傾いた景色は別物だ 16

 言われたとおり、直進するとすぐに視界が広がり、車が走る大通りに出た。

 街灯が等間隔でアスファルトを占め、荒咲駅までの道を照らしている。ここまでくれば僕も迷うことはない。


「っ、……ああ、ようやくちょっと落ち着いてきた」

『そうですか』


 相変わらず、声は響いていた。

 こちらの声が届いているようだった。背後を振り返り警戒しつつ、駅に向かいながら携帯を取り出す。

 開いた覚えがない『リラ』のアプリが、勝手に起動していた。


 ――やはり、そうなのか。


「とりあえず礼を言うよ。ええと」

『……』


 名前。彼女の名前。

 いや、そんなの火を見るよりも明らかだ。会話の節々から伝わる妙な懐かしさ。詩島ハルユキという少年の奥底に眠る何かが、知っていると告げている。

 ただ、こちらから呼んでいいものかと躊躇いがあって、思わず閉口してしまう。


「……」

『……』


 気まずい沈黙が流れた。

 自分の足音だけが響いた。


 さしかかった街灯の下。僕はどう切り出せばいいかを悩む。この記憶のない身体で名を呼んでいいのか迷う。追いかけてきた相手と意図せず再会した自分は、振る舞いがわからない。


 街灯の明かりを抜けた。

 束の間の暗闇に入った。視界には駅が見える。




 足音が、ひとつ増えていた。




「――っ!?」


 気配を感じて振り返る。抜けかけていた注意力が今更になってせり上がり、危険信号が脳を支配。


 伸ばされた青白い腕が、すぐそこまで迫っていた。

 背後の街灯によって浮かび上がったシルエットは、僕よりも一回り大きく痩せていた。


 背筋が凍る。

 反応できない。

 避けられない。

 気づけばそこにいた誰かに、僕は死を意識。


 目を固く閉じた。

 まさかここまで追ってくるとは、思わなかった。




 世界が、遠のく。




「……あ、れ」


 いつまで待っても襲ってこない衝撃に違和感を覚えた。

 だから。

 おそるおそる目蓋をあけ……そして目の前の光景に、圧倒された。


「――、」


 押しのける華奢な腕。

 白い服をはためかせ、黒い髪に覗かせた綺麗な双眸が相手を見据えている。

 綺麗な顔立ちには僅かな不快感を乗せて。

 引き結んだ口元が微かに力んで。


 彼女の指先が、絞めた首もとから、シルエットをかき消した。

 あとに残ったのは、吹き抜ける微風のみ。目を奪われる彼女以外はなにもいない。


「……な、にが」


 どうなっているのだろう。

 確かに今、誰かが僕を掴もうとした。でもそのシルエットはいとも容易く霧散して、見えなくなった。文字通り消失した。

 崩れるように尻餅をついた僕は、現れた少女を見あげた。


 通りがかった車のヘッドライトが、彼女を一瞬だけ浮かび上がらせる。



「私の、名前」



 もう誤魔化せない。目をそらせない。

 仏壇の写真立て。残された日記。『リラ』で騒動を起こす元凶。


 さっきよりもクリアな声が、



「思い出しましたか」



 僕へそっと問いかけた。

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