第7話 大叔父の薬湯茶

(周家に関わってはいけないよ)

 分かっています。

(ここにいておくれ。どうか、いなくならないで)

 ……。

(どうか、お前だけは檻に戻ることは無いよう)

 ………。

(お前は自由だ、どこにでゆける)

 …………。

(私の代わりに、どうか、自由を)

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 許してください、なんて望みませんから。

(夜を誘う獣に捕まる前に)

 ごめんなさい。どうしても、あなたの見ていた世界が見たくて。

 あの山の頂から見下ろす世界を見たくって。

 でも、多分。

 それこそが、おれの過ちなのでしょう。


 暗い昏い、闇の中。

 起きているのか、眠っているのか分からない中、おれはまた夢を見るのです。

 お師匠さま――――――。


 羽がその知らせを聞いたのは朝方だった。寮から出ると、殿中の衛士があちこちに立っていた。剣呑な雰囲気を感じ取った羽は話しかけやすそうな衛士に声をかけた。

「なにが起こっているんですか?」

「貴殿は……」

「周家当主周権の子周羽です」

 毎度毎度名乗るのも面倒になってきているが、礼儀なので黙っておくことにする。周家の名に衛士も目を丸くし、背筋を伸ばしたまま頭を下げた。

「こ、これは周家の……。今回の件は大変困りましたね」

「は、はぁ……?」

「白露村の栴檀の姿が消えたのですよ。なんでも、楽長と話した後、寮に戻ると言ったきり戻ってこないとか……」

「澄が!? それで、こんなに人手が……?」

「少年とはいえ、二つ名の楽士、皇帝陛下も大変心をお痛めになられて、急きょ衛士に探させる勅を出されたのです」

 確かに、澄は皇帝陛下から直々に二つ名を与えられた楽士だ。ここまで大ごとになるのも、納得できる。彼は単なる少年ではないのだ。この先数十年に渡り、国に名を刻む才能の持ち主なのだ。彼の名を出すだけで、どれだけの富が舞い込むことだろう。

「楽長は?」

「楽長も今回の事件に大層責任を感じられて、屋敷内は誰も立ち入らぬようにと厳命されているのですよ。我々衛士も、門の守りはできますが、中に立ち入ることはできません」

 だろうなぁ、と羽は心の中で頷いた。

「手掛かりはないのですか?」

 衛士はその言葉に静かに首を振った。

「全く手掛かりがつかめず、殿中だけでなく、都中の詰所にも人相書きを配っているところです。ぜひ、何か分かりましたら、衛士にお知らせください。では、私はこれで」

「あ、待ってください!」

 ふと、頭の中にある言葉が浮かんだのだ。

「澄の稽古場に、赤い朱墨の字がありませんでしたか?」

「え?」

 立ち去ろうとしていた衛士がこちらに向いた。

「あったんです! 確か、赤き七つの獣の子、吉風の蝙蝠に会え、と書いてありました」

 羽の言葉に、衛士は腰にさげてある布袋から小さな帳面を取り出し、ぱらぱらとめくりだした。ちらりと見える文字からは、調べた結果が並べられているようだった。

「稽古場にはそのような文字については確認されていませんが……? いつ?」

「一昨日の夕方です。俺だけじゃなくて、同じく楽士の周子牙もその場に居合わせていました。彼も同じような発言をするはずです」

「何かの暗号でしょうか。それを見て、楽士殿は失踪した、と考えられますね。大きな進展です。さっそく詰所で確認をとります」

「俺も、何か……」

 口を開きかけた羽に衛士は静かに首を横に振った。

「いえ、他の楽士殿……、それも周家の人間に何かあればそれこそ取り返しの着かないことになりますゆえ。ここまで捜査の範囲を広げても足取り一つ追えないのであれば、最悪の事態も考えられます。どうか、周羽殿には安全な所に―――」

「でも……」

 衛士は周羽の迷いを断ち切るかのように、帳面に書かれている一文を指さした。そこには、数日前、楽長に言われ周羽と行動を共にしていると記載されていた。その帳面を羽に見せつけるかのように近づけ、低い声が帰ってきた。

「あなたが楽士殿と一緒に何かを探していることは調べがついています。けれど、こうなった以上それはもう追わない方がいいでしょう。あなたは、周家をまとめなければならないのですから」

「それは……」

 迷っている間に、素早い動きで衛士はその場から離れた。その代わり、周家の人々に回り囲まれてしまった。一人一人の名前は何となく覚えているけれど、あまり関わらないようにしてきた。

「御曹司、話は聞きましたぞ!」

「あぁ……」

「なんでも二つ名が失踪したとのこと」

「最悪な事態にならなければよいのですが……。御曹司は一度実家に戻られた方が……」

「いや、むしろ衛士が要る殿中にいた方が安全だ。大昔もこうして失踪した楽士がいただろう?」

 その発言をした楽士に、周りが非難の目を向ける。

「おい、それは関係ない話だろう」

「あぁ、それもそうか。……御曹司?」

「失踪した楽士がいた、ってどういう意味だ?」

 口を滑らせた楽士は、観念したかのように肩を落とした。

「御曹司が生まれになる前、まだご当主様が殿中で楽士をしていた頃、居たのですよ。失踪した楽士が。彼は、二つ名を獲得したその日に殿中を去り、それ以降、誰も姿を見ていないのです」

