第10話 服毒

 エルディと心中未遂したことにより、デライラはより一層親から束縛されるようになり、実質エルディとは破局状態になってしまった。電話をしても着信拒否されているようで、繋がらない。

 カフィンは本当に死にそうな目に遭わない限り出てきてもくれない。

 カフィンとデライラという、心の拠り所を一気に失ったエルディは、傷心を引きずって当てもなく街を彷徨い歩いた。

 エルディの死にたい気持ちは、当初はカフィンへの恋心だけであった。がっかりすることがあると簡単に死のうとする。そこまで深い意志はなく、鬱病というほど深刻なものでもなかった。

 だが、今はどうだ。一度に二人から失恋し、社会的に抹殺された前科者で貧乏の鼻つまみ者。こうなったのはすべて自分の所為。後悔してもしきれず、いよいよ鬱状態が深刻な実態を伴うようになり、心の底から死にたいと願うようになった。いつの間にかエルディは本物の鬱病患者になっていた。

 ある日、暇を持て余したエルディが街を歩いていると、地面に画用紙を並べてスマートフォンで暇つぶししている女性に出会った。エルディが立ち止まると、女性は花開くような満面の笑みで「いらっしゃいませ!」と、彼を迎えた。

 そこに並べられた画用紙には、柔らかい水彩のタッチで描かれたイラストとともに、辛い気持ちを克服しようとあがく、前向きなポエムが描かれていた。

 『どんなに踏みつけられても健気に咲くタンポポになりたい』

 『あなたが不意に優しく微笑むから、喧嘩した後も嫌いになれない。やっぱりあなたが好き』

 『死にたいなんて言わないで。私はあなたと笑い合いたい。いつもそばにいることを忘れないで』

 エルディはそのポエムに心打たれた。まるでエルディの心を見透かしているようで、死にたいと願うエルディは優しく説得された気分になる。

 淡いタッチのイラストが、彼の心を温かく包んだ。

 「この絵、ください!」

 「ありがとうございます!」

 エルディは画用紙を何度も何度も見返し、そこに刻まれた言葉を深く自分の心にも刻んだ。

 「ああ、生きよう……。いい買い物をした」


 またある日、同じ道を通ると、同じ場所にその女性がまた画用紙を売っていた。

 「いらっしゃいませ!」

 並べられた画用紙を見ると、ラインナップは刷新されていた。

 「結構売れるんですか?」

 「おかげさまで。今度、絵本が出るんですよ。今はこの絵のほかに、絵本を執筆中なんです」

 「すごい!プロなんですね」

 「いえいえ、セミプロです」

 女性と話していると、次々に人々が立ち止まり、画用紙を買っていく。ほどなくして画用紙が完売してしまった。

 「よし、今日の仕事は終わり!」

 向日葵のように笑う女性の笑顔に、エルディは夢中になった。

 「なんて素敵な人なんだろう……!また彼女の元に通おう!」

 いつしかエルディは沢山彼女の画用紙を購入し、常連になっていた。

 絵を描いた理由や、ポエムの意味など、詳しく話を聞いているうちに、彼女が辛い立場に置かれていることがわかった。

 彼女は名をドレリー・ポピレーンといった。彼女は交際相手にDVを受けていた。その辛い気持ちや叶わぬ恋心を吐き出したくて、書き始めた詩がインターネットで人気になった。そこで彼女は自分の詩画に価値を見出し、交際相手の目を盗んで詩画活動を始めたという。

 「なんでそんな人と付き合うんですか!辛いんでしょう?」

 エルディは彼女を救いたいと思い、説得した。

 「辛いけど、あの人、私がいないとだめになるから……」

 「暴力ふるう人は本当にあなたを愛しているとは言えない!僕と付き合ってください!必ずあなたを幸せにします!」

 「えっ……」

 エルディは彼女の両手を両手で包み、祈るような形で彼女の目を見据え、口説いた。

 「僕はあなたの詩画の大ファンです。あなたの気持ち、あなたの心、よく解ります。きっとあなたを幸せにします。あなたは幸せになるべきだ」

 エルディの青い瞳が、ドレリーの心を大海のように包み込んだ。

 「ありがとう……!きっとあなたとなら幸せになれる。私を貰ってくれる?」


 エルディはドレリーを自宅に呼び、同棲生活を始めた。ドレリーの元カレの連絡先は着信拒否し、新居を調べられないように行政手続きをし、晴れて幸せな生活を手に入れた。

 エルディはドレリーの我儘や欲しい物を何でも聞いた。ドレリーの誘いもいつも迎え入れた。ドレリーが創作活動に没頭できる環境を整え、ドレリーにとって一点の不安材料もない快適な生活を送った。

 ドレリーの喜びが、エルディにとって何よりの喜びだったのである。

 ドレリーはデライラのような迷惑行為もせず、常識人で、優しく、お金もたくさん稼ぐ大変な人気作家だった。

 このまま幸せの絶頂で、いよいよ結婚を考えた時のことである。

 ドレリーは、その生活にうんざりしていた。

 エルディとの生活は、とにかく刺激がなくつまらなかった。

 なんでもいうことを聞いてくれるYESMAN。いつも笑顔を絶やさず、楽しいことばかり。そんな生活の中で、ドレリーは創作意欲を完全に失ってしまった。

 詩画や絵本のアイデアがない。

 幸せ過ぎて、退屈で、味気ない。ドレリーは心の隙間を埋めるように、出会い系サイトで新しい男を探し、エルディの目を盗んで浮気を繰り返していた。

 そしてある日、エルディはとうとうドレリーの浮気現場を目撃してしまった。

 エルディがガラス細工を扱うように大事に愛していた女性が、まるでレイプのように乱暴に犯されている。エルディは雷に打たれたようにショックを受け、ドレリーに暴行する男に殴りかかった。

