第2話


 目の前に広がる蒼い空。白い雲。時おり吹いては前髪を揺らす風が心地良い。

 平々凡々で何でもない昼下がり。

 気温は熱くも寒くもなく畑仕事をするには絶好の日と言えるだろう。

 こんな日に昼間っから堤防に背中を預け昼寝に耽るのは贅沢なものだ。勤勉な大人に見つかれば「何やってるんだ。そんな暇あるならこっち来て手伝え!」と叱責されても可笑しくない。

 しかし今日だけは許してほしい。

 今年成人するオレにとって今日という日は子どもでいられる最後の日なのだから。

 明日を迎え成人になれば次の日からは村の働き手の1人として切磋琢磨働き、家族を支えていかなくてはならない。だから今日くらい、何の責任も負わずのうのうと生きることを許された子どもの特権で時間を無駄に使っても良いんじゃないか。


「仕事かぁ……」


 晴天を流れる雲を眺めながら1人ごちる。

 今までだって母さんの畑仕事を手伝ったり、父さんが村の見回りにいくのに付いていくことはあった。

 母さんが作っている野菜で作ったご飯は美味しいし、作物は自分たちが頑張って手入れすれば、それに応えてくれるように育ってくれる。父さんは村の衛兵で毎日村の警護を行っているし、どっちもやりがいはあって立派な仕事だ。

 18歳になる村人が子どもから大人になったことを祝う『成人の儀』。そこで新成人たちは自分たちが就きたい職を自分で選ぶもがこの村の習わしになっている。

 大抵は両親の仕事を引き継ぐ道を選ぶ奴が多く、かくいうオレも――。

 

「ルスト! こんなところにいた」


 聞きなれたハツラツとした声によってオレの思考はそこで中断させられた。

 仰向けになっていたオレを覗き込むように声の主が被さってきたことで、視界いっぱいに広がっていた青空が見えなくなる。


「マリ……か」

「『か』ってなにか不満でもあるわけ?」

 

 ただ名前を口にしただけなのにこちらを見る少女の目が不満げに細められた。

 マリは同い年で家が近く小さい時からよく遊んでいた幼馴染だ。

 彼女の長い髪が頬を掠めるのがこそばゆくて手で「どいてくれ」と促す。

 身体を起こして改めて幼馴染と顔を合わせるとマリが隣に腰を下ろして溜め息を1つ。 


「もう……今日が子ども最後の日だっていうのに昼寝なんかして、もったいないと思わないの?」

「最後だからこそ昼寝してんだって、成人したら遊んでる暇どころか昼寝してる時間もないんだからよ」

「だからってもっとやるべきことがあるでしょ」

「っ……」


 正論を言われると何も言い返せない。

 明日行われる成人の儀は村の一大行事で新成人の晴れ舞台。大人たちは儀が行われる広場の準備や振る舞われる食べ物の支度を始め、主役である新成人も儀に着飾る一張羅を倉から引っ張り出す者もいれば、親戚たちへ挨拶に行くって家もある。

 現に目の前にいるマリもいつも身に着けている年季の入った服ではなく、見たことない小洒落たドレスを着て髪の結い方も凝っている。

 ……中でも一際存在感を放つモノが目に留まった。


「そのネックレス初めてみるな」

「あ、コレ? 良いでしょ。小さい時にパパが作ってくれたんだ」

 

 マリは首に掛けていたネックレスを掌に乗せフフンッと誇らしげに笑った。

 胸元あたりに来る赤い宝石が特徴的なネックレス。

 小さい時に作ってもらったというだけあって所々錆びている部分あるが、チェーンの部分にも細かな意匠が凝らされており素人目にも一級品であることがわかるほどの出来だ。

 マリの親父であるシュミットさんは村で唯一の鍛冶屋を営んでいる。

 普段は家具とか窯、それに衛兵の得物なんかの手入れや修理を頼まれているが、オジサンが作るアクセサリーは安価な上に綺麗で村の女子の間では密かに人気なんだとか。しかもマリのネックレスは実の娘へのプレゼントだけあってオジサンも精一杯作っただろうに。

 そのことはマリが明日のために引っ張り出してきたことからも伺える。

 

「しかもこの赤い部分、魔石を使ってるんだよ」

「魔石って……魔法の力を帯びた鉱石だっけ。結構いい値がするって聞いたことあるけど、オジサン凄いな」

「へへへ、凄いでしょ。光ってくれるんだよ。さすがに古くなっちゃてるから偶にしか魔法は使ってくれないだけど、魔法とか関係なくアタシはこのネックレスが好きなんだ」


 そう言ってマリは掌に乗せたネックレスの赤い魔石をツンツンとつついてみせた。

 たしか魔石は空気中に漂う魔力を吸収して魔法に変換するんだっけ。おそらくネックレスに使われている魔石も古いせいで作った当時に比べて魔力を少しずつしか吸収できないのだろう。

 まぁマリの言う通り、大好きな親父さんからのプレゼントってだけで大切なものであることには変わりない。なんせ一生に1度しかない成人の儀にもマリはその古びたネックレスを着けるつもりでいるのだから。

 ネックレスを丁寧に付け直すとオレに向き直り――。


「アタシ、この村を出る時もこのネックレスは持って行こうと思うんだ」

「…………は?」


 当然と言わんばかりに口にされた、あまりに突飛な言葉に反応が遅れた。

 

