそれで)


 逆に気楽か。それに、ここであいつを避けるのはそれこそ逃げになる。

 五十嵐はいつでも正しい奴だ。だから、俺が心配することは何もない。

 放課後会いに行って、ありのまま思うこと全部ぶつけてみよう。

 久々に、あのおっかない顔に睨まれるのも悪くない。


                 ◇

 

 放課後。D組の教室前をうろついていると、そいつはすぐに見つかった。

 何せ凄く目立つ格好をしているから一目で分かる。ブレザーの代わりに着こんだスカジャン、無造作に伸ばしまくってる金髪、風邪でもないだろうに着けているマスクは暴走族みたいで、頭頂部からはアンテナのような寝癖が伸びている。


 ――五十嵐、香月。

 

 うん……。やっぱりヤンキーだよなあれ? パッと見ヤンキーにしか見えませんのだが?? クソ真面目だった陸上女子が何故ああなるのか。謎すぎて怖い。

 それはそれとして、五十嵐は何やらお仲間のギャル女子二人と話し込んでいるようだった。めっちゃ話しかけづらい。つーかやっぱ見た目こえーわ。マジでどうしてそうなったんだよ。あ、こっちに来る。


「ヘイ、ユー。そこのユー。ちょっと止まりんさい」


 眼の前を横切る五十嵐に、俺は思い切ってそう話しかける。


「あ?」


 すると、ぎろりと。五十嵐は横目でこちらを睨みつけてきた。その迫力に思わず変な声が出そうになる。背丈は女子としては極めて平均的で、俺からすれば小柄なんだけどそのせいで上目使いがものすごい三白眼になってヤバイ。ただでさえ目つき悪いから超怖い。女子高生がしていい顔じゃねえよそれ。さながら蛇に睨まれた蛙のように俺は立ち尽くす。


「香月ー? どしたん?」

「……。いや、なんでもない。行こ」


 呆けた俺から視線を切り、五十嵐はギャル友達と歩き去っていく。

 ……いやー怖かった。殴られるかと思った。もう今日はこのくらいでいいんじゃないかな? まあ、そうもいきませんよね。慌てて後を追いかける。


「おい、ちょ、無視すんじゃねえよ! そこの金髪ヤンキー!」

「あぁ? つーかさっきから誰だよお前」


 振り向きながら、五十嵐はまた俺を睨んだ。声に物凄くドスが利いている。

 っていうか誰って。ウッソだろ。最近俺の顔みんなに忘れられすぎじゃない?

 あ、しまった。そうだまたサングラス掛けてた。これのせいか。


「誰だとはご挨拶だな。この俺を忘れたとは言わせねえぞ、……五十嵐香月ィ!」


 勇ましく啖呵を切りながら、キレのいい動作で俺はサングラスを外した。


「……んん?」


 すると五十嵐は首を傾げ、ものすごく怪訝そうな顔をしながら俺の顔をまじまじと見つめる。しばらくすると、ようやく俺が誰か分かったようだった。かといって表情が明るくなるわけでもなく、五十嵐はしかめっ面をよりいっそうしかめて、


「……。帰るわ」


 そう言い残し、また足早に歩き去って行った。


 ……いやー怖かった。殺されるかと思った。もう今日はこのくらいでいいんじゃないかな? 頑張った俺。家に帰ってテレビでも見よまあそうもいきませんよね。慌てて後を追いかける。


