第3話 手掛かりを求めて

ちゃぽん、と水の滴る音がする。

全身から感じる熱によって、冷たい雨で冷え切った身体が芯から温められ、薄っすらと汗が滲む。


場所は病院の敷地内に設けられた浴場。

後を追いかけてきた看護師に確保されたミトスは有無を言わさずに浴場へと放り込まれたのだ。その勢いは凄まじく、自分の身の上を明かす暇も、反対意見を述べる暇もない程。

彼女以外に入浴している人が居ないのが幸いだろう。


「はぁ……」


湯の中で全身から力を抜いたミトスは静かに天井を見上げていた。

湯気の中で思い返すのは墓場での出来事。ラグナとのやり取り。


「ラグナ、どうしてじゃ……」


ミトスはどうしてラグナに嫌われたのか分からなかった。

勇者パーティーとして【闇の勢力】の首魁、魔王を討伐する旅に出発する前は親子同然に仲良しだった筈。それどころか、今日に至るまでにラグナは彼女を嫌うような素振りを見せた事はなかった。


故に、彼とは良好な関係を築くことができているとミトスは思っていた。


「……セリアスとへカティアも同様なのかのう」


頭の中に過るのは娘のような少女と弟子の少女。

ラグナにはっきりと嫌いだと言われた事があまりにもショッキングな出来事だったため、2人に真意を確かめるだけの勇気を持つ事ができなかった。そして、今も顔を合わせる事に恐怖を感じている自分が居る事にミトスは笑った。


自分はこんなにも臆病な人間だったのか、と。


「はぁ……これから、どうするべきかのう」


当然ながら、勇者パーティーに戻る事はできない。かと言って、自分一人で【闇の勢力】と戦う気概も毛頭ない。

そもそもミトスがパーティーに参加したのは幼い頃から面倒を見てきたラグナたちが王国の勇者パーティーに抜擢され、心配だったからパーティーに志願したに過ぎない。


もっとも、今の身体では【闇の勢力】と戦う程の力はないのだが。


「やはり、この呪いを解くの先か。しかし、セリアスでも解呪できなかった呪いを解ける者など、この王国には—————」


「ミトス、湯加減はどうですか?」


「————っ!? ちょ、ちょうど良いのじゃ!!」


「そうですか。貴女の服、裾直ししておきましたから、此処に置いておきますね。」


「世話になってすまない。」


「この程度、お安い御用ですよ。ああ、それと貴女宛に王都行の馬車のチケットが届けられていますよ。」


「あい、分かった。(王都行き……手配したのはラグナじゃろうな。———王都?)」


王都。

ミトスの生まれた都市であり、国王が執務を行う文字通り国の中心。

セリアスのような神官が所属する神殿の総本山が置かれており、神への祈りを捧げてるために毎日多くの人々が訪れる。

また、神殿総本山は大型の病院の側面も持ち合わせているため、治療を求める人々が日夜来訪するのだが、彼女が目を付けたのはその総本山を取りまとめるトップの存在だ。


(そうだ!! 彼女なら……フィディスなら、解く方法は分からなくとも何かしらの知識を貸してくれるかもしれん!!)


思い立ったらすぐさま行動。

ミトスは勢いよく湯舟から上がると、脱衣所に向かって駆け出す。

何せ、この前線基地から出ている王都行の馬車は2日に1回しか無い。今日の便を逃すと、明後日まで待つ事になってしまうのだ。


(確か、馬車の時間は天候に左右される筈。今から急げば、間に合う筈じゃ!!)


大雑把に体を拭って、いざ衣服を着ようといた所でミトスの手は止まった。

脱衣所には看護師が気を利かして用意してくれた衣装が綺麗に畳まれて置いてあるのだが、そのラインナップが問題だった。


まず、今のミトスはビーストと呼ばれる種族の“女の子”である。

現在お世話になっている病院内では、勇者が【呪法のルナール】を討伐した際に保護した女の子という認識が広まっており、その認識は撤回されていない。名前も偶然、勇者パーティーの賢者ミトスと同じだと思われており、誰一人として同一人物であると思っていない。


