第32話 カクテル言葉

 夜も遅くなり、客足が減ってきた頃。

 店の扉がゆっくりと開かれた。


「「いらっしゃいませ!」」

「やあ、お邪魔させてもらうよ」

「こんばんは」


 入ってきたのは、たまに来てくれている仲睦まじい老夫婦。

 いつものラフな服装とは異なり、今日は華美な召し物に身を包んでいる。


「こんばんは! 今日は何だかすっごくオシャレですね!」


 カウンター席に案内しつつアーリアが言うと、老夫婦は頬を緩めた。


「今日は結婚記念日でね。毎年この日は出会った時のことを思い出すために、互いにめかし込んでいるんだ」

「へえ、そうなんですね! おめでとうございます!」

「おめでとうございます! そういうことでしたら、最初の一杯は当店からサービスさせて頂きます!」


 ドロップでは以前ヨンチョ達にしたように、何か特別な日を迎えた客には最初の一杯を無料で提供している。

 お祝いしたいという気持ちはもちろんのこと、そんな大切な日をドロップで過ごしてくれることへの感謝も込めて。


「おお、ありがとう! それではお言葉に甘えさせてもらうよ」

「ありがとうございます」

「はい! それでは何に致しましょう?」

「うーん、そうだねえ。せっかくだし、今日という日に相応しい酒がいいかな」

「私は主人と同じものでお願いします」


(結婚記念日にピッタリなお酒かぁ。うーん……)


 以前、この老夫婦はワインが苦手だと話していた。

 なので、お祝い事の定番であるシャンパンはなしだ。

 二人の好みに合わせて、いつも飲んでいるような辛口のカクテルを出すのがいいだろう。


 雫は頭をフル回転させ、提供するドリンクを考える。


(あ、そうだ、確かジンライムは……。うん、これでいこう!)


「かしこまりました! 少々お待ちください!」


 老夫婦にそう言うと、雫はそのままアーリアに注文を伝える。


「アーリアちゃん、ジンライムを二杯お願い」

「はい、ジンライムですね! わかりました!」


 アーリアは明るく答えると、ロックグラスを二つカウンターに並べ、中へライムを絞り入れた。

 そこへ冷凍庫から取り出したテニスボール大の氷を入れ、さらにジンを量り入れる。


 そしてライムジュースを追加で加えると、バースプーンでしっかりとかき混ぜてから味見。

 問題なく作れたようで小さく頷いてから、グラスを二つ手渡してきた。

 受け取った雫は、そのまま老夫婦に差し出す。


「お待たせ致しました、ジンライムというカクテルです。こちらには『色せぬ恋』という意味があるんですよ」


 カクテルには花言葉と同様、様々な意味を込めたカクテル言葉なるものがある。

 その内、ジンライムに付けられているカクテル言葉が『色褪せぬ恋』という訳だ。


「色褪せぬ恋、か。何だか照れるが、45回目の結婚記念日を迎えた今も気持ちは変わっていない。まさに私達にピッタリなお酒だね」

「ええ。マスターさん、ありがとうございます。では頂きましょうか」

「そうだな、じゃあ乾杯」

「はい、あなた」


 幸せそうな顔を浮かべながら、二人はグラスを打ちつけた。

 そんな二人に釣られ、雫とアーリアも顔を綻ばせたのだった。



 ☆



 数時間後。

 店を閉め、仕事終わりの一杯を飲んでいる時のこと。


「――あ、そうそう。ずっと気になってたんですけど、さっきジンライムを提供する時『色褪せぬ恋っていう意味がある』って言ってましたよね。他のお酒にも意味ってあるんですか?」


 思い出したかのようにアーリアが切り出した。


「うん、あるよ。これはカクテル言葉と言ってね。例えばカシスソーダなら『貴方は魅力的』、ジンバックなら『正しい心』とか」

「へえ、そんな意味があったんですね。何だか素敵ですっ! 他にももっと教えてください!」

「他? えーっと……確かジントニックが『強い意志』で、カルーアミルクが『悪戯いたずら好き』だったかな」


 そう伝えると、アーリアは目をキラキラさせながら『他には他には?』と視線で訴えてくる。

 そんな彼女に雫は苦笑いを浮かべながら答えた。


「ごめん、僕が覚えてるのはこれくらいで……」

「そうですか……」


 よほど興味を持っていたのか、アーリアはシュンとした表情を浮かべた。


(何だか申し訳ないことしちゃったな。もっと勉強しておけば……って、そうだ!)


「アーリアちゃん、ちょっと待ってて!」


 雫は言い残して店を出た。

 そのまま二階の自宅に入り、寝室にある本棚を漁るとすぐに目当ての本を見つけた。


 勉強しようと衝動的に買ったはいいものの、結局興味を持てずに一度も開いていない『カクテル言葉大辞典』。

 タイトルの通り、様々なカクテル言葉を紹介している書籍だ。

 雫は本を手に取り、急いで店に戻った。


「お待たせ! カクテル言葉がたくさん書かれている本持ってきたよ。よかったらこれどうぞ」

「あ、ありがとうございます。……ただ、すみません。私、マスターの世界の文字は読めなくて」

「あっ、そうだった。ごめんごめん! 今日はもう遅いから、明日また僕が読んであげるよ」

「わぁ、ありがとうございます! 楽しみにしてますね!」

「うん。じゃあもう遅いし、僕はそろそろ休むね。アーリアちゃんは今日も残るの?」

「はい! ちょっとだけ練習していきます!」


 現在、雫は次の段階としてアーリアにシェークを教えている。

 彼女はその技術をいち早く身につけたいからと毎日残って練習しており、今日も例に漏れず練習していくつもりらしい。


「そっか。わかってるとは思うけど、無理はしないようにね」

「はい!」

「じゃあ僕はここで。アーリアちゃん、今日もお疲れ様。また明日」

「はい、お疲れ様です! おやすみなさい!」


 その後、雫は二階の自宅へ。

 アーリアは深夜まで練習を続けてから、帰宅したのだった。

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