4:二人の朝


 アリスの朝は早い。

 

 彼女が起きるのは決まって大体午前六時頃らしく、二度寝を決め込んでギリギリまでお布団と夢を語らう俺からすると考えられないほど早起きだ。


 それからしばらくすると、玄関が開く音と、鍵を閉める音が聞こえてくる。彼女は毎朝、ストレッチをしてその後に軽くジョギングをするそうだ。俺は運動が嫌いでも苦手なわけでもないが、それは到底俺には真似出来ない日課だった。


 そこから俺は再び二度寝をするのだが――


「……くん」


 うーん。なんか可愛い子の声が……聞こえる……気が……する。


「けーんと君」


 やっぱり……間違いない。きっと夢に出てきた……あの子だ……誰だっけ……。


「賢兎君! ご飯だよ!」

「……んー、あと二時間」

「二度寝の一単位が多過ぎるよそれ……。ほらあ、早く起きないと……」

「むにゃ……起きない……と?」


 俺は寝ぼけた思考のまま、この可愛い声と会話していると――


「ふふふ……悪戯しちゃうよ?」


 その蠱惑的な声と同時に、腰の辺りがズシリと重くなる。そして、そこに何やら柔らかい感触を感じると同時に、


「おりゃ! 起きない悪い子はこちょこちょの刑に処す!」


 俺の脇がくすぐられた。


「あ! ちょ! やめ!! くすぐったいって!!」

「あはは!! おはよう賢兎君!」

「お……おはようアリス」


 俺は俺に馬乗りになったアリスから目を逸らした。腰の辺りの柔らかい感覚は彼女のお尻のようで、俺は必死にそれを意識しないようにする。というかアリスさん、マジで十代男子の寝起きの股間は危険がいっぱいだから近付かないでくれ!


「早く起きないからだよ? はい、復唱! 家のルールその一、〝ご飯は必ず一緒に食べること〟」

「分かってるって……だからどいてくれ……」


 流石に、重いとはとても口には出来なかったが、それを察したアリスが意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「私、身長もあるしおっぱいもお尻も大きいから重いでしょ。嫌だったら早く起きるように!」


 アリスはそう言って俺の上から軽やかにどくと、そのままクローゼットの方へ行き、着替えはパッパッと取り出していく。


「子供じゃねえんだから自分でやるよ……」


 俺はすっかり目が覚めてしまって、渋々起き上がりながら頭を掻いた。


「だったら早く起きなさい。ご飯ゆっくり食べられないでしょ?」

「へいへい。着替えるから出ていってくれ」

「ふふふ……賢兎君は恥ずかしがり屋さんだね。じゃ、お味噌汁温めておくから顔洗ったらすぐに来てね~」


 まるで黄金色の風の如く、アリスは、腰の付近にある柔らかい感触と女子特有の甘い匂いを残して去っていった。


「恥ずかしがり屋って……アリスがおかしいんだよ……」


 アリスと一つ屋根の下で住み始めてはや一週間。彼女の生態を一通り把握出来たが……色々と困ることがあった。

 

 とにかく彼女は羞恥心がないのかあるのか分からないが、かなり無防備な姿でお風呂から上がってきたり、平気で目の前で着替えたりと、俺の目のやり場をなくしてくれやがる。


 そのくせ、出掛ける時や学校行く時は入念にあれこれガードしており、俺が密かに好む、ブラウスから透けて視えるブラジャーとかそういう類いのものは一切見せなかったし、制服以外ではあまりスカートを穿かなかった。そういえば、制服のスカートも規定通りの長さだったな。


 大体、陽キャ系の女子ってみんなスカートの裾を短く詰めては、先生に注意されるのいたちごっこをやっているイメージだったが。


 ま、残念ながら、これまで女性の家族がいなかったせいで、世の女性がそんなものなのかどうかの判別は俺にはつかない。


 そんなことを考えている間に俺は着替えと洗顔を済ませ、食卓についた。


 白いご飯に、昨日の残りのお味噌汁。出汁巻き卵と常備菜の小鉢。更にウィンナーもついている。そうそう、これで良いんだよ。俺も最初は、サラダだけとか、フルーツだけとか、シリアルだけとか、そういうのを覚悟をしていたが、アリスはしっかりと俺が好む和食を用意してくれていた。


 これだけで朝からやる気が満ちあふれてくるから、俺は単純な男だ。


「いただきます」

「召し上がれ~」


 俺とアリスは手を合わせ、食事を始めた。


「出汁巻き美味いな」

「完璧?」

「完璧だよ、文句なし」


 ほんの少し入ってる砂糖が素晴らしい。つい最近までしょっぱかったり甘すぎたりとブレブレだったが、俺が半ば無理やり言わされた指摘を聞いて、すぐに修正してくる辺り流石だった。


「えへへ……もうプロレベルだと思うよ」


 嬉しそうに胸を張るアリスを見て、俺も微笑む。


「間違いない。俺も負けてられんな」

「昨日のエビチリは美味しかったよ? 余った分お弁当に入れといたけど」

「エビの下処理がな……もうちょいなんとか出来る気がする」


 最近、朝起きられない俺の為に、朝食と昼のお弁当はアリスが、そして夕食は俺が担当していた。最初は色々と試行錯誤したが、その分担がお互い一番やりやすい形だと気付き、落ち着いたのだった。


「賢兎君って意外と凝り性だよね」

「そうかなあ……親父がうるさかったからかな」


 あいつ、自分では一切作らない癖に、口だけは一丁前に出すからな。


「作ってあげる相手がいるって、幸せだね」

「作ってもらってる側が感謝していればだけどね」

「ありがとうね賢兎君」

「こちらこそありがとうアリス。お弁当、実は毎日楽しみにしているんだ」


 お互いにお礼を言い合って、俺達は笑った。ついこないだまで赤の他人とは思えないほど、俺とアリスはしっくりと来ていた。それがお互いの努力のおかげなのは、俺もアリスもきっと分かっていた。


 そうして俺達は仲良く並んで片付けをして、余裕を持って家を後にした。


 アリスはリュックを背負ってヘルメットを被り、スポーティな自転車に乗って颯爽と飛び出していく。俺は電車通学で、俺達の高校は二駅離れたところの駅前にある。


 自転車だとまあまあ遠いのだが、アリスにとっては丁度いい運動になるらしい。なんというか、こう女子ってストイックだよね。俺には真似できん。


 とまあそんな感じで、俺とアリスの日常は始まるのだった。

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