「いや、帰るわじゃねえよ! 完全にもう俺が誰かわかってんだろ! わかった上で無視してるよねそれ! ねえちょっ、聞いて!? 待って! 置いてかないで!」

「香月ー、なんかあの人めっちゃついてくるよ?」

「気にすんな。ありゃ触ると臭うタイプのアレだから」

「人をカメムシみたいに言うんじゃねえ! 待って! マジで待って!? お願い! 話だけでも聞いて! 頼むからすぐ済むから! 五分だけ! 五分だけでも!」


 勢いあまってつい五十嵐のアンテナみたいなアホ毛を掴む。


「ッうっぜえ! うっとうしいぞクソ!」

「みぞおちッ!?」


 瞬間。俺の腹部に強烈なエルボーが飛び込んできた。たまらず床にうずくまる。

 いや、うん。今のは俺が悪かった。正しい正当防衛だよ? しかしもう少しこう何というか手心というか。もう少しで昼間食べたモノ全部出そうになったぞ。


「……はあ。悪い。二人とも先行っててくれ。こいつちょっとシメてくるわ」

「し、シメッ……!?」


 シメられんの俺!? それって具体的にどうなんの!? や、やだーーー!!


                 ◇


 そんなこんなで、五十嵐と無事(?)再会を果たした俺はD組の教室で話を聞いてもらう事になった。教室にはもうほとんど人は残っていない。一番後ろの窓際の席に五十嵐は座り、何故か俺は正座をさせられていた。いやごめん嘘ついた。正直今回の件はぼくの方に非があると感じたので自主的に正座をさせていただきました。


「で。何の用だよ」


 机に片肘をつきながら、ゴミを見るような眼つきで五十嵐は言う。


「えー。このたびにつきましては大変なご無礼を致しまして深くお詫びを申し上げると共に、実は折り入ってお頼み申し上げたいことがございまして」


 もはや何を言ってるのか自分でもよくわからん。丁寧語って難しいね。


「はあ? つーかお前、何だそのふざけた頭。脳みそにウジでも湧いたのか?」

「何も沸いてねえわ! いやー実はねこれ、春休みに東京の美容院行ってきて……」

「聞いてねーよハゲ。とっとと話済ませろ」

「ハゲてませんけど!? つーか聞いたじゃん今!」


 あごめんやっぱ聞いてはいなかったわ確かに。しかし。うわー。久々に話すけどこの人こんなに口悪かったっけかな。本当にヤンキーみてえじゃん。怖。さっさと本題に移っちまおう。


「ごほん。えー私事ではあるんですが実はこのたび改めてバンドを組もうという事になりまして。それであのー、俺の記憶が確かならー、五十嵐さんは確かドラムをお叩きになられる方だったような気がするんですけども」

「ドラムよりまずテメーを叩きのめしていいか?」

「なんで!?」

「その口調がなんか腹立つ」

「そんな理由で!?」


 まあ。口では殺すとか殴るとか死ねとか言うけど結局この人は基本暴力とか振るわないんだけどな。軽いプロレス技はたまにかけてくるけども。とにかく見た目や口ほど悪い奴じゃない。ちゃんと話せばきっとわかってくれるはず……。


