13「兄弟」


 三羽はいつも一緒にいた。それは産まれた時からずっと。順番に産まれた三羽の烏。岩、氷、雷の順に産まれた烏。

 産まれてすぐ、岩は自らの身体が野生動物とは違うと漠然と感じていた。本来ならば物事を教えてくれる親という存在は、岩が産まれた時にはどういうわけかいなかった。

 枯れた神木の腕の中で、まるで護られるようにその巣はあった。だが、そこには、巣しかなかった。雄々しい父親の姿も気配すらもなく。何よりも深い愛情を与えてくれるはずの母の身体は、既に地に堕ちた後だった。

 これは後から知ったことだが、三羽の母親は全てあの神木の力で地面に埋葬されたのだった。それはつまり、父親の隠蔽だった。

 産まれたてのヒナ烏は、全く食事も睡眠も必要としないその身体を持て余していた。人の手を離れた境内には、刺激的な存在は何もなく。

 放棄されて久しいこの神社は、それでもひび割れた石畳や玉砂利には未だに薄っすらと人の匂いがこびりついている。そのためそれらを嫌ってか、野生動物が境内にまで進入してくることは稀だった。今から思えばあやかしである自分達や、その大元である神木の気配を嫌ってのことだったのかもしれないが。

 ピキピキ――

『お、産まれるんか。僕が手伝ったる』

 巣の中に残った卵は後二つ。そのうちの一つにヒビが入った。隣の卵よりは一回り程大きいそれから、これまた大きなヒナが孵る。産まれて日があまり経っていない自分と比べても、体格にあまり差がないどころか、おそらく彼の方が大きい程だ。

『うぅ……腹、減った……』

 次に産まれた氷はとにかく食事を求める烏だった。一際大きな身体がそうさせるのか、旺盛な食欲は産まれた時からずっとだった。彼だってあやかしなので、純粋な食が必ずしも必要なわけではないのだが、おそらくは、食べた瞬間の血肉に還元されるあの一瞬にとてつもない魅力を感じているに違いない。

 雷が産まれるまでは二羽でよく遊んだ。まだ外を飛び回るには羽根が生えそろっていないため、二羽の遊び場はその巣穴そのもの。揺り籠の中で遊ぶ二羽は、時に激しくそして優しく、お互いの存在を確かめ合う。お互いが“あやかしである”という事実を。

 そうこうしているうちに最後の卵にヒビが入った。小柄なメス烏はなかなかその硬い殻を破ることが出来ず、兄貴の二羽が代わる代わる手伝いながら、ようやくその身体が殻から出てくる。

 オス烏二羽とはまた違うメスの色香に、二羽はヒナ烏ながらにごくりと生唾を飲み込んだのを覚えている。産まれた時から異性を惑わすその空気は、氷曰く岩も持っているとのことだったが。

『私ら三羽は特別なんやな……』

 産まれた時からそう自覚していたのは、なにも岩だけではなかったようで。氷は少し鈍いから岩が丁寧に教えてやったが、雷は岩と同じく産まれて間もなく、自らが野生の理から外れていることを悟っていた。

『そうや。だからこそ、僕はお前ら二羽のことが何より大切や』

『そんなん、わざわざ言われんでも、俺らもそうやって。ほんまに』

 岩の言葉に照れたように笑う氷がなんだか可愛くて、その首元を嘴で突いてやった。

『痛って』

『はいはいお前らいちゃついてんと、今日は何するんや?』

 じゃれ合うオス烏二羽のことを白けた目で見ながら、雷が期待に満ちた声でそう聞いた。

 毎日巣の中で遊んだ三羽は、この頃にはしっかりと羽根が生えそろっていた。もう大空に飛び出す時も近い、と思う。まだ試したことはないが、おそらく大丈夫だと、この心が、本能がそう告げている。

『今日はな、ついにこの巣から出てみようかと思うねん』

『おー!』

『待ってましたー!』

 岩の号令に二羽が元気な返事を上げる。この頃は三羽でいつも、巣から首だけ出して境内を見下ろしていたのだ。

 これから飛行の練習をするにあたり、危険を全て見込んでおきたいというのが冷静な烏の頭の判断で。その為に昼夜交代で、三羽は境内の中を観察していた。

 境内を越えた森の中からは無数の野生動物の気配を感じる。生きたエサを必要としないこの身体だ。まだ満足に飛ぶことも出来ない半人前の烏が、わざわざ危険に飛び込む必要はない。だから三羽の最初の目標は、境内の範囲内に定まっていた。

 人がいなくなって久しい石畳の上を、時たま横切る影があった。それは決まって真夜中で、やけにこの巣が疼く時だった。

『……また来てるわ』

 雷が巣から顔を出して小さく呟いた。その呟きは決してこの巣の下には届かない。計算された呟きだ。産まれてから月日が経ち、彼女のその横顔は随分と大人びていた。月明りがその深い緑の瞳を優しく照らす。友愛以外の感情が沸き起こり、岩は静かにその目を逸らした。

『……人間、やな』

『ここんところ毎週やな。それに、あいつらも……』

 むくりと起き上がった氷が、雷の隣から顔を出す。産まれた時から一回りは大きかった彼の身体は、成長しても変わらずで、今では彼の動きにこの巣は、ギシギシと悲鳴を上げる程になってしまった。

