第16話 仕事終わりの一杯

「――んじゃ、俺はもう帰るわ。アーリアちゃん、頑張れよ!」

「はい、ありがとうございます! 頑張ります!!」

「ゴンズさん、今日もありがとうございました! お気をつけて!」

「おう! また明日な!」


 雫とアーリアはゴンズを見送り、そのままランプのスイッチを切る。


 今日の営業はこれで終了。

 昨日と変わらず店は大繁盛であったが、今日は雫にも幾分いくぶんか余裕が見られる。


 その理由は――


「ふぅ……。アーリアちゃん、お疲れ様!」

「はい、お疲れ様ですっ!」

「いやー、アーリアちゃんのおかげで本当に助かったよ! ありがとね!」


 来店した客の案内にグラスの洗浄、加えてお代わりの提供。

 アーリアがこれらの作業をになってくれたおかげである。


「お役に立ててよかったです! 明日からもっと頑張りますね!」

「うん、よろしくね! あ、それじゃあ、片付けお願いできるかな?」

「はいっ!」


 店の中に戻った雫はアーリアにグラスの片付けを任せ、自分は売上の計算をすることにした。


 昨日と同じく、売り上げは上々だ。

 完全に軌道に乗った。これならこの先、何の問題もなくバーをやっていけるだろう。


(……この国に来れてよかったな)


 もう金のことを心配する必要もない。

 それにビビアンやゴンズはもちろん、一見さんも含めてドロップに訪れる客は皆いい人だ。

 さらに今日は、二つの意味で可愛い従業員もできた。


 幸せをしみじみと感じている雫に、アーリアがとことこと近づく。


「マスター、片付け終わりました!」

「ありがとう! じゃあアーリアちゃん、これ。今日はお疲れ様!」


 雫は今日一日の賃金として、銀貨6枚をアーリアに手渡した。

 そのまま渡すのは生々しいが封筒などの用意はないため、こればかりは仕方がない。


「あ、ありがとうござ――って、マスター、お、多いですよ?」


 両手で銀貨を受け取ったアーリアは、あたふたとした様子でそう言った。


 確か、営業前にした話では日給で銀貨5枚だったはず。

 それよりも1枚多いのだ、慌てるのも無理はない。


 しかし、それには理由がある。


「ああ、それはね――」


 アーリアは思っていた以上によく働いてくれた。

 それに何より、彼女に氷を作ってもらえることになったため、氷代が丸々浮くのだ。


 なので銀貨を1枚プラスして、日給を銀貨6枚にアップすることにした。

 それを説明すると最初は遠慮していたが、雫が一向に折れないため、やがて素直に受け取った。


「よし! じゃあ、今日はもう帰ってもらって大丈夫なんだけど、アーリアちゃんさえよければ一杯飲んでく? あ、もちろんお金は取らないから!」

「え? いいんですか?」

「うん、アーリアちゃんがよければだけど!」

「では、お言葉に甘えてぜひ頂きます!」

「そっか! じゃあ何か飲みたいのある? 好きなの作るよ!」


 雫はカウンターにアーリアを座らせて、中へと入った。


 この一杯は飲食店でいうところのまかないにあたるもので、従業員に対してのサービスだ。

 同時に酒の味を覚えるという勉強の場でもある。


 雫も最初に勤めていたバーで、そこのマスターから同じようにしてもらっていたため、それを真似ることにしたのだ。


「じゃ、じゃあ! 今日マスターが作っていた、緑色のお酒が飲みたいですっ! 実はずっと美味しそうだなって思ってて!」


 興奮した様子で言うアーリアの言葉を聞いて、雫は自身の記憶をたぐり寄せる。


 今日提供した緑色の酒は一つ。

 それは――


「グラスホッパーだね。アーリアちゃん、ミントは大丈夫?」

「大丈夫です! ミントティーが好きでよく飲んでるので!」

「了解! それじゃ、ちょっと待っててね」


 そう言って、雫は棚からカクテルグラスを二つ手に取り、冷凍庫の中にしまう。


 次に普段使っているのよりも大きいシェーカーを用意し、その中にミントリキュールとカカオリキュールを量り入れた。

 カカオリキュールには茶色のものと無色透明のものの二種類があるが、今回用いるのは後者のホワイトカカオリキュール。


 より綺麗な緑色に仕上がるようにという理由から、そう指定されているためだ。


 続いて、冷蔵庫の中から取り出した生クリームを加え、バースプーンでしっかりと混ぜ合わせた。

 手の甲に落として味見をし、問題がないのを確認した雫はシェーカーに氷をたっぷりと詰める。


 そこまで済ませたところで視線を上げると、身を乗り出してこちらを見ているアーリアの姿が目に入った。


 あまりの喰いつき具合に苦笑しつつ、雫はシェーカーを胸の元まで掲げて前後に激しくシェーク。

 カラカラという小気味いい音が店内に響くこと数十秒、普段の三倍程度の時間を掛けてシェークを終える。


 これだけ長い間シェークをしたのは、比重が重い生クリームを使用しているため。

 いつもと同じ時間では混ざりきらないからである。


 直後、雫は冷凍庫の中からカクテルグラスを取り出し、一つをアーリアの前へ。

 それにシェーカーの中身を注ぐと、白濁した緑色の液体がグラスを満たした。


「……綺麗」


 グラスを見つめながら、アーリアが言葉を漏らす。

 やはり女の子、オシャレなものには目がないようだ。


 雫はもう一つのグラスに残りを注いで、脚を掴んで掲げた。


「じゃあアーリアちゃん、今日はお疲れ様。乾杯!」

「はい、お疲れ様でした! 乾杯ですっ!」


 こぼれないよう、静かにグラスを打ち付けた二人は同時に口へと運ぶ。


 まろやかなチョコミントの味が口いっぱいに広がる。

 甘々としたその味わいは、まさにデザートと呼ぶのに相応しい。


「美味しい……! マスター、これ美味しいです! 甘くてふわふわで、昨日飲んだ青いのとは違った美味しさがあります!」


 アーリアは目を見開きながら嬉しそうな顔でそう言った。


 そんな彼女を見ている雫も嬉しくなり、自然と笑みが浮かぶ。

 心なしか、グラスホッパーもいつもより美味しく感じる。


「そう言ってもらえると僕も嬉しいよ! これはカクテルという分類のお酒でね――」


 雫の説明を興味津々に頷きながら聞くアーリア。

 彼女から度々飛んでくる質問に雫もつい熱が入り、その講義は一時間にも渡ったのだった。

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