第2話/巣立ちの日②

「卒業生答辞! 代表、木崎優子きざきゆうこ!」

 進行係のアナウンスに応じて、はい、と透き通る声が響く。


 木崎優子は前・生徒会長だ。俺とともに、第三十六期生徒会を全うした。俺は優子に、多大な負担をかけてしまった。思い返すたびに、心がえぐられる。しかも、結局、目的は果たされなかった。そんな中でも顔色ひとつ変えることなく、揺るぎない信念を貫き通した彼女を、心の底から尊敬している。


 静かに席を立った優子は、凛としたたたずまいでステージへ向かった。正面に据えられた階段を昇ると、壇上で待っていた結衣と相対し、マイクへ向かってゆっくりと語りはじめた。


「本日は私達、第六十五期卒業生のために、このような心のこもった式典を挙げていただき、まことに有難うございます……」

 優子は諭すような語り口で、ゆっくりと言葉を紡いでいった。終盤に差し掛かった頃、その異常は起こった。あの冷静で穏やかな優子が、言葉を詰まらせたのだ。感情を押し殺すようにうつむく優子の、かすかな嗚咽だけがマイクを通じて響き渡る。


「私も……、本当にありがとう。皆川さん、君たちの生徒会も、私の宝物です。最後の最後に、ごめんね。これじゃ、締まらないね……」


 優子はハンカチを取り出して、溢れる涙を拭ったように見えた。こちらからは優子の後ろ姿しか見えない。その背中は小さく震えていて、寂しさの影が差していた。生徒会長としての優子はいつも毅然としていて、生徒の前でこんなに弱い姿を見せたことはなかった。会場からは、あちらこちらからすすり泣きがれ聞こえている。


 壇上の結衣も例外ではなく、講堂の天井を見上げて、歯を食いしばり涙をこらええていた。しかし突然、壇上を駆け出すと、優子にすがるように抱きついて、声を上げて泣きはじめた。会場は水を打ったように静まり返ったが、葬式のような冷ややかさはない。むしろ、溢れ出す温かさに包まれている。不意に優子が小さく耳打ちすると、結衣はうなずいて壇上へ戻った。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたが、晴れやかなものだった。


「失礼しました。本日は、本当にありがとうございました! 卒業生代表! 木崎優子」

 ゆっくりと一礼した優子へ対し、会場からは割れんばかりの拍手が降りそそぐ。振り向いた優子はいつもの冷静さを取り戻している。しかし、寂しさを断ち切るようなぎこちない笑顔が印象的だった。幾度かうやうやしく礼をすると、自席へとしっかりした足取りで戻っていった。


 俺は自分の頬が濡れているのに気付いた。同時に、目頭がジワリと熱くなるのを感じる。とめどなく涙が溢れてくる。止められない。


 嫌だ! 卒業したくない! ずっと、ずっとここにいたい!


 冷静を身上とする俺にとっては、認めたくない本心だった。俺は戸惑っていた。こんなに後ろ向きで感傷的な感情が、自らの内に秘められていたとは。我ながら驚いた。懐に手を差し入れまさぐるも、あるべきはずの物がない。そうか。隣の亮介を見た。


「ほらよ」

 紺色チェックのハンカチが差し出される。


「お前にもちゃんと人としての感情があったんだな」


 当たり前だ。

 だが、気恥ずかしくて何も言えない。ハンカチを受け取ると涙を拭った。亮介は赤ん坊をあやすように、背中をポンポンと叩いてくれた。あ、亮介の鼻水……。まぁ、いっか。俺はハンカチを折り返すように畳みなおすと、懐へしまった。

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