「えーとその、ここまで言ったらもう大体話が読めると思うんですけど。もしよかったら五十嵐サンに、俺のバンドでドラムを叩いてほしいなー、なんて」

「断る。じゃあな」

「はい。ですよねー。お疲れ様でしたー」


 五十嵐は席を立つと颯爽と歩き去っていく。俺は平伏してそれを見送った。

 ……いやー怖かった。死ぬかと思った。もう今日はこのくらいで、


「じゃねえよ! ちょっと待て! 話終わってないから! まだ一分も経ってねえだろうがぁああああ!」


 いつもなら本当にそろそろ引き下がる所だが今年の俺は一味違う。ヘッドスライディングを決め込みながら、俺は五十嵐の靴に纏わりついた。


「は!? な、なにやってんだ馬鹿! このッ離せ――ッ!?」


 肩に下げたバッグでばすばすと叩かれながらも俺は一歩も退かない。

 そしてようやく、俺は五十嵐の靴の片方を剥ぎ取ることに成功した。


「て、めぇ……」

「ふははは。これを返してほしければ大人しく話を聞くことだ」


 この手を使うのは小学生以来だった。周りの視線が痛いが、この際手段は選んでいられまい。相打ち上等の捨て身戦法。見たかこれが俺の必殺技――


「……」


 こめかみに青筋を立てながら五十嵐はもう片方の靴を脱ぐ。なんだか身の危険を感じるのは僕の気のせいでしょうか。あっこれ多分気のせいじゃねえな死ぬ奴だわ二秒後に死ぬ奴


「大変申し訳ございませんでしたこの靴はお返しいたします」


 速やかに頭を下げ俺は五十嵐様に靴をお返しする。


「……ったく。今日はいつにもましてキモいな。マジで頭でも打ったのか? ふざけんじゃねえよ」


 近くの机の椅子を引き、そこに座りながら五十嵐は靴を履きなおす。


「はっはっは。いやー流石に俺も今のはキモかったと反省せざるを得ない所ではありますけども。必死で止めたのは別にふざけてるわけじゃなくて、真面目な話で」

「真面目な話?」

「はい。……俺とバンドやってくれませんか。もうやってたら、あれですけど」

 

 ぴくり、と。靴ひもを結びなおす五十嵐の指先が一瞬止まる。


「……バンド、ね。一年間も一人でぷらぷらしてた奴が、何で今更バンドなんかやろうとしてんだよ」

「いやバンド自体はずっとやりたかったんだけど、去年はちょっと初っ端からやらかしたせいでアレがアレなことになったんで……」

「知ってるよ。で?」

「えーと、実は今朝ちょっと軽音部で色々あってかくかくしかじか…」


 ざっと、俺は今朝の出来事を五十嵐に話した。


「……それで、お前。またあのバカ共に喧嘩売ったのか」

「うん」

「で、退部を賭けて、三好先輩たちと戦う?」

「はい」

「はい、じゃねえよ。バカかお前。アホだろ」

「だはは。いやバカかもアホかもしれねえけど。これだけは聞いてくれ」


 言いながら、俺はサングラスを外す。


「俺は本気だ」


 真っ直ぐな気持ちを込めて、そう言った。すると五十嵐は一層激しい目つきで睨み返してくる。その眼力に思わずのけぞりそうになるけど、目は逸らさない。


「……勝算あると思ってんのか? 相手はあのハルシオンだぞ」

「ああ、もちろん。条件次第では、全然勝負にはなると思ってる」

「……負けたらお前、また虐められるぞ」

「別に虐められてはねえよ。去年も、中学ん時も。俺が弱いから負けた。で、負けたから何か言われた。……ただそんだけの事だし」 


 苦笑しながら俺はそう返す。


「……本当に、アタマおかしくなっちまったのか? お前」


 五十嵐は、本当に心配そうな顔でそう言った。


「さあ。どっちかっていうと今までがおかしかったんだと思う。去年の俺はひどかった。勝手に自爆した挙句、あいつらから逃げ回るみたいにコソコソして、結局ずっと一人で練習してた。でも気づいたんだよ、……こんなのは、違う。こんなのは、俺のなりたいもんじゃなかったって」


 毎日毎日、何かに復讐するみたいに歌とギターの練習をして、いつか見返してやるなんてことを思うだけの日々。孤独を選んで得た一時の安息は、虚無感と後悔だけを残し、そのあとは何にもならなかった。


「俺はアホだし、ロックの定義が何かとかは知んねえけどさ。たぶん、根っこにあるのは”やりたいことをやる”って心意気なんだと思う。例え叩かれようが、誰に何言われようが、自分の本音を貫き通すっていう。だから――」


 また眉を顰めて、五十嵐は呆れた風に溜息を吐く。


「……お前、ほんとさっきから何言ってんだ? 聞いてるこっちが恥ずかしいぞ」

「んー、いやーまぁ俺ナルシストだから? こういう事平気で口走っちゃえるわけですよ。でも別に、子供の頃って大体みんなそうだっただろ? 木の棒振り回して悪者と戦う特訓したり、将来メジャーリーガーになるとか口走ったり。恥ずかしげもなく主人公気取ったりしただろうが」


