Marker’s Guide

王生らてぃ

Marker’s Guide-前篇

 まただ。

 ネットで有名ないくつかのマーカー、名前も知れぬ新人の作品、ただの素人の落書き。それらの上から真新しく、一番上のレイヤーに貼り付けられたステッカー。銀色のホログラム加工が施され、リアルな熊のイラストが描かれている。掌に収まる程度のサイズだが、夜の闇の中、ほんのわずかな街灯の光でも過剰に反射してしまうこのステッカーは、否が応でも目立つ。



 首から下げた旧式のカメラで、壁一面を、ひとつひとつのマーキングを、そしてそのステッカーを写真に収めているとき、耳に静かなモーターの駆動音が聞こえてきた。

 やばいやばい。

 わたしは道具をまとめて肩から提げたバッグに詰め込み、そそくさとその場を後にした。こっそり物陰から様子を伺うと、街頭美化ドローンが壁のマーキングを見つけて、高圧洗浄機でそれを洗い流しているところだった。






     ◯






「おー。いいね、バズってるバズってる」



 パソコンに広げた複数のウィンドウでSNSの流れを観察しながら、カエデはまた一粒チョコレートを口に運んだ。



「やっぱ瑠奈の撮ってきた写真は違うわ。その辺のマニアとは、出来が違うっていうか」

「そうかな」

「やっぱカメラの質……だけじゃないか。センスだよねえ。画角といい、ピントの合わせ方といいさ」



 わたしは旧式のカメラを、カエデのパソコンに有線接続し、新しく写真をインポートしているところだった。

 カエデは素早くキーボードのみで画面を操作すると、何かのグラフを表示した。しめしめ、という擬音がよく似合う笑顔で、顎の下で両手を揉んだ。



「うんうん、いい感じ〜。……あ、BANされた。えーと、メディアの保存数は……2万4000! ま、上々ってところじゃない」

「あれ、『ピクチャグラム』は?」

「あそこ、運営がマーキングの画像をアップするの、規約で禁止しちゃったのよ。犯罪の促進につながるからって。バカよねえ、それだったらバンクシーなんかどうなってんだっつーの。いまだに、フランスやアメリカでは活動してるっていうのに」



 写真のインポートが終わり、わたしは画像の整理を始めた。うまく撮影されていないものを削除したり、複数枚撮ったものの中で良いものを選りすぐったりするのだ。

 昨日は600枚くらい撮った。この時期にしては珍しく晴れていて、涼しかったし、マーカーたちもこぞって街に出てきたのだろう。



「うーん……」



 そんな時にも、どうしても、あれが気になってしまう。



「どったの、瑠奈」

「これ。最近、とみによく見かけるの」

「ああ、例のクマちゃん?」

「そう」



 この『銀色のクマ』のステッカーが現れるようになったのは、だいたい1ヶ月前くらいからだ。

 ステッカーを使うマーカーはたくさんいるが、このクマの特徴的なのは、ほかのマーキングの上から、常に真新しい状態で貼り付けられているということだ。

 マーキングのない場所に貼られたり、ステッカーの上から新しいマーキングが施されていることは、ほとんどない。

 マーキングの上に他人が別のマーキングを施すのは、ともすれば宣戦布告と取られてもおかしくない。

 それを繰り返しているので、ネット上では散々に叩かれている。



 カエデはこのステッカーの入り込んだ写真を『出し惜しみ』して、計画的に小出しにし、SNSを炎上させるタイミングを図っている。

 それでも、わたしたち以外の誰かが写真にそれを収めては、ネットにあげて、それがまた炎上する。その繰り返しだ。



「いったい、なぜこんなことをするんだろう」

「自己顕示欲じゃん? まあ、人の作品の上にそれをぺたっと貼るだけで良いっていうのは楽だし、そのステッカーは目立つしね」

「うん、でも、それにしてはなんか……」

「違和感?」



 わたしはうなずいた。

 カエデはふふん、と笑って紅茶の入ったマグをごくごくと音を立てて傾けた。



「瑠奈のカンを信じるよ。だって、ずっと戦場を渡り歩いてるわけだからね。マーカーのことも、わたしよりずっと知ってるだろうから」

「ごめん。ほかの街の写真は撮ってくるから」

「いいって、いいって。そろそろそのクマちゃんの記事とか投下して、火種を作ってあげないといけないからさ」



 カエデはほんとうに楽しそうだ。彼女はわたしの撮影した写真を手早くアップロードしていき、記事をネットに垂れ流し続ける。

 犯罪行為を助長しているので彼女のやっていることは違法行為すれすれなのだが、そこは、カエデにしか分からない色々な手練手管があるらしい。



「瑠奈のぶん、ギャラ、あとで渡すからね」

「うん」



 わたしは今日も街へ出ていく。

 カエデのマンションから出て、スクーターで一旦自分のマンションへ。それから今日は沿岸の旧市街のほうへ行ってみるつもりだ。



 駐輪場のスクーターのカウルのあたりに、あの銀色のクマのシールが貼ってある。わたしはどきっとした。

 いつの間に。

 昨日のうちに貼られていたのか? いや、それとも……



 ともかく確かなのは、わたしが自ら貼ったものではないということだけだ。






     ◯






 沿岸部の旧市街、東京駅よりも海に近いエリアは、日本大震災にともなう津波の影響で人の住める環境ではなくなっている。干拓作業も進んでいるが、その影響で関係者以外は立ち入ることができない。