詰まるところ、用意された衣装は女性用だったのだ。

当然ながら、下着類も女性用の代物が用意されており、これを身に着けない限り外に出る事はできない。


「こ、これを……履けというのか!?」


ミトスは羞恥心で顔が真っ赤になった。

何処かに男性用の下着は無いかと考えたが、連れ込まれたのは女湯。そんなものがある訳がない。そして、外に助けを求めても彼女のお願いを聞いてくれる訳がない。


残された道はただ一つ。

羞恥心を押し殺して、用意された衣服を身に着けるしかない。


「う、ううぅぅぅぅぅぅ……!!!!!」


唸り声をあげても事態が改善する訳ではない。

そして、女性用の下着と睨みあう狐娘という絵柄が暫く続き、状況が変わったのは湯冷めする寸前の事だった。



ちなみに、馬車には間に合わなかったのは言うまでもない。




・・・



・・・・・・



・・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・



そして、二日後。

ミトスは無事に王都へ向かう馬車に乗って、前線基地を出発。

ガラガラと揺れながら街道を走る馬車はミトスを乗せて、第1の目的地へと向かっていた。


「お客さん、見えたぞ。あれが第1目的地のクレスタだ。」


「ようやく、第1中継点か……」


御者の報せを聞いた荷台のミトスが大きく身体を伸ばして、凝り固まった身体を解す。

前線基地を出発したから、彼これ数時間。日が傾き、もうすぐ夜になるような時間になって、馬車は第1の目的地——クレスタへと到着した。


「しかし、後二つも拠点を通る必要がある事を考えると、まだまだ時間が掛かるなぁ」


「こればかりは仕方ない。“竜車”があれば、王都まで1日もあれば余裕だろうが、普通の馬車ではこれが限界だ。」


「“竜車”は貴族や王族の特権下級専用の乗り物じゃからな。羨ましい限りじゃ。」


「私としては、一度この手で竜を意のままに操ってみたいという気持ちの方が強いな。———おや?」


「どうかしたのか?」


「いえ、馬車の発着場に珍しい先客が居るようで……」


御者が指さすには、しっかりとした造りの客車。

随分質の良い木材で作られたであろう客車は新品同然であるが、それだけ。それよりも目を奪われるのは、その客車を引く動物である。


漆黒の鱗に覆われた身体、強靭に発達した四肢。

大木のような尻尾、威厳たっぷりな一対の角。

生態系の頂点に位置する存在、ドラゴンが気持ちよさそうに客車の傍らで眠っている。


「あれは竜車か。という事は貴族でもこの町にやってきているのか?」


「さぁ、どうでしょう? そんな情報は聞いておりませんが……それに、クレスタは何も無い町ですから、わざわざ貴族が来るような用事はないでしょう。」


「それもそうじゃな。」


「明日の馬車は夜明けと共に出発します。遅れないでくださいね? 遅れたら容赦なく置いていきますから。」


「わかったのじゃ。」


そう返事をして、ミトスは馬車から飛び降りる。

そのまま宿の方へと向かうのかと思いきや、彼女が向かったのはクリスタ郊外にある森。

売買するための木々が生い茂る森の中に立ち入った彼女はふぅーと深呼吸した後、思いっきり地面を蹴る。


「ほっ、と。」


跳躍したミトスは手短にあった木の枝に着地する。

さらに、その木の枝からより高い場所にある枝に飛び移り、どんどんと高い場所まで登っていく。そして、これ以上高い場所の枝が見当たらなくなった所でようやく足を止めた。


「……我ながら、とんでもない身体能力じゃな。流石はビースト。」


ヒューマンに近い身体に獣の耳と尻尾という特徴を持つ種族——ビースト。

その最大の武器は獣由来の強靭な身体能力。ヒューマンに近い外見にも関わらず、その身体能力は獣と同等というのがビーストの特徴である。

ミトスの場合、狐がモデルのビーストなので跳躍力が優れているようだ。


「ふむ……」


何を思ったのか、突然木の枝から飛び降りるミトス。

そのまま地面に叩きつけられれば確実に死に至る高さ。にも関わらず、彼女に恐れの色は無い。ぐんぐんと増していく落下速度の中、身体をくるりと反転させると木の幹を思いっきり蹴り、反対側の木の幹を蹴って、高度を上げていく。


所謂、三角飛びである。


(身体を動かすのでそれほど好きでなかったが……これは楽しいのう♪)


以前の身体はお世辞にも身体能力が高いとは言えなかった。

基本的には引きこもり生活であり、魔法という道具で身体能力を強化してきた彼女にとって、素の身体能力で物語のような芸当が出来る事に楽しみを見出したのだ。


(単なる身体能力の確認のつもりじゃったが、ここまで思い通りに動けるとこれだけで楽しいわ♪)


