第四話「ノー・サレンダー」

                  ◇


「いやーだからマジで見たんだって。あのゴミ山の廃墟で赤い髪の女の幽霊をさ」

「へ、へー」「そうなんですか」

「うんうん。そんでなんつうかな、こう、スススーッって。スライドする感じで、足音もなく歩いてくのよ。そんで去り際こっち見てさ、笑うんだよ。にや、って。いやすげー美人の幽霊なんだけどそれが怖えの何の」

「そ、そう。よかったですね。……それより」

「ん?」

「ど、どなたですか?」

「え?」

「え?」 

 

 四月も半ばの通学路。見上げれば晴れ渡る、清々しい青空。

 桜散る河川敷の上、なんだか気まずい空気が流れる。


「…………ワハハ。うーん、面白い冗談だな! 85点!」

「いや冗談じゃないですけど!?」

「本当に誰!?」

「まあ落ち着けよ。君たちあれだろ。見たとこ新入生、ってとこだろ?」

「は、はぁ」


 指を鳴らしながら、俺は軽快に打って出る。


「それにそのピカピカのギターケースから見るに軽音楽部の新入部員ってとこだ!」

「えー……っと」

「いやみなまで言うな! でもとりあえず話だけは聞いていただきたい!」

「は、はあ。それで結局、どなたで……」

「ん? ああそっかごめんごめん! 自己紹介がまだだったな!」


 かけていたサングラスを外しながらキメ顔で俺は言う。


「俺の名は高宮。――ロックスターを目指す男だ」


 決まった。


「……………………」


 いや全然決まってなかった。

 新入生二人はマジかよコイツって感じの眼で俺を見ている。


「あ。……なあほら、この人、もしかして例の……」

「ん? オイオイオイ今なんか例のって聞こえたぞ例のってなんだ例のって!」

「う、うわあああ! すいませんすいません! 許してください!」

「いや何も取って食いやしねえよ!? ほら遠慮なく言ってみろって!」


 新入生二人は躊躇いがちに顔を見合わせると、譲り合うように視線を交わす。

 やがて片方が携帯を取り出すと、その画面を見せながらおずおずと口を開いた。


「え、えーと、なんか今、こういうメールが軽音楽部の中で回ってきてて」

「ん? 何だこりゃチェーンメール? 2013年にもなってまだこんな文化存在してんのかよ……ちょっとそれ貸してくれる?」

「あ、はい」

「えーなになに……‼要注意‼ 軽音楽部二年、高宮太志。別名『ゲロライダー』。一年前、そのウザさのあまり軽音楽部を追放された後、誰彼構わずひたすらバンドへの勧誘を繰り返すが未だに誰ともバンドを組んでもらえない悲しい存在。おもに早朝や夕方に活動が確認されるので、新入生および女子生徒は厳重に警戒を……と」


 差し出された携帯を返した後、俺はわざとらしく溜息を吐いた。


「ッ……噂ってのは全く……」


 サングラスを掛けなおしながら、俺はクールに地面にうずくまる。


「……大体あってる……」

「……大体あってるのかぁ……」


 とても可哀想なものを見るような眼で見られた。


「い、いや、でも別に一年の女子とかには全然話しかけてねぇし……追放っつっても別に退部にはなってねえし……まぁとにかくだ! まずは俺の歌を聴け新入生! そうすりゃちょっとは話を聞く気に――ってもう居ねぇし!!」


 俺が何かブツブツ独り言いってる間に新入生二人は退散してしまっていた。取り出したばかりのエレキギターを腹いせにかき鳴らすと、そのまま俺は河川敷の草むらにごろごろ転がり倒れ込む。

 

「はーあ……」


 青空を仰ぎながら、ブレザーの内ポケットからipodを取り出して、イヤホンを耳にねじ入れた。シャッフル再生を選択すると、爽やかなギターのイントロが飛び込んでくる。ブルース・スプリングスティーンの『No Surrender』。


(……降伏するなノー・サレンダー、か)


 高校デビューに失敗して、はや一年が経つ。

 暗黒としか例えようのない中学時代を駆け抜けた俺の前に待っていたのは、やはり何の変わり映えもない灰色の毎日だった。入学して二か月ほど、軽音楽部の先輩と大喧嘩をしたあの日以来、俺は学校での居場所を失い、独りで練習するだけの毎日を送っていた。


 そうして、あっという間に一年が経った。

 気がつけば、何もない十七歳の俺が居た。


 十七歳、っつったら何となく。一番主人公っぽい年齢だ。実際少年漫画やら何やらかんやらで、十七歳の主人公はかなり多い気がする。実際のところどうなのか知らんが、人生でふと自分の歳を数えた時に、意識するターニングポイントの一つではないだろうか。学校じゃ進路調査票なんかも配られて、ぼちぼち真面目に人生の行先を決めないといけきゃいけないって時期。


 だから、どれだけ勘の鈍い奴でもいい加減そろそろ気づく頃だろう。

 物語に出てくる十七歳と、実際の十七歳の自分との乖離。

 

 何も”特別”じゃない。

 嫌になるくらい、平凡な自分の姿。


(……ああ)

 

 だけど、懲りもせず。

 まだ俺は、自分が主人公だって信じてる。

 どこにでもいる、普通の高校生になんかなりたくない。


「……お」


 ボスの歌が終わり、シャッフルでかかった次の曲はまたしても「No Surrender」。今度はthe pillowsの軽快なロックチューン。俺の大好きな曲だ。だからってわけじゃないけど、今日はなんだかやれそうな気がしてくる。そんな事を思った矢先、


