第6話 リストカット

 ドーパミン文筆家ウィリアム(サッドネス)エネットとの心中未遂事件は、エネットの金の力で解決した。

 エネットもエルディもお互い罪には問わないで欲しいと主張し、お互いに心神喪失状態であったことも加味されて、エネット側が金を積むことで二人は釈放された。

 しかし、エルディは若干二十歳で前科者になってしまった。全身に広がる醜く爛れた火傷跡が痛々しい。

 エルディは自分を責めていた。あのまま一人で死んでいれば、尊敬するエネット先生を巻き込むこともなかったし、生きながらえて前科者になることもなかった。あのまま水に飛び込まなければ確実に死んでいたのに、なぜ自分は生き延びてしまったのだろう。カフィンにも死にたいと伝えたはずなのに。あの「そうか」にはどんな意味があったのだろう。

 エルディは罰せられたかった。拘置所で過ごしていた時間は、罪人であるという気持ちが刺激されて、幾分気持ちが落ち着いていた。

 だが、釈放された今、大学は退学させられたし、仕事も就けない。

 たった一人で過ごすアパートの一室で、暇を持て余すエルディの心は罪悪感に沈んでいた。

 「自罰……」

 エルディは、カッターナイフに手を伸ばし、醜くなった左手首を切りつけた。失血死を望んでいた。だが、固くなった皮膚に、ナイフは刺さらなかった。薄く傷がついて、皮膚が白く削れ、粉が浮く。望む赤い液体は出てこなかった。

 「なんで……なんで……くそ、クソ、糞!!僕は、僕を罰しなければならないのに!!」

 重ねて切り付けても、狙いが外れ、薄い傷しかつかない。やっと血がにじんでも、一瞬で乾いてしまう。

 「うわあああああああああ」

 泣きながら刻み続ける傷は、だんだん範囲が広がっていき、右腕にも及んだ。ヒリヒリと熱を持つ両腕は、赤い筋を沢山刻まれ、乾いていた。

 「カフィン……このままじゃ死ねないよ。カフィン……血を見せてよ」

 エルディはカッターを握ったまま、気が済むまで泣いた。

 「そうだ、この腕に、“Coffin”と刻んでみようか」

 それは、ほんの気まぐれな思い付きだった。まだ広々と空いている左腕のキャンバスに、最愛の人の名を刻んでみる。

 “COFFIN”

 その傷は、不思議と深く傷がついて、待ちに待った流血を伴った。

 すると、エルディの心に、ホッと温かい気持ちが広がった。

 愛しい人の名前が、血を流している。死神にお似合いの赤い血が、死神の名前から流れている。

 エルディは、その血を舐めてみた。ピリッと傷口が唾液の刺激で傷み、鉄のような肉のような味が口に広がる。

 「カフィン……愛してる、カフィン……素敵な名前……。僕を、君のカフィンに閉じ込めて、永遠に逃がさないで……」

 エルディは何度もCOFFINという傷をカッターでなぞった。血を見ると、死にたい気持ちが霧散する。満足感が心に広がり、生きている実感が得られた。

 エルディは高ぶった交感神経が副交感神経に切り替わったことで、満足感の中、眠りに落ちた。


 後日、久しぶりにヴァイスと飲みに出かけたエルディは、無意識に左腕をかきむしってしまった。カサブタのせいで、肌に猛烈な痒みが襲ったのだ。露になった左腕の傷跡を見逃さなかったヴァイスは、エルディの腕を掴んで問いただした。

 「お前……また死のうとしてるのか?なんだこの傷は?」

 ヴァイスはわなわなと震えだし、裏切られたような顔をして、エルディの目をまっすぐ見た。エルディは「しまった」と思ったが、いつも明るいヴァイスに、落ち込んでいることがばれたくなかった彼は、思い切って腕をめくって、お道化てみせた。

 「た、タトゥーだよ、タトゥー!自分で刻んだんだ。イケてるだろ?最愛の彼女の名前だよ」

 「COFFIN……カフィン……それがお前の恋人の名前なのか?」

 「そうさ!なんたって死神だよ、彼女は。最高にイケてるじゃないか、死神の名前がカフィンだなんて」

 ヴァイスは憐れむような眼をしたが、やがてエルディを理解しようとしたのか、フッと微笑んで、顔をあげて眩しいような笑顔をエルディに向けた。

 「イケてるタトゥーだな!かっこいいぜ!俺も彼女の名前を左腕に刻もうかな!」

 エルディはその笑顔を見て、ヴァイスに気を遣わせてしまったと、己を恥じた。もう二度とアムカなんてしない、と、エルディは固く誓ったという。

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