駄菓子屋まんげつ

ねろ

一話:市谷 楓

市谷 楓いちがや かえでは二ヶ月前にめでたく小学四年生に進級したばかりの、どこにでもいる普通の男の子だ。

身長はクラスで真ん中から少し後ろくらい。眉は少し太くて、肩幅も周りの子よりがっしりしているかもしれない。体重は、先週行った身体測定ではちょうど全国平均値だった。



楓はキャラメル色のランドセルをコンクリートの地べたに降ろしてしゃがみこむと、一番手前のポケットの中を探った。

ランドセルの色は母の柚子ゆずこが選んだ。

楓は戦隊ヒーローのリーダーのような真っ赤なランドセルが欲しかったが、柚子が譲らなかった。


「キャラメル色もきっと好きになるよ。お洋服が赤でも青でも、きっとこれなら合わせ易いと思うなぁ。」


今だからこそ母が正しかったと頷けるようになったが、当時はただただ自分の好みや言い分を頭ごなしに否定されたように思えて酷く悲しかった。腹立ち紛れに


「じゃあ赤でいいよ。」


などと投げ遣りな返事をして柚子を怒らせてしまい、ずっと楽しみにしていた外出をそれで駄目にしてしまった。



マチのついていない狭いポケットの中、指先に感じた冷たい感触を握りこんで取り出す。キーホルダーも何もつけていないシンプルな鍵だ。玄関のドアに差し込んで左に回すと、ガチャリと重い音がした。

ランドセルを無造作に床に置き、脱いだ靴を戸棚に、ウィンドブレーカーをハンガーに掛けてしまう。

いつもなら、決まって祖父の蓮司れんじが玄関まで出迎えにきてくれ、


「ランドセルは玄関に置きっぱなしにしてはいけない。

脱いだまま投げておいては型崩れをしてしまう。」


などと諌めながら片付けてくれるのだが、今日は泊まり掛けの飲み会だそうで明日まで不在だ。

間が悪い事に、祖母の鈴子すずこも人間ドックの予約が重なってしまった。楓を心配し、どちらかの予定をキャンセル出来ないかと話していた祖父母に対し、大丈夫だからとその背を押したのは楓だった。

真っ直ぐ洗面所へ向かい新しい白のTシャツに着替えると手洗い、うがいを済ませた。汗ばんだ首筋を拭いたくてタオルを濡らしながら考える。

柚子が帰宅するのは大抵夜の七時半過ぎだ。今日は蓮司もいない。夕飯の支度をしておけば八時前に夕食を摂ることができるだろうか。

米を研いで炊飯器のスイッチを押したり、千切ったレタスの上にミニトマトを飾るだけの簡単なサラダを用意するくらいなら楓にもできる。例え主役が三パックで二百七十円の徳用レトルトカレーだったとしても、柚子は喜んで食べてくれるだろう。

洗面台の鏡に映る自分に向かって頷くと楓は支度に取り掛かった。

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