「はよっすーーーーーーーーーーーーーー!!」

「どわぁあああああああああああああああああ!?」


 突然後ろから大声をかけられる。

 振り返ると、そこには見知った顔があった。


「おっすタカミー! 今日も元気かーい!?」

「あ、ああ。なんだ一成か。おはよ」


 手をひらひらさせて笑うそいつは、俺の家の向かいに住む幼馴染の吉井一成よしいかずなりだ。俺より明るい茶色の短髪をくりっと立たせた、いかにも快活そうな風貌をしている。


「どしたん? 今日はやけに早いじゃん! あ、もしかしてまたバンドの勧誘?」

「おう。今日も惨敗、これでしめて15連敗よ!」

「マッジかー! もう逆に凄いよ! 流石タカミー! バンド勧誘失敗大会みたいなのがあったら三連覇くらいしてそうだね!」

「はっはっは! ぶっ飛ばすぞお前」


 一成は昔からこんな調子で、裏表がない天然野郎だ。その陽気な言動と人懐っこい面構えは老若男女問わず人気があるらしく、実際すげえ良い奴だから困る。

 だけどその愛称はいい加減やめてほしい。高見沢俊彦さんに失礼だろうが。


「いやーでも真面目に、きつい状況になってきた。なんかうちの軽音楽部、今年からちゃんとバンド組まないと退部になるらしいんだよなー……」

「ええ、そうなんだ。それじゃもしかしてタカミー、今大ピンチなの?」

「ああ。新入生にもあらかた声かけちまったし、どうすっかな……」

「うーん。せめておれが同じ学校だったらよかったんだけどねぇ」


 一成は中学時代、俺が無理やりバンドに誘ったこともあってベースが一応弾けないこともない。しかし本当に弾けない事もないってレベルだし、そもそも通っている学校が違うので軽音の大会には出られないのが問題だ。


「あ。そういえばタカミー。香月ちゃんにはもう声かけたの?」

「ん? ……ああ。五十嵐? いや、かけてねえけど」

「……え? えーっ! なんで!? ひっどいなぁタカミー。声かけてやれよー。せっかく同じとこ通ってんだからさー。小学校からの付き合いだろー」


 一体誰の事を話しているのかというと同学年の女子、五十嵐香月いがらしかづきのことだ。言ってる通り俺達は小学校からの付き合いで、リトルリーグで一緒に野球をやっていた。


「い、いや、一応俺も誘ってみようか迷ったんだけど。……ほら、あいつドラムめちゃくちゃ上手いじゃん。だからもう去年はいきなり色んなとこから声掛かりまくりでさ、掛け持ちでかなり忙しそうだったんだよな」

「あー、なるほどねえ。でもタカミーが言ったら助けてくれるんじゃない?」

「んー……どうなんだろ。なんか俺、あの人に嫌われてるっぽいしなぁ……」

「え? 嫌われてる? タカミー、まさか香月ちゃんになんかしたの!?」

「いや何もしてねぇよ!? ただ、なんか向こうがこう、近寄んじゃねえってオーラ出すんだよな。目合うとすぐどっかいくし見た目も急にヤンキーみたいになって意味わかんねえし。あんな真面目だったのにいきなり金髪だぜ金髪。どういうことだよ」


 五十嵐の特徴としては無愛想で眼つきが悪くて足が速くて髪が短くてデコが広くて眼つきが悪いことが挙げられる。クラスに一人はいる、スポーツ特化のボーイッシュ女子とでもいうのか。出会った頃は本当に男子みたいで、というかカズキって名前を勘違いして俺は普通に男子だと思い込んでいた。

 だがそんなボーイッシュな五十嵐も無事高校デビューを果たしたのか、去年の一学期の終わりごろには普通の女子並みに髪が伸び、夏休みが終わった頃にはなぜか金髪のピアス女になっていたのだった。


「いやー、まぁ確かに香月ちゃん見た目は凄いハジケちゃってたけど。こないだ話した感じ別に中身は全然変わってなかったよ? っていうかむしろタカミーが全然話しかけてこないから怒ってんじゃない?」

「いやどんな理屈だよ……」


 そんなんなら向こうから話しかけてこいよって思うが。


「……じゃあまあ一応、今度ダメもとで声かけてみっかね」

「うんうん。それがいいよ。そんでさ。もし他のメンバー見つからなかったら俺がベースやるからさ、また三人で一緒にバンドやろうぜ! もう三人しか居ないけど、広瀬ヤングジャガーズ! あの頃みたいに一緒にさ!」


 ぐっと親指を立てながら、一成は笑う。小学生の時と変わらない無邪気な顔で。

 それが少し眩しくて、俺はすぐに言葉を返せなかった。


「……ああ」


 俺もそんな風に笑えたらと思う。だけど無理だ。小学校最後のあの試合。派手につまづいたあの日から世界の見え方が変わってしまったから。どうにかなるなんて笑う自分が居る一方で、冷めた目で現実を俯瞰する自分が居る。

 

 だから、そんな無邪気に笑えない。


「そうだな。……そういうのも有りかもな!」


 だけど、またそうなれたらいいと思うから。せめてそう言葉を返した。

 ぎこちない笑顔を、サングラスで隠しながら。


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