 しかし、何事にも抜け道というのがあるものだ。多くの難民、特に外国人を中心とした人々、そしてホームレスや無職の人々が、さながら戦後のブラックマーケットのように寄り集まってコミュニティを形成し、行政の立ち退き要請を無視して居座っている。そんな場所がいくつかあるのだ。強制執行をちらつかせる行政に対して、なら居場所を用意しろというのが彼らの言い分だ。

 今まさに、東京は急ピッチで復興にあたっている。

 背の高いビルや数々の集合住宅は、そうした人々のために作られているものだ。だから、それが完成するまでは、行政もそれほど強く出られないのだ。



 そんな場所なので、立ち入り禁止のバリケードが設置されていないまま、すんなりと入り込むことのできる場所がいくつもある。

 そしてこういう場所には、都市部の整然としたアーティスティックなマーキングとは別の、生々しいマーキングがたくさん残されている。



「また増えてる」



 都市部では、マーキングは即座にドローンによって削除されてしまう。ところがここにはドローンは入り込まないので、ほとんどがそのまま残されることになる。

 だいたいは瓦礫や廃墟の壁、打ち捨てられた自動車やバス、電車の車体、ひび割れたアスファルトの道路、その辺に立て掛けられたトタンの板。そうしたものに描かれたマーキングはどれも毒々しい色合いを持ち、無造作だ。



「うわあ……」



 昨日書かれたマーキングの上からさらに新しいマーキングが重ねられる。まだ塗料が乾き切っていないうちに重ねられるので、色が混じり合ってくすんだ風合いになる。

 アニメや漫画のイラストを露骨にパロディしたものや、写真をそのまま転写したものもある。総理大臣の顔に口紅を塗りたくって、男女平等とか書かれてたりもする。

 どでかい十字架にかけられた男のイラストもある。かと思えば、ダ・ヴィンチもびっくりの精緻なイラストもある。それらは、都会の白銀灯のような実験室的な照明ではなく、月の明かり、周囲の焚き火、キャンプ用のランタン、そういうものに照らされて、ぼんやりと幽霊のように浮かび上がっている。



 ここでは写真は厳禁だ。

 半ば放置されている区画なので、不法に滞在している外国人や、不法入国したひとも大勢いる。そういう人たちのための、無用なトラブル、あらぬ誤解を招かないためのルールだ。逆に、それさえ守っていれば、ここは都会よりもずっと自由な場所だ。



 ここの人たちはみんな生き生きとしている。



 都会のマーカーたちは、ある意味で不文律に雁字搦めにされている。たとえば、青い塗料を使っていいのは『ブルー』だけだったり、縄張り争いだったり。色戦争カラーウォーはいつも絶えない。彼らは確かに芸術を奉じているのかもしれないが、それは自由ではない。

 ここの色彩は自由だ。誰が何色を使ってもいい。鉛筆でもペンキでもいい。マリリン・モンローだけで、数千のバリエーションがある。



「あっ、」



 そんな生命力に溢れるマーキングの数々を見ていると、その中にもあった。

 銀色のホログラム加工された、クマのステッカー。極彩色の中でそのきらめきは、調和することなく目立っていた。

 ここにも来ているのだ、彼が。



 調べてみると、ここでもあちこちにステッカーは貼られていた。同じものがたくさん。その枚数は市街地とは比べ物にならない。



 ステッカーを用いたマーカーは、だいたいがチームで活動していることが多い。ステッカーは単一のモチーフを大量に、かつ誰でも貼り付けることができるので、色戦争の時にはしばしば用いられる。そうやって大量のステッカーを広範囲に貼り付けることで、「縄張り」をアピールするのだ。

 彼も、そんな考えの持ち主なのだろうか。






 わたしはひと通り散策して、スクーターを停めていた場所に戻った。それからエンジンをかけて、また都心部へと戻っていく。今日の分の出来高をあげなくては。

 街の様子は刻一刻と変化していく。昨日まではなかったビルが生え始めている。昨日まではなかったマーキングがある。たぶん明日の朝には消されてしまうだろう。



 大通りを少し折れた細い道。

 交差点から少し離れた場所。こういうところに……



「あった」



 昨日まではなかったマーキング。



 S U N S H I N E

 F A L L

 L E A V E S



 青地に、緑と赤をちりばめた控えめな色遣い。そしてアルファベットの独特なフォント。これは間違い無く、『ブルー』の新作だ。まだ塗料がしっとりとしている。描かれたばかりなのだ。わたしは余すところなく写真に収めた。カエデが喜ぶ。

 この周囲にはもうマーキングはないだろうと判断し、わたしはスクーターにまたがった。



 アクセルを入れて交差点を大通りに差し掛かった時、ふと、マーキングのあった方へ歩いていく人影が見えた。黒いパーカーのフードを被り、裾は膝裏くらいまである。かなり細身で背も高い。

 塗料の入った鞄類を持っていないことから、マーカーではないとわたしは判断した。



 ぶわっと、夜のビル風がフードをめくり上げた。街灯に照らされたその顔は白く、目が細く、鼻がすっと通った、若い女性のものだった。彼女は黒く長い髪をフードの中に押し込めて、落ち着いた様子でまたフードをかぶり直し、すたすたと早足で歩き出した。



「…………、」



 スクーターで反対側の通りまで行ってから、カエデに『ブルー』の新作を一番乗りで撮影したことをメッセージで報告した。今からマンションに向かうと報告したあと、わたしは元来た道を引き返し、くだんの『ブルー』のマーキングの場所へと向かった。



 予想通りだ。



 銀色のクマのステッカーが、貼ってあった。あいつが犯人マーカーなのだ。

 わたしはカメラを向けて、『ブルー』の澄み渡るようなマーキングの右下に、花押のようにきらめくステッカーを写真に収めた。

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