第2話

「君の脚と、私の脚を交換してくれないかい?」


三日後の話。神様の耳で、たくさんの言葉を聞いて、たくさんのお歌を楽しんだ。少しずつ、ちゃんとした発音でお母さんと話せるようになるのがとても嬉しく思った。絵本を自分で声に出して読む、それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。そんななか、再び神様が僕の前に現れた。透き通るような綺麗な声だった、天然水みたいな声だった。


「僕には足が無いんだ。こんな足じゃ、お外にもいけないよ」


首を傾げていた。少しだけの沈黙、破ったのは僕だった。ああ、と声を出して、ベットの隣の机から紙とペンを取り出した。今だに聞き慣れないペンと紙が擦れ合って、文字を書く音に感心する。さっき僕が話したことをそのままに書いたら、無事に理解してくれたみたいだ。手をポンと叩いていた。 


「君の足があれば、私は元気になれるんだ。交換しておくれ」


神様は元気じゃないの? よく顔を見たら、悲しそうな顔をしている気がした、寂しそうな顔に見える気もした。神様の言う通り、お世辞にも元気とは言えないね。神様を笑顔にしてあげたい、僕の足なんかで良ければ、喜んで交換してあげるよ。


「ありがとう」


太ももから下がない見窄らしい脚に、神様はそっと手を添えた。


次の日、気が付けば僕には足が生えていた。人を惹きつけてやまないだろうスラリとした綺麗な両足だった。でもお母さんは、まるで元から僕に足があったように扱っていた。何もおかしなことは無いと、お医者さんと一緒に優しく笑っていた。


みんなが笑っているのに、ようやく足が手に入ったのに、僕は不思議と笑顔になることができなかった。



「私の顔と、君の顔を、交換してはくれないかい?」


二日後の話。神様の足はどこも不自由じゃ無い。病院の中を駆け回ることだってできた。綺麗な天然水の声、そして太ももから下が無くて、車椅子を使っている神様だった。僕はとても醜いんだ。こんな亀みたいな目と猿みたいな鼻じゃあ、人とお話しすることもできないよ。


僕はモヤモヤした。自分の身体が惨めだったなんてとっくの昔に分かっている。だからこそ、どんどん惨めになっていく神様に耐えられなかった。お願いだから、君の物を大切にして欲しかった。


「その顔があれば、私は夢を叶えられる。交換しておくれ」


神様は意見を曲げなかった。女神のような鼻が、窓の外にある月の光のような目が、僕の身体を芯から射抜いた。本気なんだと、ここまでの信念を見たことがなかっただけに、驚きは桁違いだ。豆鉄砲を喰らった鳩の気分がようやく理解できた、わかりすぎて鳩にでもなったのかと思った。


……いいよ。僕の顔がそんなに欲しいなら、いくらでもあげるよ。そのかわり、君も幸せにならないとダメだよ。約束だからね。


「ありがとう」


神様の白くてスラリとした手が、僕の頬に触れた。とても温かい手だったのを覚えている。


次の日、僕の顔は神様とそっくりの顔になっていた。女神のような鼻に、月の光をそのまま写したような目をしている。お母さんは、何もおかしくないといった風に、今日も僕に勉強を教えてくれた。鼓膜があって、足もある僕は退院が近いらしい。この顔は看護婦さんや入院している女の子がとても気に入っているようで、退院が惜しまれてしまった。


モヤモヤが大きくなってゆくのを感じた。笑顔を作ろうとしたけど、思うようにいかなかった。ただ、この顔がお腹から笑っているところは見たことがないなと、呆然と考えるだけだった。



「君の手と、私の手を、交換してはくれないかい?」


1日後の話、神様の顔をあまり見せたく無いから、布団に潜るように篭っていた。僕の醜い顔を持っていて、足のない身体は、とてもじゃないが神様とは思えなかった。それでも綺麗な天然水のような声は、ちっとも変わらずに、僕の耳を刺激した。僕の手は指が足りていないよ、それに、もう神様に何も失ってほしくないんだ。


僕は気がついていた。いつの間にか、僕たちは性格は身分はそのままに、身体だけが入れ替わってる事に。手まで交換したら、もう誰も僕達の入れ替わりについて気付く人はいなくなってしまうだろう。


「君の手があれば、私は約束を守れるんだ。交換しておくれ」


約束と言われてハッとする。昨日の約束を、神様が幸せになる事という約束を、守ろうとしてくれている。幸せになってね。今になって僕の心を締め付けるには十分すぎた。僕の手で、幸せになれるの?


「うん、勿論だよ」


神様の目は、とても嘘をついている目には見えない。むしろ、神様が嘘をつくわけないと思う。……いいよ、これで最後だからね。これ以上、君が僕みたいになるのは、可哀想な姿になるのは、見たくはないんだ。


「ありがとう」


神様の温かい手が、僕の手を握る。自分の手は、白くてスラリとしたそれにはとてもではないが釣り合わない、4本しかないエイリアンみたいな手だった。


次の日、僕の手は五本指になっていた。雪のように透き通っていらだけじゃない、触ってみるとちゃんとゴツゴツしている男らしいかっこいい手だった。これは間違いなく、誰もが羨む手でだろう。お母さんに退院後の転校先について話をされた。もうどこも悪くない僕は、いつ退院してもいいみたい。お母さんは生まれつきの欠損では無く、僕が長い間闘病していたと思っているようだった。


この学校なら初めは追いつけなくてもサポートが手厚いよ、初めての学校だし定時制や通信制から始めでもいいよ、そんな声を右から左に受け流してしまった。僕は心配だ、神様が心配だ。幸せになったのかな、僕が原因でいじめられていないかな。どうかどうか、幸せになるようにと、神様が来なくても毎日のように祈り続ける事にした。

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