運命の相手は、幽霊だ 2

 変わり映えしない学園内を歩く。


 退院した僕は、ところどころ走る鈍い痛みを我慢して登校していた。

 ここは相変わらず、騒動の前後で変化が見られない。


 生徒は目先の青春だけを謳歌している。

 晩学に打ち込み、部活動に励み、そして長い緊急メンテナンスを終えた『リラ』を介して恋に色づく。

 きっと彼ら彼女らには、世界が桃色にでも見えていることだろう。反して自分はどうだ? なんて滑稽な生き物。

 僕は『リラ』の本質を知っている。奥底の奥底まで足を踏み入れ、仕組みも醜悪さも目にした。もはや世間一般でいうところのマッチングアプリとは思えない。相性診断はふたつの記憶の比較だし、画面向こうではもうひとりの自分がシミュレートされている。

 周囲の人間と僕の世界は、致命的に食い違っている。

 かつて協力関係だった見染目とすら、見え方は異なる。傾いている。


 そしてたったひとつ手に入れた大切な人でさえ、僕は――。




 授業はつつがなく進行する。

 以前感じていた焦燥感はない。席に座って長い授業を受けていれば、僕は決まって「行動を起こさないと」と後ろ髪を引っ張られていた。それが今は綺麗さっぱりなくなっている。

 ちなみに、有臣先生はホームルームに出てこなかった。何でも急用によるものらしく、代理の先生が役目を代わっていた。

 ……世界から、『リラ』に関するものが消えていく。

 もちろんアプリは残っているけれど、そうじゃない。僕が知ってしまった、見てしまった真相――それに反し、現実があるべき現実へと戻ろうとしている。

 ちぐはぐだ。

 新たに刻まれた記憶は、「この世界は本当の姿ではない」と告げる。だというのに、現実は僕を遠ざけようと気配を隠す。

 本当の姿。隠された見え方の世界。その中心には、いつだって彼女がいた。

 端紙リオは野草に隠れるように、距離を置いている。

 そんな気がした。




「それ、あながち勘違いでもないんじゃないの?」


 昼の屋上で、見染目は鼻を鳴らした。

 端紙のことが気に入らないらしく、柵から遠くの景色を眺めて口を尖らせていた。

 ふと、振り向いた見染目が僕へ訊く。


「ね、あんた何みてきたの?」


 あっけらかんとしていて、でもどこか真剣な雰囲気。

 僕は数秒考え込んで応えた。


「別に、なにも」

「この期に及んでまだとぼけるのあんた? もう気づいてるわよ、あんたの行動の意図も、選択の裏にあった考えも」


 「感謝はしないわよ」と、そう付け足す彼女は、いつもより態度が柔らかい気がした。

 しかし、それでも彼女は追い求めた。『リラシステム』の深層で何が起こったのか。目の前で座り込んで昼飯を食す僕はすべてを知っているのだ。気を許せば、もう逃がさないとばかりに質問責めすることだろう。

 だから、きっぱりと断る。


「言えない。言ったところでもう危険はないだろうけど、やっぱり無理だよ」

「……そんなんだからモテないのよ」


 モテなくていいさ。僕はもうひとりだけを決めている。


「見染目」

「なによ」

「君は気になるだろうけど、で留まっていてほしい」


 釈然としない様子だ。柵に背中を預けて、腕も組んで、細めた瞳が僕を睨む。


「言葉にしづらいんだけど……現実との齟齬のような毎日は、気分が悪い。おすすめしない」

「齟齬、ね」

「そう、齟齬。噛み合わなくなる。見えるものすべての裏を考えてしまう。友情でさえも、無機質な原理が働いているんじゃないかと想像してしまう」


 『リラシステム』のデータベースで目にした光景は、頭から離れない。

 徹底的に管理された情報。

 そこから抜き取られ、読み取られ、演算される。延々、延々。

 あの規模を目の当たりにしたら、そりゃあ余計な想像がよぎるものだ。


 いつかの校長先生は、僕らの携帯にインストールされた相性診断アプリをに過ぎないと口にしていた。

 ということは、あの膨大な記憶の蓄積は、アプリ以外にも使われているということだ。僕らの脳内データは将来の相性診断のためだけに読み取られたわけではないだろう。

 きっと知らないだけで、色んなものに利用されている。だから、見染目も僕自身も、これ以上踏み込むとおかしくなりそうだ。

 研究者の道に進もうと決めた人間でないと、受け入れることは出来そうにない。



「そうだ。有臣先生から伝言」

「え? いるの?」

「そりゃ居るわよ。教員という肩書きのまま、ね。えーと時間は、と」


 携帯の時間を確認して、見染目は頷いた。


「ほい、じゃ行ってらっしゃい。視聴覚室ね」

「は? いや、伝言は? ていうかなに?」


 訳が分からない。

 時間をはかるとか、有臣先生みたいなことをして……。

 しかし、問答無用とばかりに背中を押してくる見染目。「いいから行け」と今にも背中を蹴ってきそうな勢いだ。

 僕は仕方なく、屋上から出ていこうとする。


「詩島ハルユキ!」


 背後から、名前を呼ばれる。

 僕はドアノブに伸ばした手をおろし、半身で振り返った。端紙はこちらには顔を見せず、柵から外へ叫ぶように話していた。


「もう『リラ』に関しては訊かない。知ろうとするのもやめる。でも、はやめるつもりないから!」


 今日は、風が緩やかだ。

 見染目の言葉は、滑るように胸の内側まで響いた。

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