「この村を出て……行く?」

「そうだよ」


 聞き間違いか? と思い問うてみるもマリは一切の迷いを感じさせない声で肯定した。

 マリが村を出て行く? なんで? 家族で移住でもするのか? それとも仕事? まさか嫁ぐ? いやそんな話は今まで聞いたことがない。

 しかしマリの声色は昨日今日で思いついたような突飛さは感じられなかった。むしろ兼ねてからの願いが成就するとでも言いたげな達成感が滲んでいる。

 忘れちゃったの? とおかしそうにマリが言う。 


「小さい頃2人で約束したでしょ。大人になったらこの村を出て世界中を旅しようって」


 明日、成人の儀でアタシとルストはこの村を出ていくって村のみんなに宣言するの。

 儀が終わったらアタシの家で盛大に壮行会を開いてー――――。

 最初はどこを目指すか迷ったけどまずは西にある国が良いと思うんだ。あ! いっそのこと目標なんて決めずに行き当たりばったりで旅するのも楽しいかも!

 海ってどれくら大きんだろ? 

 辺り一面が砂だらけの土地ってホントにあるのかな。

 ちょっと怖いけど誰も知らない遺跡なんか発見してさ、魔物と戦って罠を掻い潜ってお宝を見つける! ……なんて冒険者みたいなドキドキが待ってるかもしれない。

 ああもう! あとちょっとなのにアタシ待ちきれないよ!

 そんな浮世離れしたことを一切の曇りのない目でマリは語った。

 

「他に2人でいっぱい、いーっぱいどこに行こう、何をしようって毎日話したでしょ?」

「…………ああ、あったな。そんなこと」

「ルストやっと思い出した? じゃあさっそく旅立つための支度を――」

「なぁマリ」


 オレはマリの言葉を遮った。

 不思議そうに首を傾げるマリに声のトーンを落とし、真剣な顔で問う。


「お前、ソレ本気で言ってるのか?」

「ソレって?」

「世界中を旅する云々のことだよ」

「あたりまえじゃん!」


 撃てば響く勢いで答えたマリ。その迷いの無さから彼女がどれほど本気なのかが伺える。

 できれば冗談と言って欲しかった。

 

「オレは行かない」

「え?」


 今日会った時からずっと笑顔を絶やさず柔らかったマリの表情が初めて曇る。

 しかしすぐさまマリはまた笑顔を作った。……無理くり作った見た目だけの笑顔を。

 昔から知っている幼馴染にそんな顔をさせてしまったことに罪悪感が覚えつつも、1度口にして言葉は戻ってこない。オレも改めて彼女を傷つける覚悟をする。


「またまたー。ルストどうしたの?」

「どうもこうもない。オレはお前のいう世界中を旅するなんて馬鹿げたことのために人生を捨てたりしないって言ってるんだ」


 たしかにマリの語る未来には子ども心をくすぐるロマンや夢といったものに溢れているのかもしれない。

 だが夢やロマンだけで人は生きていけない。


「冒険者? 世界中を旅する? それでどうやって金が稼げる? そんな明日の生活すらわからない職……職とも呼べない道を選んで生きていけるはずがないだろ。第一、何年か前に大国からこの『世界は制覇された』って発表があったじゃないか。冒険する意味なんてなんだよ」


 口調が荒い。鼓動がうるさい。身体が熱い。走ってもないのに息が激しい。

 喋っているうちにどんどん自分が冷静さを欠き熱くなっているのがわかる。

 このまま続ければマリに酷い言葉を浴びせてしまうかもしれない。けど予感していてなおオレは口を止めなかった。

 

「じゃ、じゃあ……ルストは何になるの?」

「オレは衛兵隊に入ってこれからもこの村で生きていく」

「えい……へい……」

「まずは見習いからだけど、いつか父さんみたいな村の人たちが安心して生活できるような立派な衛兵になるつもりだ」

 

 この村から出るというマリとは真逆の答え。

 きっと冒険と呼べるできごとなど無縁であろう安定が約束された将来を選ぶ意思を表す。

 

「お前も実家を継いでこの村で鍛冶屋をやればいいじゃんか。そのネックレス、素人オレでも凄いってのがわかるくらいよくできてる。オジサン……シュミットさんだって心の中じゃお前に継いで欲しいんじゃないのか?」

「それは……」

「だから――」


 きっぱりとマリが十数年と抱いていたであろう夢を壊す言葉を口にする。


「いつまでも子どもみたいな絵空事ばっか言ってないで現実を見ろ」

「っ…………」


 小さな呻き声に遅れて彼女の目尻に透明な雫が溜まり始めたところで、オレは思わず目を背けてしまった。

 長い沈黙がオレたちの間に流れる。

 オレから声を掛けるべきなのか。でも酷いことを言った手前顔を見ることすら躊躇われる。


「……か」


 沈黙を破ったのはマリだった。

 しかしその声はあまりにも小さく上手く聞き取れなかった。

 オレは1歩マリへと耳を寄せ、


「え? 今なん――」

「ルストの馬鹿!」

「ちょっ、マリ。馬鹿って……子どもかよ」

 

 怒声を張り上げたマリはこちらを背を向け走っていく。

 キ―――――ン……脳が震える。

 あまりに子ども地味た罵倒に呆気を取られてしまい、走り去ったマリを追いかけはできなかった。

 

 

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