小旅行

酒井小言

第1話

 最近はテクノの小さなイベントを主催しているという小学校の同級生に誘われて、彼は横浜線の二つ隣の駅にあるという小さなクラブへ行くことにした。高校生の時はヒップホップが好きで町田のクラブへ頻繁に足を運び、受験勉強が始まって遠ざかり、大学生の時に渋谷や池袋などのクラブへ通っていた。それもいつの間にか離れて、自営業の仕事を始めてから自らイベントを主催することになると、コネクション作りと運営を学びに今はテクノのイベントへ出向いていた。

 仕事を終え、少し仮眠してからイベントへ向かった。中学校の数学の教師が畑を持っているというので、熱帯魚屋へ自転車で行った帰り道に寄ったのが、そのクラブのある最寄り駅の近くで、相模総合補給廠からそう遠くはないが、彼が田舎だと思っている町田よりもさらに田舎になり、それは駅前に商業店舗がないのではなく、看板の大きな居酒屋チェーン店やコンビニエンスストア、立ち食いそば屋、パチンコ店などのある中途半端にも満たない未熟な商業規模で、十分も歩けば駅周辺の特徴をつかめてしまい、路地裏を歩けば意外な店が見つかる路地がそもそもなく、住宅街を歩けば風情のある家屋を発見するような歴史もないので、出来たての出来の悪いワインのようにつまらない味しかなく、旨味を感じることのない平凡な駅であって、駅前に何一つ店のない野山や畑に囲まれた小島のような地方の駅こそ本物の田舎だろうが、彼にとっての田舎は彼の持つ生活圏とまったく関連性のない旅情を喚起させるものではなく、下手に着飾って気取る不細工でスタイルの悪い同級生のように、何の魅力も持たないものだった。そんな駅にクラブがあるということを初めて知り、数年前は少なくとも四軒以上あったクラブも、今ではライブハウスのような店がいくつかあるだけで、クラブと呼べる店は一つしかなく(換気ガ悪ク常ニ煙草ノ煙デ燻製状態)、夜の遊び場が衰退していく町田に反して、なぜこんな駅にクラブが新しく生まれたのか不可解であった。

 相模原駅ならまだしも、なぜこの駅に、この疑問を反芻しながら彼は夜の電車を降りて、通勤帰りも少ない人の流れに従って一つしかない駅の出口へ向かった。二年くらい前に有名な大学の新しいキャンパスが開設されたから、若者の要望を満たすのに誰かが賃料の安い場所に夜の遊び場を開いたのだろうか。そんなことを考えながら駅の外へ出ると、すでに寝静まっている気配を、乗客待ちのタクシーの数台が不変的な隊列で醸しているので(きゃばくらノ客引キガ変容シタ季節ヲ問ワズニ飛ビ交ウ小五月蝿イ蛾ノ生命力、ト言ウヨリ利用シナイ者ニトッテハ有難サヲ知ルコトノナイ、話ヲシナイ黒イ虫ノ存在感)、インターネットサイトの地図でわずかに調べただけの記憶はクラブの場所をすでに失くしていて、田舎だから行けばわかるだろうという甘い考えが浮かぶ程度の関心では、行って探せば確かにわかるだろうが、視線を少し遠くの道へ向けると外灯が闇に浮かんで目立つようなところへ、進んで探したくなる好奇心はそもそも持てないのだ。彼は三十秒程あたりを見回し、ちょうど自転車で通りかかったヒップホップを好きであろうと思わせるベースボールキャップの男に躊躇せず話しかけた。ロック好きと教えてくれる黒いライダースジャケットと同等の確信を持たせるサイズの大きいスタジアムジャンパーを着た若い男は、やはりクラブの場所を知っており(今日ハ何ノいべんとダッケェ、知ラネェケド、コノ人ノ格好ダトひっぷほっぷジャネェダロウナァ)、どんな人間でも道を尋ねられれば応えてやりたくなる人情と、土地の情報を持つ優越感によって愛想良く教えてくれる。不良っぽい身なりだからといって親切心を持たないわけではなく、不良を一つの職業だと見なすなら、地位の高さは関係なく、心根の良い悪いと、いくつかの要素だけで人間性を断定できるように、親切な不良や人情に厚いのは必ずいるのに、彼はなぜか不確かな常識や社会の規範の見地から道を教えてくれた若者に向いたので、素直に教えて人懐っこい笑顔を見せてくれたことが僥倖を得たように嬉しくなり、かわいい後輩に対する親しみと見くびりを含んだ感謝を述べて歩きだすと、「近いんでうしろに乗ってください」。

 誰もが幸先の良いスタートだと思うだろう。ラオスの南部を旅行していた時、世界遺産の寺院を訪れた帰りに移動手段を取り逃し、民家のない木木に囲まれた平野を抜ける暗い夜の十キロの道程を一人で心細く歩いていると、たまたま通りかかった原動機付自転車に乗った男に「乗れよ! 町まで送ってやるぜ!」という意味であろう現地の人の抑揚のある喋りとウィンクと、とびっきりの笑顔によって救われたことが頭をよぎり、彼は過去と現在の喜びを不安定に自転車をこぐ若者のうしろで味わいながら、押し黙ってこの勢いを殺さぬように遠慮なく他愛のない話に努めた。

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