テンションが上がってきたミトスは慣れてきた事もあって、更に速度を上げる。

身長が変わり、手足の長さも変わった。普通なら中々思うように動けない筈なのだが、今の彼女からはそんな様子など微塵も感じられない。


だが、動き回っていたミトスはある木の枝で突然足を止めた。

ピクピクと狐耳を動かして、耳を澄ませると木々の合間を潜り抜けて、聞こえてくる音があった。


「人の声。それに、この音は……何かと戦っているようじゃな。」


耳に届いたのは、かなり森の奥から聞こえてくる大勢の人の声。

しかも、談笑しているような気配はなく、どちらかと言うと切羽詰まったような感じだ。


「ふむ、少し様子を見に行ってみるかのう。」


声の元凶が気になるミトスは木の枝を足場に森の奥へと向かう。

ピョンピョンと枝から枝へと飛び移り、奥へ奥へと物凄い速さで進んでいく。

そう遠くない時間でミトスの視覚は声の発生源である集団の姿を捉えた。


「くそっ!! ガデッサ、もう少し持ちこたえてくれ!!」


「そのセリフ、10分前に聞いたぞ!! 魔法一個使うのにどれだけ時間が掛かってるんだ!! フィディス様なら、もう3回は使ってるぞ!!」


「こっちは慣れてないんだよ!! つべこべ言わずに働け!!」


「てめぇ、後で覚えてろよ!!」


(あの装束、神殿騎士じゃな。慣れてない所を見ると、新人か? 相手しているのは———)


森の奥に居たのは、真っ黒な体毛の中から八つの赤い目を覗かせる異形。

外見の形状的にはクモが近いが、そのサイズは成人男性並みに大きく、6本の脚に加えて鋸のような前脚を所持しているのが特徴だ。


一方、そのクモのような魔物と相対しているのは白を基調にした法衣の上に鎧を装着した二人組の男性。ミトスの記憶が正しければ、神殿に所属する騎士の装束だ。

だが、その動きは少しぎこちなく、慣れていない事が伺える。


(ふむ……あのモンスター、セッラ・アレニィは新人教育の一環で討伐に赴くこともあると聞く。ならば、あまり手を出すべきではないか。)


成長の機会を奪うのはよく無いと判断して、ミトスは傍観者に徹する。

だが、二人組の神殿騎士は徐々に追い込まれていく。


「おい、ドレッド!! 魔法構築に時間が掛かりすぎだろ!! 俺も何時までも持ちこたえられないぞ!!」


「だ・か・ら!! お供の小型蜘蛛が邪魔で魔法構築に集中できないんだよ!!」


(やれやれ。大方、強力な魔法で仕留めようと思っているんだろうが、準備が甘かったな。やるなら、お供の蜘蛛が寄ってこないような状況を作ってからじゃ。)


ミトスから見れば、新人神殿騎士の練度は見習いクラス。

もっと丁寧に下準備をしておけば、此処まで苦戦する事はなかっただろう。

さらに言えば、セッラ・アレニィの武器はノコギリ状の前脚。時間が掛かれば掛かる程に防具の耐久力が減っていき、命の危険が増す。この状況が続けば、危ないだろう。


(仕方ない、少し手助けをしてやろう。魔力は激減したが、お供の蜘蛛を蹴散らすぐらいなら……)


頭に魔法術式を構築し、そこにエネルギー源となる魔力を注ぎ込む。

すると、ミトスの手の平には篝火サイズの炎が生み出され、いつの間にか真っ暗になった森の中を爛々と照らし出す。


(やはり、初歩的な魔法なら問題なく使えるようじゃな。お供の蜘蛛ぐらいなら、これで十分じゃろう。)


吐き出した糸を木の枝に貼り付けて、振り子のような動きで翻弄するお供蜘蛛。

要となっている細い糸は非常に燃えやすいので、初歩の魔法でも十分な威力がある。


「ファイア———————」


「おっと、余計な手出しは無用だよ。」


狙いを定めて、投擲しようと手を振り上げたその時。

逆転の引き金となる筈だった彼女の細腕は第三者によって、止められた。


「君のように年端のいかない少女に助けられるのは彼らのプライドが傷ついてしまうからね。」


「っ!! アンタは—————」


ミトスの腕を掴んだのは、灰色の長い髪を風に靡かせる女性。

青を基調にしたシスター服を身にまとい、その手には神殿に所属する神官でも限られた者しか扱う事を許されないと言われている聖杖。


その髪の色と優し気な雰囲気から【灰色の聖女】と呼ばれる人物。

最高位神官——フィディス・エスペランザがそこに居た。

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