第29話 洋酒の普及 その1

「「いらっしゃいませ!」」


 営業を開始してから間もなく、一人の男性が店にやってきた。


「あ、今日は早いですね!」

「ゴンズさん、こちらへどうぞ!」


 入ってきたゴンズに、雫とアーリアは明るく声を掛ける。


「……おう」


 すると、ゴンズはあからさまに落ち込んだ様子で言葉を返しながら、カウンター席に腰を下ろした。

 そんな普段とは違う彼の姿に雫とアーリアは顔を見合わせる。


 そして、ゴンズのほうに向き直った雫が恐る恐る声を掛けた。


「あの、何かあったんですか……?」

「……ああ、実は明日から依頼の都合で遠出しなきゃならねえんだ。だからしばらく店には来れなくてな……」


(ああ、なるほど。それでグレンフィディックをしばらく飲めなくなるから凹んでたのか。なら、ゴンズさんにはお世話になってることだし)


「すみません、少しだけお待ちください」


 そう言ってバックヤードに入った雫は、透明な液体が入った瓶を持ってカウンターに戻ってきた。


 その中身はグレンフィディック。

 いや、正確にはグレンフィディックに限りなく近い別の飲み物だが、混乱を防ぐため。

 そして本来のグレンフィディックを作った蒸溜所にリスペクトを込め、そのまま名前を付けさせてもらっている。


「ゴンズさん、よかったらこちらをどうぞ! お安くしておきますので」


 言いながら、雫はゴンズの目の前に瓶を置いた。

 すると、ゴンズは驚いたような顔を浮かべた後、フッと笑いながら首を横に振る。


「気持ちはありがてえが、これは受け取れねえよ」

「えっ?」

「他にも買いたい客は多く居るだろうに、俺だけ特別扱いしてもらう訳にもいかねえからな。ま、しばらく飲めねえ分、今日はたらふく飲んでくから大丈夫だ! って、訳でアーリアちゃん、頼む!」

「は、はいっ! 少々お待ちください!」


(そっか……。ここに来ないと飲めないからみんなわざわざ足を運んでくれているけど、家とかでも飲みたいよな……)


 このニーログーネ王国では、洋酒はここ<バー ドロップ>でしか飲めない。

 ゴンズの言葉を聞いて改めてその事実に気付いた雫は、洋酒を独り占めしているような罪悪感に陥った。


 酒を一から自分で作っているならまだしも、雫は買い付けた酒をそのまま提供しているだけ。

 それを別の世界から持ち込んだという理由だけで、自分一人が独占するのは如何なものなのかと考えてしまったのだ。

 

「お待たせしました! グレンフィディックのロックです!」

「おう、ありがとよ。かぁーっ、やっぱたまんねえな! にしても、あの爺さんが酒を作ってくれて本当によかったな!」

「……はい! おかげで何とかなりました!」


 その後、雫は胸にモヤモヤとした気持ちを抱えながら営業に臨んだのだった。



 ☆



 時は流れて営業終了後。


「アーリアちゃん、ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけどいいかな?」


 テーブル席で金勘定を終えた雫は、グラスを洗い終えたアーリアに声を掛けた。


「はい、何ですか?」


 アーリアはトコトコとテーブル席に駆け寄り、反対側に腰を下ろす。


「あのさ、メルヘイムさんに頼んでもっと多くお酒を作ってもらって、そのお酒をお店に卸したり、販売したりしたいって考えてるんだけど……どうかな?」

「え? それはまた急にどうして?」

「実は――」


 雫はアーリアに先ほど感じた、洋酒を独占していることへの罪悪感。

 それと、もっと多くの人に気軽に洋酒を楽しんでもらいたいという気持ちを伝えた。


「うーん……。こんなに美味しいお酒を持ち込んでくれただけでも、私達からすれば凄くありがたいことなので、マスターが気にする必要はないと思いますけど……。でも、お酒を販売したりするのは大賛成ですっ!」

「本当? いい考えだと思う?」

「はいっ! 遠くの村とかに住んでいて、お店に中々来られない人も飲めるようになりますし! それに冒険者も仕事にありつけるようになって、いいこと尽くしですもん!」


 アーリアは目をキラキラとさせながら、その提案に賛同した。

 それを聞いて雫はホッとしたのと同時に、この考えを実現させることを決意した。


「そっか、ありがとう! それじゃあ明日、メルヘイムさんのところに量産できるか聞きに行ってみるよ!」

「あ、それなら私も一緒に!」

「うん、ありがとう! よし、それじゃあ話はこれで終わり! アーリアちゃん、今日は何飲む?」

「うーん、そうですねぇ……。あ、なら今日は――」



 ☆



 翌日の昼前。

 雫とアーリアはメルヘイムの研究施設に足を運んでいた。


「メルヘイムさん、おはようございます!」

「おはようございます!」

「その声はシズクとアーリアじゃな。悪いが、頼まれた酒はまだできておらんぞ。言った通り、後二日ほどは掛かるでな」


 酒の催促だと捉えたのか、メルヘイムは二人に背中を向けたまま言葉を返した。


「いえ、今回は別の用事がありまして」

「ん? どうしたのじゃ?」


 メルヘイムは手を止め、二人のほうに振り返った。


「その、一つお聞きしたいことがあるんですが、お酒をもっと大量に作ってもらうことってできますでしょうか?」

「大量に、か。そうじゃな……。その分の材料さえ持ってくるなら、できんことはないぞ」

「本当ですか!?」

「うむ。しかし、なぜそれほどまでに多くの酒が必要なんじゃ? 今でも十分多く作っていると思うが」

「実はですね――」


 雫は先日アーリアに話したのと同じことを、そのままメルヘイムに伝えた。


「なるほどのう。しかし、いいのか? そんなことをすれば客が減ってしまうのではないか?」

「あ、それは大丈夫です!」


 酒を流通させれば、わざわざドロップに来る必要がなくなるため客足が減るのは間違いない。


 だが、現状来てくれる客が多すぎて、店に来ても入れないような状態が続いているため、多少減ったとしても問題がない。

 それに酒を買えるようになっても、美味しいカクテルを飲むにはドロップに来るしかない。


 この二点の理由から、雫は酒を流通させてもドロップに悪影響はないと考え、その旨をメルヘイムにも伝えた。


「そうか。まあ、材料さえ持ってくるならワシは作ってやる。その後のことはお前達の好きにするがええ。……ただ、もしも流通させるつもりなら、一応陛下の許可は取っておくのじゃぞ」