 「僕のドレリーに何するんだ!!」

 裸の男と取っ組み合いで殴り合うエルディ。しかし、ドレリーは衝撃的なセリフを放ったのである。

 「やめてエルディ!私はもうエルディとの生活はうんざりなの!」

 「……え?」

 時が止まったようだ。間男も、間男を自覚しているためか、本命を突き放すドレリーのセリフに固まる。

 「エルディとの生活は幸せだったわ。でも、幸せ過ぎて地獄だった。絵も描けない。詩も思いつかない。アイデアがない。ぬるま湯じゃ私は絵を描けないの!もううんざりなのよ!刺激が欲しい。こんなことなら元カレのほうが数倍幸せだった!あの人は私を殴ったけど、あの人は私を必要としていたもの!エルディは、私じゃなくても誰でもいいでしょう?!」

 エルディの目から無意識に涙が流れた。

 「そんな……僕は、ドレリーのために、必死に頑張って働いてきたのに……」

 「その分私を放置したでしょう?仕事仕事って。全然私を構ってくれない」

 「構ったじゃないか!精一杯向き合ってきた!」

 「私はそれじゃ足りないのよ!!……寂しかった。虚しかった。幸せになるのが怖かった」

 放心状態のエルディを尻目に、ドレリーはいそいそと服を着て、間男とともに家を出て行った。

 「あとでまた荷物取りに来るけど、もう一緒には暮らせないから」

 エルディは、また失恋してしまった。


 もう失敗しないように。考えに考え抜いて配慮して、精一杯愛した女性は、その愛が退屈だと言って出て行った。最善の策を尽くしたことが裏目に出るなど考えられるだろうか。

 ドレリーのホームページには、再びDVを受けている愚痴が書かれていた。あの間男にいじめられているのだろう。

 『辛い、痛い、苦しい。でも、もうあの幸せな日々に帰れない』

 エルディのことは美談にされてしまった。こんな屈辱があるだろうか。

 「死にたい」

 エルディは確実に死ぬため、服毒自殺を試みた。トイレの漂白洗剤を飲めば、誰にも知られず確実に死ねるはずだ。

 エルディは洗剤を飲み、地獄の苦しみにのたうち回り、ドレリーへの呪詛を抱きながら意識を失った。


 「エルディ。残念だったな」

 「……!カフィン……」

 真っ暗い世界で、顔が半分白骨化した美しい女神が、エルディの首に大鎌をあてがっている。

 「お前は本来ここで死ぬべき運命ではなかった。だが、このままだと確実に死ぬだろう」

 エルディは涙を流して鎌に縋りついた。

 「殺してよ。もうたくさんなんだ。カフィンと一つになりたい。そっちの世界に行かせてよ。こんなひどい裏切り、あんまりだよ……。このまま生きながらえて、ドレリーを思い出しながら生きたくない。バカだ、ドレリーは。本当にひどい人だ」

 カフィンはさすがにエルディに同情したようだ。エルディに憐れむような目を向け、エルディの嘆きを聴く。

 「今まで沢山ひどい目に遭ったけど、今回ほど死にたいと思ったことはなかった。こんなひどい裏切り、僕は想像もしなかった」

 「エルディ。お前の生涯の伴侶は、デライラがふさわしい」

 カフィンはそういうと、しばし沈黙して虚空を仰いだ。

 「え?デライラ……?」

 一分だろうか。三分だろうか。しばらく沈黙していたカフィンが、ゆっくりとエルディに向き直った。

 「お前の命はまだ刈り取らない。デライラと生きろ。お前にはそれがふさわしい。私のことなど忘れ、デライラを幸せにするのだ」

 そういうと、カフィンは鎌をエルディの首筋から離し、天に掲げた。途端、エルディの視界が歪み、激しいめまいとともに暗転する。

 「カフィン!カフィン!!」


 気が付くと、白い天井が見えた。今度は右側から陽の光が差し込んでいる。その顔を覗き込む顔は、見知った笑顔だった。

 「エルディ!気が付いたのね!」

 「で、デライラ……」

 デライラはわあっとエルディに覆いかぶさり、彼を抱きしめた。

 「カフィンから連絡が来たの。エルディが本当に死にそうになっているから、彼の自宅を訪ねろって。エルディを助けてやってくれって。エルディ。カフィンにお礼言わなくちゃね」

 エルディは驚いた。エルディの死期を、カフィンがデライラに告げたという。カフィンが沈黙していたのは、きっとデライラにエルディの危機を知らせるためだったのだろう。カフィンはそうまでしてエルディを生かしたかったのか。そして、デライラは親の反対を押し切ってまで、エルディを看病してくれたのか。

 エルディは泣きながらデライラを抱きしめ返した。あんなに迷惑だと思っていたデライラが、今は世界で一番愛しい。

 「デライラ……カフィン……ありがとう……」

 エルディは、カフィンの言葉を胸に刻み、デライラと生きようと誓った。

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