第2話 彼の資質

「次の宴まで、ひと月もあるんだな」

 宴の昼の部を終え、羽は早めの休憩をとっていた。今日は一ヵ月ぶりの殿中での宴だ。今年で70を数える皇帝は、宴に出席することが稀で、今回の宴はもっぱら后とその娘、皇女たちのために用意されたものだ。

「次の宴は、玄国の使者をもてなすものだと言っていたね」

「玄国……北の雪国か」

「玄国といえば、あの子とはうまくやっているのかい?」

 あの子、という言葉に羽は飯をのどに詰まらせた。げぼげぼと咳き込み、子牙は慌てて背中を叩いてやった。しばらく咳き込むと、恨めし気な目で子牙を見ていた。

「兄ちゃんとはいえ、言っていい事と悪い事がある。あんなのと会いたくないから、家から出てきたんだから」

「そうは言っても、あの子は……」

 たしなめる子牙の声に、ふんと羽は鼻を鳴らして腕を組んだ。

「俺は、楽人としてやらなきゃならないことがあるんだ。なんで、父上の政治の駒にならなきゃならないんだ」

 それ以上、子牙の言葉を聞きたくなくて羽は渡された飯をがっついていく。子どもっぽい従弟の仕草に、子牙はやれやれと頬をかいた。

「政治の駒ではない、といってもお前は気づかないだろうなぁ」

 従弟の抱えている厄介な問題を知っている子牙は小さく呟いた。

(この子はどうも、楽のこと以外には疎いようだ)

 それが、彼の資質だと子牙は思った。

「兄ちゃん、そろそろあいつの出番だ」

 わぁと宴の会場が沸き立っていく。生垣によじ登りながら、羽が言う。后が主催するだけあり、会場には人がこれでもかと詰め込まれている。ひと昔前の羽なら、人が粒のように見えるほど離れても緊張で足がすくんでいただろう。

「斎澄、二つ名持ちのお出ましだ」

 今回の宴で呼ばれた二つ名持ちは、彼だけだ。他の二つ名持ちは、声がかかっていない。どうやら、皇女の誰かが彼を気に入っているという噂は本当のようだ。

「近くに行かなくていいかい?」

「いや、ここからでも聞こえる。離れた方が、良しあしが分かることもあるんだ」

 そう言って、目を閉じ耳を澄ませていく。人々のざわめきが徐々に落ち着いていき、登場を告げる銅鑼がなる。


 張り詰めた空気の中で、天才の二胡がなり始める。曲名は言わずともわかった。この国では有名な恋の曲だからだ。

(まぁ、后陛下や皇女様方がいらっしゃるから、無難な線だよな)

 宴の采配を父の代わりに行うようになったころから、時折こういう目線で曲を見るようになるようになった。しっとりとして、滑らかな旋律は、まさに恋をしている乙女を表しているようで、心が洗われていく気がした。

(これが……二つ名持ちの演奏)

 目を閉じた向こう側に、想像の世界が広がっていく。良い演奏であればあるほど、その風景は鮮明になっていく。

 意中の相手を思い、悩み、寂しさや、幸福など、様々な音を奏でていく。華やかな宴の中にいても、曲の世界は広がっていく。

(あれを弾いているのが、あのやかましいやつなんてな……)

 先日に会ったあのやかましさとはかけ離れ、曲はまるで正反対だ。

「すげぇ……」

 目を見開いて、羽は会場を見る。ここからは、少年の姿は見えない。少年の存在を示す楽の音は、確かに耳に届いている。

 漏れ出た感想はたった一言。目が閉じられない。たった一人の演奏だ。それなのに、まるで楽団を前にしたかのような圧を感じる。足が震えるし、頭の中にはぐるぐると楽が響く。

「行くかい?」

 そう、子牙が小さな声で言った。羽は、こくりと頷いた。

(俺じゃ出せない楽だ)

 二つ名持ちがどれほどのものか、羽は父から聞かされてきた。いずれは、お前も持つようになれ、といわれた。ここ数代にわたって、周家から二つ名持ちは現れていない。父が羽に勘当に近い態度をとったのも、その重圧からだ。


 羽が会場近くにつくと、無言で人垣が割れていく。それもそうだ。いかに、陰りがあったとしても、この国随一の楽人周家、その正統後継者だ。羽の姿を認めた人から、場所を開けていく。人ごみをかき分けて進むと、ちょうど奏で終えたところで、喝采を受けているところだった。

 昼の光を浴び、明るい茶色の髪が金色に輝き、広い部屋の中央にたたずむその姿は、二つ名持ちの名に恥じないものだった。作りの良い椅子から立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。

「お見事でした」

 薄い布の向こうから、后と思われる女性の声が聞こえてきた。皇族から直々に声がかかるなど、この上ない名誉だ。少年の顔はここからはうかがえないが、名誉に体が震えているに違いない。それこそ、子々孫々に誇れる偉業だ。

(………)

「后陛下は、貴殿に”遠吼孤虎”を奏でさせよと御命令だ」

 宴を取り仕切る役人が、澄に命令する。曲名が告げられたとたん、ざわめきが起こり始める。誰もかれもが、顔に難色を表し、互いに顔を見合わせている。羽も、顔を青ざめさせ、子牙を見上げる。子牙もまた、白い顔をして少年を凝視している。

(殿中曲だ。それも、難度の高い曲……)

 これは―――品定めだ。

 皇族について、あまり詳しくない羽でも、后の性格は何となく聞いていた。皇族の傍系に生まれ、気高くあれと育てられ、教養が深いが、その点潔癖である、と。殿中から出ることはなく、身の回りを世話させる下女も、身分で決めていると噂されている。

「陛下もお人が悪い」

「殿中曲の中でも、あの曲を選ぶとは……」

「災難だな……」

「弾けなかったら、追放されるに違いない」

 澄にあまりよい印象を抱いていない人々も、さすがに同情している。殿中曲を弾くこと自体、かなりの重圧を感じるのに、こんな場所で弾け、というのは、あまりにむごいことだ。それも、たった14歳の少年に課せるのだ。

(俺だったら……)

 ぎゅ、と衣のすそを掴んだ。人前で弾けなかった頃のことを思う。弾けなかった理由が判明したとしても、今のままではあの場所に立つことができない。

「かしこまりました」

 頭を下げたまま、澄は椅子に座り直し二胡を構える。それから、澄は少し首を傾け、二三度息をつくようなしぐさをする。楽人に許されたほんのわずかな休息だ。

(!)

 先程まで奏でていた、たおやかな音色とは違い、鮮烈に激しい音が少年から繰り広げられる。羽の目の前に切り立った山々がそびえたっていく。目の前が暗くなっていく、そして、急に現れた月に、羽は後ずさる。

 山頂に、何か、居る。虎だ。


 ――― 晩秋の空、一匹の虎が吼えて居る。

 

 我はここだ、我はここだ、月よ、御笑覧あれ。


 剣を並び立てたような、木々も枯れ果てた岩に囲まれた山の上、月に吼えて居る。


 月よ、御笑覧あれ。


 此れが我が姿。我が過ち。我が心の容。


 しぃんと、場が静まり返る。小柄な体からは想像もつかないほどの音が繰り出されている。小さな嵐のようなその姿に、羽は震えた。

(これが、二つ名持ちの実力)

 悔しい、と思った。

 羨ましい、と思った。

 羽にまだ思考が残っているなら、その場から立ち去ることもできただろう。しかし、見せつけられる技量に、立ち尽くすほかなかった。呆然と、目の前の音に集中する。


 コーウコウ、と孤独な虎が吼えて居る。

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