 氷と雷の視線の先には、このところ毎週のように現れている人間がいて。そしてその人間に誘われるように、二匹の狐も森から出てくるのだった。

『あれって、多分……俺らと一緒やろ?』

『ああ、あやかしやな。同じ感じがする』

 その光景を見もせずに答える岩に、氷が少しムッとした様子で振り返る。彼はその大きな身体でバサリと飛び上がると、岩の上にずっしりと圧し掛かる。飛行に適したその身体は見た目の割には随分と軽いが、それでも自身の重量よりも重いことに変わりはない。

『あーくそ、どけデブ! ちょっとは痩せろ!』

『何も食わんでもこのままやから、きっと無理』

『お前、そんなん言いながら巣から届く範囲の葉、全部食ってるやろが』

 引き続きじゃれ合う二羽を放置し、雷がすっと巣の縁に足を掛ける。

『おい!?』

『私、あの狐ら気に入ったわ。人間も帰ったし、ちょっと話に行ってみる』

 そう言いながら小柄なメス烏は大翼を広げて、そのまま地面に向かって滑空していく。羽ばたきの練習こそ巣の上で行っていたが、実際に風を翼に受け止めるのは初めての行為だ。不慣れな動きで漆黒の大翼を動かし、なんとか落下のスピードを抑える。そこまでしか彼女には出来なかった。滑空といえば聞こえの良い、地への落ち方だった。

 そんな彼女のこと等全く笑えない二羽は、お互いに顔を見合わせ、無言でその後を追う。バサバサとほとんど墜落に近い落ち方をした氷を後目に、岩はそれなりに考えた通りの飛翔で狐たちの前に舞い降りた。

 突然の夜空からの強襲に、二匹の狐は怯え切っていた。まるまるとした身体を縮めるメスの狐の前で、オスの狐が足を震わせながらそれでも立ち塞がっている。その男気は、確かに岩も気に入った。

『……な、なんやねん。お前ら……』

 足と同じく震える声でそう問われ、岩は思わず後ろを振り返る。その視線に雷は肩をすくめて笑い、氷はようやく地面から身体を起こす。どうやら怪我はしていないらしい。派手に落ちたのに運の良いやつだ。『ん? 俺? 大丈夫やで』とにっこりと笑っている。

『……僕らは烏や。お前らと同じあやかしやから、まぁ……よろしゅう頼むわ』

 自己紹介にこれ以上の言葉は必要ない。

 元より烏達は人間の言葉を理解していたわけではなかった。どういうわけか自然と人間の――紬の言葉と狐達の言葉が頭にすんなり入ってくるのだ。自分達の話す言葉が単なる鳴き声であることも、三羽内で試してわかっている。これもあやかしとして生を受けた自分達の特別な力なのだと、今はもう諦めに近い気持ちで理解している。

 昼夜問わず聞こえてくる狐達の声で、真夜中に決まって聞こえる人間の声で、烏達は学習した。人の言葉を、社会性を。言葉がどれだけの力を、影響を、その投げ掛ける相手に与えるかを。

 そして三羽は二匹から、言葉と共に新たな価値観を教えられた。それは“名前”。個々が違う存在だと知らしめるためのその言葉の羅列が、これ程までに自身を強固に形作るとは思わなかった。

 狐達はあの人間――だと最初は思っていたが、どうやら違う気配を孕んでいると近くで見るとすぐにわかった――から名前を貰っていた。その毛色を差した名前を嬉しそうに話す二匹に、岩の心はざわざわと疼いた。

 二匹は元は野生の狐だったところを、親の死と引き換えにあやかしへと転じたということを、しばらく経ってから教えてくれた。最初は氷の何気ない一言からだったが、二匹は知り合ってまだ間もない三羽の烏に、その心の深淵を隠すことなく教えてくれたのだ。

 二匹の両親はこの神社の神に子供達の命を繋ぐように祈った。野生動物としての生を捨て、あやかしへと転じさせれば、必ずこの冬は越えられる。その為の代償が自分達の命であろうが、そんなものならくれてやる。それで我が子の命が護られるならば、その身が朽ちようとも存在がなくなろうとも、生命の理を踏み越えても構わない。

 それが親心だ。それは烏である岩でもわかった。哺乳類とは異なり、鳥類である烏は母親の腹の中にいる期間は短い。それでも外か内かの違いはあれど、産み落とした卵を一定期間抱き続け、一夫一妻の制度の下、協力して子供を育てる。それは狐達と変わりはなかった。人間とも変わりはなかった。

『親って……何なんやろな』

 狐達の話を聞いて巣に戻った後、岩は二羽に向かって呟いた。頭の言葉に雷は目を細め、氷は満面の笑みでさも当然のように答える。

『俺らを産み出した存在やんな。愛情いっぱいで生み出されたから、俺らはあやかしになったんやろ?』

『それはあの狐らだけやろが。私らもそうかはわからんで。どないするん?』

 呑気で純粋な氷とは違い、雷は冷静に物事を判断している。その問い掛けは、真っ直ぐに岩に向けられていた。

『あぁ。親探し、してみよか。僕らの産まれの秘密を探そう』

 元より好奇心旺盛な種族である烏は、その知識欲に本能を刺激された。三羽の頭の下した命は、思わぬ真実を掘り返すことになる。

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