死は常に生を見つめている 9

「こちらでお待ちください」


 たどり着いたのは、三階隅っこに位置する音楽室のとなり。外部の音が入りにくく、内部からの音漏れも少ない視聴覚室だった。

 引き戸のまえで、振り返った有臣先生が腕時計をみる。その表情には以前のような隙がなく、とても合理的な印象をうける。感情を表に出さず、ただひとりの社会人として役割をこなしている。


 待たされたのは数分だった。

 腕時計で時間を確認した先生は顔をあげて、そっと視聴覚室の戸をひく。


「どうぞ。なかでお待ちです」


 何を言えばいいのか。

 言葉を探した結果、僕の知らない有臣先生には「ありがとうございます」というお礼だけがこぼれた。





 視聴覚室に入ると、背後の有臣先生は有無を言わさず戸を閉じた。

 それをすこしだけ気にしつつ、僕は室内に目を向けた。


「……」


 黒いカーテンが窓から差し込む光を遮断している。

 照明の光は薄暗く室内を照らし、無人の席を目立たせる。

 外部からの音を遮断する壁のせいか、さっきまで受けていた小テストの時間よりも静かで、閉鎖的。

 カーペットの床というあまり馴染みのない場所に、僕は若干の苦手意識を持っていた。


「いらっしゃいましたか」


 有臣先生とはうって変わって、優しさの籠もった声が視聴覚室前方から発せられた。

 目を向けると、黒板まえのパイプイスに座るおじさんがにこりと笑いかけているのをみつけた。

 数秒間、彼を見つめて理解する。


「……校長先生」


 入学式でも目にした、柔らかな物腰の校長。この学校の最高責任者が、ひとり静かに、そこへ腰掛けている。

 ……本気でわからなくなってきた。

 なぜ僕はここへ連れてこられた? しかも事前の連絡もなしに、小テストの途中だというのに。それで出迎えたのは校長先生だ。意味が分からない。

 自分と校長先生との関係なんて、皆無といっても良いほどにない。面と向かって話したことがなければ、校長室まえを通ったこともないのだ。

 それがどうして、こんな状況に陥っている?


「どうぞ。お座りください」


 そんなことを考えていると、校長が座るように促してくる。

 状況がつかめないまま、真ん中の列の左よりの席に腰を落ち着かせた。それをみて、校長がにこりと微笑む。こちらの緊張をほぐそうとしているのだろうけど、焼け石に水だ。咄嗟に苦笑いをするしかなかった。


 と、そのタイミングで、ちょうど今しがた入ってきた戸が再び開く。

 廊下の光を背後に、人影が入室。

 入ってきたのは有臣先生――ではなく。


「あら」


 身長も威厳もない、見覚えのある生徒だった。

 見染目クミカはきょとんとした目で僕を見つめ、そして面白そうに笑みを浮かべた。


「なぁんだ、来てたのね」

「……事情を知ってるなら教えてほしい」


 校長先生に頭を下げ、当たり前のように席に座る見染目。位置は僕の反対側だ。

 彼女は緊張するどころか、この妙な緊迫感のある場所にいながらあっけらかんとしていた。先週と同じように、容赦なく言葉を発する。


「あんたの頭でもすぐにわかるわよ」


 先週の出来事とはいえ懐かしいな。この失礼なカンジ。


「君、まえも『すぐにわかるわよ』って言って帰ったよね。なに? かっこつけてるの?」

「つけとちゃうっ! わよ!」


 なんだその反応。どこの言語だ……いや、言ってる意味はわかるけど。大阪弁に近いか?

 まぁなんにせよ、すこしだけ緊張が和らいだ。単独行動に慣れているくせにひとりだけ特殊なことに巻き込まれると弱いのだ、自分は。

 感謝しておこう。見染目クミカ――もとい、クミカチャンに。


「な、なに? やめて無言で合掌しないで」


 引き気味に苦い顔をする彼女に僕は気持ち悪い笑顔を向けた。



「――さて」



 そうやって二人で騒いでいるところに。


「お二人とも揃ったところで、始めましょうか」


 相変わらずにこやかな表情の校長が腰をあげる。

 途端、僕は息を詰まらせ、分かりやすく姿勢を整えた。見染目も言葉を途切れさせ、席に座り直す。校長はその仕草をみて、静かに頷いた。

 入り口から入室した有臣先生がカタン、とロックのつまみを落とす。ここにいる四人以外はだれも入れないよう隔離される。これからする話は、外部の人間に聞かせたくないということだ。

 ――つまり、少なくともこの学園においては、僕らだけに留めておきたいということに他ならない。生徒はもちろん、教員にだって聞かせるつもりはない。いったい何の話だ……?

 紛れ欠けていた緊張感が再びせりあがり、室内の空気は真剣になっていく。

 黒板の天井からは白いスクリーンが降りてきて、校長は横に掃ける。ちらりと見染目を見ると、数分まえまで鼻につく笑みを浮かべていたのに、まるっきり別人のような表情をしている。細めた瞳でまっすぐ前を見つめ、気を緩める隙すら感じられない。


「有臣先生、電気を」

「はい」


 一瞬だけ目が合ったのを最後に、照明が落とされる。

 真っ暗になった。視界は黒く、スクリーンの降りきった音と微かな気配のみが残る。

 すると、前に向き直った僕の視界に、パッとスクリーンに映し出された映像が浮かんだ。

 薄暗い部屋。

 引き戸のそばで見守る有臣先生。反対側に立つ校長は、映像の光に照らされる僕ら生徒ふたりを一瞥して、一拍おいてから口をひらいた。


「まずは、突然お呼び立てしたことに謝罪を。特に詩島くん。あなたには事前の連絡をしていなかった。申し訳ない」

「い、いえ……」


 聞きたいことは山ほどあった。でも、どうせすぐに説明してくれることを期待し、黙っていた。


「これからここでする話は、すべて他言無用でお願いします。もちろん親にも」


 ただ明るいだけの映像に、変化があらわれる。

 『L』の文字がふたつ連なった、緑色のロゴマークが映し出される。それが何を意味するのか、僕でも知っている。だからこそ、呼ばれた意味の予想がついた。

 思わず目を見開いて驚愕する。


「それと、私と有臣先生ですが……今は教師としてではなく、『リラ管理局』の者としてここにいます。改めて自己紹介を」


 促された有臣先生が、頭をさげる。


「『リラ管理支局』、派遣教職員。有臣幸と申します」

「そして私が『リラ管理局』副局長。校長こと高垣です。おふたりのことはよく知っています。紹介は結構。聞けば、もうお二人は顔見知りのようですし」


 よこに座る彼女と顔を見合わせる。


「さて、今回お呼びした理由ですが……察しの良い方はお気づきですね。お二人を呼んだのは他でもありません」


 一度目を閉じ、校長は告げる。ここへ僕と見染目を呼んだ理由を。

 それがどんなに異常事態であるのか。普通から外れているのか。僕にはわかる。『リラ管理局』が関わってくるだけで、昨日までの日々が失われるという確信がある。

 何気ない日常。

 味気ない毎日。

 変わってほしいとも、このまま安寧を享受していたいとも思っていた繰り返し。


 今日は、それが終わる日。




「あなた方には、『リラシステム』の不具合を解決してほしい」

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