6「烏」(1)


 がむしゃらに走るということはこういうことを言うのか。走り疲れて足を止めた黄の頭に、そんな言葉がぐるぐると回って消えた。神社までの道のりはまだまだ遠く、いかに空の旅が快適なことだったかがわかる。まだ全体の半分くらいか。ちょっとだけ神社のある山が近くなった気がする。

 隣で同じく息を弾ませる茶々に鼻先を押し当て、冷たい風に痛んでしまったその毛並みを舐めて整えてやる。くすぐったそうに茶々が甘えた声を上げたので、慌てて止める羽目になった。

『もう、黄ったらくすぐったいわ……ありがと』

『……ごめん』

 一体何に対しての謝罪なのか自分でもよくわからないまま、黄は俯きながら謝った。黄の垂れた尻尾を見て、茶々は優しく微笑んでくれる。

 二匹は一本道の真ん中で足を止めていた。神社への一本道という意味なので、もちろん十字路やT字路もある。それでも目的地まで真っ直ぐにこの道を走ればいつかは辿り着くのだ。だから一本道で間違いない。迷うことのない一本道だ。

――だから、迷わない。

 心の中でそう決めた。きっと烏達には笑われる。そしてきっと、騙される。

『岩はいったい、何を隠してるんやろな?』

 隣で全く同じことを考えていたのだろう。茶々が探るような瞳でこちらを見て言った。道路の真ん中に狐が二匹もいるというのに、闇に包まれたこの街に人の姿は全く見えない。

『わからんけど……あの雷と氷の態度からするに、多分岩は全部わかっとったんやろな』

 三羽の烏の頭は岩だ。岩がその考えをこちらに伝える気がないことはわかりきっている。そしてそれが決定事項ならば、あの二羽がこちらに勝手に話してくれるということはない。絶対に。

 だが、考えが読めない氷とは違い、雷は少しばかりはこちらにヒントを投げ掛けてくれていた気がする。

『雷はここに来る途中で俺に、紬を襲ったやつと妊婦が襲われてることの犯人は一緒やって言ってた』

『最初から雷は……ううん、違う。岩達は犯人があの妖狐やってわかってたんかな?』

『少なくともあの家に人間とは違うもんが住んでるってことはわかってたんちゃうかな? だから関与したくないって騒いだし、そもそもあの家を割り出したのもそれのせいかも』

『いくら岩達が好奇心旺盛って言っても、わざわざ紬の家まで追ったなんて考えにくいもんな。強い妖力に惹かれたって方が自然な気がする』

 話しているうちにお互いの表情はどんどん暗くなってしまう。信頼していた烏達が、どういうわけか一番胡散臭い気がしてならないのだ。

『なんであの家にあんな強力な妖狐がおるねん? そもそもはそこやろ。俺ら以外にあの山には妖狐どころか狐すらおらんねんぞ?』

 黄がそう言うのも、あやかしとは自然や神の力によって産まれるものらしく、この街の近くでそのような芸当が出来るのは、あの神社以外にはないと烏達から聞いていたからだ。強くその地に結び付く存在になるため、遠方から移動するようなこともないとのことだ。だがその話すらも烏達の話だから、本当に信頼できるかというと怪しいのだが。

『岩達が産まれたのもあの神社の神木やし、ウチらもあの境内であやかしになった。つまりウチら以外にも、あの神社であやかしになった狐がいるってことやんな』

『……それに、あのオッサンはいったい何者やねん?』

『あの妖狐のことヨメさんって言ってたし、旦那さんちゃうの? 見た目だけは人間やったけど、何かのあやかしとか?』

 うーんと頭を抱える茶々の横で、黄は自分の言葉の中に違和感を覚えていた。茶々とは違う意味で頭を抱える。これじゃ埒が明かないと自分でも思った。目の前で茶々の大きな尻尾が不安げに揺れている。

『……いつまでも休憩してても仕方ないし、ゆっくり走りもって考えよか』

『ゆっくり走りもってって……めっちゃ矛盾しとるやん』

 疲れた顔で、それでも健気に笑ってくれる茶々には本当に感謝しかない。黄もにっこり笑い掛けて、重い足を動かし始める。二足歩行の時に比べたら格段に走りやすいが、その分歩幅が大きく変わってしまうので、結局は移動スピードとしては格段に速くなったわけではなかった。

 烏達と別れてから、あの二羽の姿は見ていない。遥か上空に目を凝らしても、月明りの消えたどす黒い空が広がっているだけで、そこにあの不吉な黒を見つけることは出来なかった。耳障りな羽音も、静まり返った羽ばたきも、何も。不気味な程に何も感じない。

 あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。夜の闇は相変わらず深く二匹を包み込んだままだが、確実に時間は刻一刻と経過している。人間の身体がどれだけの傷でその命を落とすのかは知らないが、あの出血量はどう考えてもまずいと、そのくらいのことは黄の頭でもわかっていた。

 野生動物を狩る狐である黄は、変化の術よりもむしろそちらの方が得意だった。自分より身体の小さな命を“いただく”と、この身体にはっきりと力が漲る感覚が広がるのだ。新鮮なる血肉を得るその行為は、若い妖狐には必要な行為で、その狩りの時に得た知識に置き換えても、紬の容態がとても男が言っていたように『大丈夫』とは思えなかった。

 そこまで考えて黄の頭にある出来事がふと浮かんだ。視線を前に向けて真っ直ぐに目的地に向かって走りながら、黄はその出来事を思い出そうとする。記憶の奥底に蓋をしていた、妙に不吉なその出来事。

『……茶々』

『なーに、黄はん?』

 小さく呟いたその言葉に、隣の茶々がまるで黄の不安を知っているかのように、安心させるような笑みを浮かべる。

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