「………」

 二つ名を獲得した楽士が失踪した事件があったなんて知らなかった。そんなことがあれば、間違いなく教坊の記録に残る。

「その楽士の名前は!?」

「……」

「なぁ! 誰か知らないか!? そうだ! 赤き七つの獣の子って知らないか?!」

「御曹司、それをどこでお知りに!?」

 逆に驚かれた。ざわざわと話だし、しばらくすると口を開いた。

「その失踪した楽士が賜った二つ名こそが、紅虎七山なのです。名前は李原という男で、失踪する前はご当主様とも親交があったと言います」

 あの父上に友人なんているのか、なんて冷静な感想は置いておいて、ここで一つ点と点が繋がった。

(また、周家絡みか……!!!)

 ぐっと、拳に力が入る。武将ではない羽の力は非力と言ってもいいが、気持ちは、一息ごとに強くなる。

「また、父上が……! おっさんの……周策殿の時もそうだっただろうが!」

「策の事件は昔の話だろうに」

「周家に行く! 父上に今回の件を問いただす!」

「おやめください! 市中にも衛士が配置されているこの事態に殿中を出てはいけません!」

「そうです! あの二つ名の少年はきっと后陛下のご依頼に応えられないと思い、自ら姿を消したに違いありません!」

「そうだそうだ! そもそも、周家の人間ではない以上、関わるのは下策というもの!」

「周家としてじゃなく、俺は楽士の周羽として父上に会いに行く!」

「御曹司は一度出てしまわれて、気がおかしくなられたに違いない」

「たしかに、今までの御曹司ではないな……」

「御曹司が後継者となった以上、周家のためにいてもらわなくては」

 じりじりと間合いを詰められていく。そうか、と羽は頭が冷えていくのを感じた。

 ―――――行き詰まりを、見た気がした。

(俺は、周家のためだけに生きるのは……!)

 そうだ、まだ。やることがある!

「行くぞ!!」

 急に右手がつかまれ、羽は転がされるように走りだす。外套を被った青年がこちらを振り返る。いつも髪を高いところで結っていたから気づかなかったが、いつもしている翡翠色の髪紐が顎のあたりからちらりと見えている。

 子牙は追ってくる人々の姿を見ながらも、教坊の裏門から羽を出した。裏門はすぐ街に繋がっている。子牙は無言で羽織っていた外套を羽にかぶせて告げる。

「私が殿中にいる周家の者を引き付けますから、羽はその間にご当主に会いなさい」

「子牙兄ちゃん!」

「私は、今回の事件にこれ以上踏み込めない。もし、周家が絡んでいるとなれば、私の父の立場も危うくなる。情けない従兄でごめんな」

「そんなのいいよ! 子牙兄ちゃんはいつも俺なんかのために!!」

「………これくらいじゃ、私はまだ足りないんだ」

「?」

「話は聞きましたね! 明英殿!!」

「ええ! もちろんよ!」

 背後から馬のいななきが聞こえてきた。黒毛の馬にまたがる明英は、羽に手を差し伸べた。子牙が来たことは何となく理解できるが、この娘は想定外だ。

「お前までなんで!」

「ごちゃごちゃいわない! ほら! 乗って! 手綱も! 振り落とされるわよ!」

 羽と入れ替わりに馬から跳び下りる刹那、明英は羽の懐に何かを入れた。

「は? え、なに?」

「行きなさい! 千亥!」

 羽がもたもたと手綱を握った途端、明英が馬の名を叫ぶ。千亥という馬は、かつて明英の祖父が乗っていた馬の子孫だったはずだ。つまりは戦の馬だ。黒い毛並みを挟んだ先で、人々が逃げ惑う姿が見える。

 もし羽が武将の子であったなら、体勢を整えて走ることもできただろう。だが、羽は生まれてこの方のんびりとした旅でしか馬に乗ったことが無い。

 つまり、馬に乗っているのではなく、くっついている。

(速い! 強い! 怖い!)

 手綱を握りしめ、必死に馬の胴にしがみつく。賢い馬だから、辺りの人や物にぶつかることなく走っていく。途中曲がる道は、羽がへろへろと手綱や足を使って指示を飛ばす。視界になれた頃、羽はふと思った。

(父上はどうして、周家のために生きれるんだ?)