「はい!」


 その後、メルヘイムに礼を述べてから二人は研究施設を後にした。


「よし。それじゃあ営業開始までまだ時間もあることだし、このままダメ元でお城へ行ってみようか」

「そうですね! 陛下に会えなくても、謁見の予約はできますし!」


 そうして雫とアーリアは、そのまま城へと向かって足を進めた。



 ☆



 メルヘイムの研究施設を出てから歩くこと数十分、雫とアーリアは城の前へと辿り着いた。

 すると、門番をしている二人の兵士のうち、その片方が雫達のもとに駆け寄ってくる。


「おっ、マスターじゃないか。どうしたんだ? 謁見にでも来たのか?」

「あ、はい! 一つ陛下にお願いしたいことがありまして」


 その男は、ダグラスと共にドロップによく来てくれている兵士のうちの一人。

 顔馴染みということもあって、雫は親しげに答えた。


「そうか。じゃあ確認してくるから、ここで少し待っててくれ」


 そう言い残して、その兵士は城の中へと入っていく。

 その後、雫とアーリアはもう一人の兵士と世間話をしながら待っていると、ものの数分もしないうちに先ほどの彼が戻ってきた。


「待たせたな。謁見の許可が下りたぞ。さあ、ついてきてくれ」

「は、はい! ありがとうございます!」


 二人は兵士の後を追い、城の中へと足を踏み入れた。

 そうして謁見の間に辿り着くと、奥のほうにすっかりと見慣れた顔が二つ。


「よく来たな、シズクにアーリアよ!」

「こんにちは、シズクさん、アーリアさん」


 王と王妃だ。


「こんにちは! お忙しいところ、いきなり押し掛けてすみません」

「こ、こんにちは!」


 ちょこちょことドロップに顔を出してくれていることもあって、雫は全く緊張することなく堂々と挨拶を返した。

 一方のアーリアはまだ慣れないようで、緊張がうかがえる。


「うむ! それで頼み事があると聞いたのだが、一体どうしたのだ?」

「あの、僕達はこの国に僕が居た世界のお酒を流通させたいと考えているんです。その許可を頂けないかと思いまして……」


 そう言うと、王と王妃は目をパチクリとさせながら顔を見合わせた。

 やがてひと呼吸置いて雫のほうに向き直ると、王が真剣な表情で口を開く。


「……願ってもない申し出だが、シズクよ。そなたはそれで本当によいのか?」

「はい! もっと皆さんに気軽にお酒を楽しんでもらえたらと思いまして」

「そう、か。……そういうことなら、むしろこちらから頼みたい! どうかそなたの世界の酒を我が国に広めてくれ!」


 王は立ち上がり、深々と頭を下げながらそう言った。

 ひと呼吸置いて、王妃も同じように頭を下げてくる。


「よ、よろしいんですか?」

「うむ! 実のところ、ワシらもそうしてほしいと強く考えていたのでな」

「しかし、それを私達からお願いすると、シズクさんは聞かざるを得なくなってしまう。ですからそのことは伝えず、ずっと心の中で留めておいたんです」


 確かに立場的な問題から、この二人から『酒を流通させてくれ』と頼まれれば、仮に心の底から嫌だったとしても首を縦に降らなければならない。

 それが王と王妃が持つ絶対的な権力というものだ。

 二人はその権力を自国の民にならまだしも、迷い人であるシズクに振るいたくなかったのだろう。


「……それならよかったです! ではお言葉に甘えて早速行動に移らせて頂きますね!」

「うむ! ワシらも協力する故、何か困ったことがあったらすぐに声を掛けてくれ!」

「シズクさん、本当にありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします」


 その後、雫とアーリアは王と王妃に別れを告げ、城から出た。


 そうして店に戻る道中――


「マスター、よかったですね!」

「うん! 後は人手だ」

「人手……?」


 アーリアは首を傾げながら、雫の言葉を繰り返した。


「うん。実際に流通させるとなったら、僕とアーリアちゃんだけではとても無理だからね」

「た、確かに! お店の営業もありますもんね!」

「そっ。だから誰かに諸々の作業を任せたいんだけど……」


 冒険者への材料集めの依頼出し、メルヘイムへの調合依頼、各店への売り込み営業に各所への運搬など、やらねばならないことはごまんとある。

 それらの作業を店の営業と並行して行うのはまず不可能であるため、雫は誰かに一任したいと考えていた。


 その人物は信頼がおけるかつ、ある程度洋酒に対して知識がある人物が望ましいが、それに該当するゴンズやビビアンは既に他の仕事があるため頼めない。

 なのでまずは人材を探す必要があるものの、かといってそう簡単に見つかるものでもない。


 故に雫は流通の件は一旦後回しにし、今日の営業に向けて意識を切り替えることにした。


「まあ、それはそのうち考えるよ! 今はとりあえず営業に集中しないとね!」

「ですね! 今日も満席になるでしょうし、頑張らなきゃ!」

「うん! じゃあ、準備もあるし急いで戻ろう!」

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