フィルムとぐるぐる

N.river

「映画.com」より 2016年~2021年

ディアー・エヴァン・ハンセン 

監督:スティーブン・チョボウスキー

2021年



「現代的な恐れと恐怖」

最初の緊急事態宣言中、主演のベン・プラットらのUPした

「You will be found]をユーチューブで聞き、いったいどんなミュージカルなんだろうと

ニューヨークなどに行けるはずもなく悔しく思っていたところでの

映画化、そしてロードショーだった。


作中に登場する孤独や、人と人のつながりがとても「現代的」だと感じた。

本音を吐けない心の孤独に、語っては居場所を失うのではという恐怖。

そのフチで主人公のとった行為は許されるはずもなく、

しかしながらもたらされる充足感と周囲の喜ぶ顔は背徳と抱き合わせで、

ああ、ヤバすぎるんだけどもう引き返せない。

始終、付きまとう居心地の悪さが、

せずにおれない渇望度合いが強烈だった。

(もう依存である)

だがこうしたごまかしは大なり小なり誰もが一度は味わったことが、

もしくは継続中ではないのかと思えてならない。


そして迎えるクライマックス。

破綻するほかないと思っていたが、

回収されてゆく物語は、しょっぱいけれど不思議なほど安堵に満ちていた。

果てに主人公に残ったものを思えば、甘さ控えめのリアル志向だ。

まさに今を鋭く切ったブロードウェーミュージカルの実力、と観る。

し、今、見るからこそ響く物語でもあると感じる。


「You will be found」が一番好きな曲だろうと思っていたが、

主人公の母親が歌う「So big So mall」が一番良かったな。



時事ネタを創作へ織り込む時、難しいなと感じるのは視点の据え方と

執筆前の掘り下げだろう。

いずれもいかに一方的にならずにおれるか、がキモではないかと感じている。

創作論でも書いたように、白を書きたければ黒をないがしろにせずむしろ追究すべしと思う身としては、一方的な主張や視点で展開する物語ほど物足りなさを感じて止まない。

だが書き手としての自身は常に一人しかいないなら、試されるのは柔軟性な思考、いわゆる知性かと考える。

本作にも主人公は一人いるが、それ以外、脇役の造り込みが主役級にかなり深い。

だが今を描けばこそ脇役など存在せず、誰もが誰かに当てはまる主役であるはずだし、今を切り取っているにもかかわらず、その今がごく一部分でしかないことは片手落ちだろう。

ゆえに本作のように様々な視点を対峙させることができたら、と憧れつつ観てしまった。

こうした域に個人で到達するには果たして何が必要なのか。

今回に限らず普段からも想像を巡らせることは多い。

だが思い当たるのは、やはり日々の生活を丁寧に重ねてゆくしか、実体験からしかないのではないかと、そこから様々すくい上げてゆくしかないのではなかろうかと感じている。




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