 けれどいつしか人は自分を知る。分不相応なのだと己を恥じる。

 大言壮語を、嫌悪する。


「傍から見たら俺は痛い奴だよ。んなこと分かってる。本当に凄い奴に比べたら、大した才能ないってこともさ、知ってる。……でもだからって何もしない、ってのはしたくない。だって、――思ってるくせに、何もしねえのが一番恥ずかしいんだから」


 ぴくりと五十嵐は少しだけ肩を震わせて、切れ長の細い眼を見開いた。


「俺は決めた。もう自分の本音から目を逸らさない。分不相応だろうとなんだろうと、憧れたもんに手を伸ばしたい。……だから、絶対にバンドを組む。ハルシオンと同じステージに立つ。そんで思いっきり弾いて、歌いまくる! 言っとくけど負ける気はねえ。やるからには、絶対に勝つ!」

 

 もう一度俺は床に膝をつけた。いわゆる土下座の態勢。


「なら一人で勝手にやれって言われたらそれまでだし、筋の通らねえ話だってことはわかってる。だからこそ、こうして頼みにきた。……五十嵐! 俺と一緒にバンドを組んでくれ!」


 言い切ると同時に、俺はガツンと床に頭をぶつけた。人生で五本の指に入る渾身の土下座だった。その態勢を維持したまま返事を待つ。

 ………………。しかし来ない。一向に返事が来ません。

 沈黙に耐え切れず顔を上げる、と。

 五十嵐さんはなんか。スマホいじってました。


「えええええ!? オイ! ちょっ、俺の話ちゃんと聞いてた!?」

「うるせえバカ。黙ってろ」

「はい」

 

 眼も合わせないままそんな事言われてしまった。ちくしょう。迫真のスピーチだったのに。もしかして全部スルーされてたんだろうか。悲しい。


「ったく聞いてもねえ事うだうだ喋りやがって。終わりか? ならもういいだろ」


 スマホをバッグにしまい込むと五十嵐は席を立ち、俺に背を向けて歩き出す。

 ……残念だけどここまでだな。まあ俺の妄言を聞いてくれただけでも感謝するべきところなんだろう。今度こそ、俺は黙って五十嵐の背中を見送る。


「……おい、何ぼーっと突っ立ってんだ。行くぞ」


 しかし教室を出たところで、五十嵐は振り向きながらそんな事を言う。


「へ? 行くって何処に」

「アタシん家」


 …………。急に何言ってんだろうこの人。四コマ漫画の話かな?

 いや違う。五十嵐の家といえば――家の横にくそでかいガレージがあって五十嵐の親父さんがそこを趣味のメタルバンドの練習場にしてる。つまり、それって。


「え、じゃあ、オーケーってこと!? バンド組んでくれんの!?」

「違えよハゲ」

「だからハゲてませんけどォ!」

「まず今のお前の実力を見る。ド下手糞が一年間シコシコ練習した成果をな」

「あ、あー。そゆこと? なるほどな」

 

 しかしその言い方はどうなんだ。とても女子高生のセリフとは思えねえ。


「で、ダメそうだったら、それまでだ」

「……な、なるほどなー……」 


 それまでなのかー。それって俺の命の話じゃないよな。怖えわ。

 鞄を拾い上げ、俺と五十嵐は一緒にD組の教室を出る。


「あ」「ん?」


 しかし一緒に階段を降りていると五十嵐は不意に足を止めた。


「場所わかんだろ? 先行ってるから後で来い。そんじゃ」

「え。あー、うん。じゃあ後で」


 さっさと歩き去って行く五十嵐の姿を俺は黙って見送った。てっきりこのまま一緒に帰る流れなのかと思いきや別にそんなことはなかったらしい。まあ人目を気にしてのことだろう。高校生の男女が急に一緒に帰ったら何かしら噂が立つものだ。まして俺なんぞとつるんでるところなんて友達に見られたくないだろうし。


 いやしかし。なんていうか。こればかりは口に出すのも憚られるが。


 あんな恐ろしいナリの五十嵐さんも、普通にそのへんの感覚は女子なんだなと。

 そんな事を思いながら俺は十分後に学校を出た。


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