 弟を見捨て、弟子を切り捨て、そして友人をもいないことにして。周家はそうやって成り立っていったとでもいうのだろうか。


「これはどういうことですかな、子牙殿」

「いかに、従弟がかわいいとはいえ、無断で殿中から逃がすなど」

「明英殿も、事の重大さがご理解いただけないようだ」

 羽を見送った後、教坊の門に集まった人々を見て、子牙ははぁと息をついた。ゆっくりと髪紐をほどくと、いつもの位置ではなくうなじのあたりで髪を縛る。

「……この事はどうか、黒陵将軍には………」

「はいはい。おじい様には黙っといてあげるわ、子牙師兄おにいさま

 口角を上げる青年の顔に浮かんだ表情を、明英は見ないことにした。まさか、彼らも思うまい。子牙は重たい礼服を脱ぎ捨て、身軽な服装に変わる。その腕にはさらしが巻き付けられていた。

「鳥を追いかけるのなら、まずは牙を止めてみろ!」

 ――― 普段は温厚な彼が、かつては武将として修業を積んでいたことを。


「父上! 父上はどこですか!!」

 へっぴり腰で家について、羽は屋敷の中を歩き回る。けれども、家の中にはだれもいない。いつもは聞こえている誰かの音色もぴたりとやんでいる。不気味な雰囲気の中、羽はある人影が目に入った。

「父上ですか!?」

「いえ、私ですよ。御曹司」

「なんだ、大叔父上ではありませんか。父上は?」

「権は貴族の方に呼ばれて出ています。なんでも急な宴の依頼が入ったとのことですよ。私は留守居を頼まれているんですよ」

 では、と羽が口にする前に福は羽を茶室に招き入れた。

「その慌てよう、何かがあったようですね。ですが、焦ってはいけませんよ。すこしお茶でも飲んで、それから権を待ちませんか?」

「そう、ですね。大叔父上の言う通りです」

 茶室には、卓と衝立、そして壁にはいくつもの絵画が欠けられており、先程の喧騒をわすれさせるかのようだった。そして、今入れたばかりの茶がほかほかと湯気を立てている。卓につくと、福が茶をすすめてきた。

「大叔父上の薬湯茶、久々に飲みますね」

「ええ、茶はいいものです。楽とはまた違った趣があるのが好きですね」

 幼い頃も、こうして何度も薬湯茶を淹れてもらった事がある。病に臥せりがちになってからは、飲む機会はめっきり減ってしまったけれど、ふんわりとした匂いは昔から変わらない。彼の人柄がそのまま茶に反映しているような気がしていた。

「権には何の用事なのでしょう? 后陛下のご依頼の件ですか?」

「いいえ。ちがいます。澄の姿が見えないと、殿中では大騒ぎになっているんです」

「あの少年が……?」

「はい。そして、澄の稽古場にあった文章の内容から、周家との関係が分かって、それで父上に話をしたくて参りました」

「それは、李原殿の事ですか?」

「大叔父上も何かご存じなのですか!?」

 福は椅子からゆっくり立ち上がると、背後の棚から何かを取り出してきた。何かの巻物のようなそれを、福は広げず膝に置いたまま座った。

「李原殿……懐かしい名前です。権とも話が合い、まるで今の御曹司と子牙殿を見ているような気持ちになったものです」

「二つ名の襲名後、姿を消したと聞きました」

「ええ。そうですよ。彼は人虎だったのですよ」

「人虎?」

「彼の二胡は、当時の殿中では知らぬ者はいないとされるほどでした。貴族の子息であり、人柄もよく、彼の周りには人が絶えなかった」

「……………」

 なんとなくわかる気がした。子牙はいつもそうだった。穏やかな性格と、人好きな顔、おまけに困った人をほっとけないお人好しな性分で、人を惹きつけていた。周家でも彼を後継者にと思う人がいなくはなかった。

「后陛下付きの楽士として、彼を教育する日々はとても充実していました。彼はまるで若木が水を吸うかのごとく、私の二胡を我がものにし、そればかりか更に磨きをかけていました」

「父上とも、その時に会ったと。父上が殿中の楽士だったなんて知りませんでした。ずっと当主として家にいるものとばかり思っていました」

「あの子は、李原殿がいなくなって程なくして辞めたのですよ。そして、周策、彼が当主争いに名を上げた頃から、少しずつ頑なになっていきました」

「………」

「羽。私は、お前こそ当主に相応しいと思っていますよ」

 ぴたり、と羽の手が止まった。今まで誰が当主に相応しい、誰が一番だと言わなかったのが大叔父だ。だから、何でも話してこれた。

「楽に対する心意気が素晴らしい。けれど、一つ、残念なことがあります」

「残念なこと?」

「才能に潰されないところです」

 大叔父の言葉が終わった途端、ぐらりと視界が歪んだ。とっさに額に手を当てると、じんわりと冷や汗が浮かんでいる。

「大、叔父上……何を?」

 視界が揺らいでいる中、羽は奥歯をかみしめて何とか意識を取り戻そうとした。叔父は穏やかな笑みのまま、羽にありがとうと言った。

「あり、がとう?」

「これはあの少年の稽古場から奪った物です。これこそが、后陛下のご所望の遠吼孤虎の編曲譜、その一部です。あとは権の持っているそれを合わせれば、私はまた殿中に――――」

 あははは、と笑いだした大叔父の声がどんどん遠くなる。眠気を誘う毒を混ぜられたのだと気づくころには、羽は椅子から転げ落ちていた。



 


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