第6話 ホワイトアウト

「ホワイトアウト」


 ワシの40年の運転生活の中で、最も恐怖を感じたこと。本当に死ぬかもしれないと思ったことは「ホワイトアウト」に遭遇したことです。ワシは今でも、その時のことをはっきりと憶えています。

 あれは忘れもしない平成17年の年末のことでした。この辺りには珍しく、とても雪の多い年でした。場所は国道9号線の木戸山トンネルを抜けた辺りから津和野までのことでした。

 ワシは、父親に頼まれて、山口市に住むおじさんのところに届け物をした帰りでした。雪の予報は出ていたのですが、行く道は雪もなく、薄日が射していました。ワシにとっては通いなれた道だということもあって、またそんなに大雪に遭遇したこともなかったので、すっかりなめきって山口に向かいました。その時乗っていたのは、三菱のミニカという軽自動車でした。このクルマは、一年前に、三菱のディーラーで見つけたものでした。ちょうど気軽に乗れる足グルマを探していたワシは、そのクルマを10万円で譲ってもらいました。それから自分で整備したりワックスをかけたりして、なるべくお金をかけずに手を入れて、見違えるようにきれいになっていました。前の前の型の丸っこいミニカでしたが、エンジンは規制改正後の660ccが載っていて、5MTでインジェクションで、小さいながらとてもよく走るクルマでした。ワシはすっかり気に入って、ミニカばかりに乗るようになっていました。そのときも、迷わずミニカで行きました。4本1万円で買った新品のヨコハマのスタッドレスタイヤを一応つけていました。

 その日は、大雪の予報が出ていたことは知っていたので、さっと行ってとっとと用事を済ませて明るいうちに帰って来ようと思っていました。しかし山口はさらに好天で、雪の気配がまったくなかったので、ワシは油断してしまいました。ついでにと買い物をしたりしていたら、山口を出たのは19時過ぎになっていました。そしてその頃になると、空から雪が降り始めていました。それでもワシは、学生時代から通いなれた道でしたので、特に不安を感じることもなく、木戸山に向かって9号線を走って行きました。

 木戸山トンネルを抜けると、周りの景色が一変していました。雪が激しくなっていて、それから道路が真っ白になっていました。それでもワシは、こんなことはこれまでにも何度か遭遇したことがあったので、特に不安でもありませんでした。学生時代には、アホだったので、雪の予報が出ていたにも関わらず、夕方まで遊んでいて、暗くなってから出発して、木戸山のトンネルを出たら真っ白なんてことはよくありました。ワシはすぐ先にある自販機の灯りを頼りに、雪まみれになってチェーンをつけて、それからゆっくりゆっくりと帰りました。一昔前はそれが普通で当たり前でした。スタッドレスタイヤなどこの世にありませんでした。

 今回もどうせそういうパターンじゃろうと思って舐めていました。しかもスタッドレスタイヤをつけているので、あの頃に比べたらなんも心配することはありません。「それにしてもよく降るのう。」程度の認識でした。ミニカは快調でした。大雪に中を平気で走ってくれていました。暖房はよく効くし、ガソリンは食わんし、雪にも強いし、ラジオも入るし、とてもいい相棒じゃなあとのんきに走っていきました。

あれっと思ったのは、長門峡を過ぎて、三谷の交差点ぐらいだったでしょうか。雪がさらに激しくなって、気がついた時には前が全く見えなくなっていました。ワイパーは一生懸命雪を雪をかいてくれているのですが、ヘッドライトも正常に前方を照らしていてくれているはずなのですが、前がまったく見えんのです。見えるのはヘッドライトに照らされた雪の粒だけなのです。ヘッドライトが照らしているはずの前方の景色も、街灯も、前の車のテールライトも、周りの景色も、何もかもがまったく見えないのです。前が見えないということは、前に進めないのです。道が分からない。道がない。雪しか見えない。方向もわからない。見慣れたはずの景色じゃあない。

 ワシは仕方なく、超徐行をしながらゆっくり進んでいきました。本当は停車したかったのですが、この視界なら、トラックとかに追突されてミニカとワシが大破する可能性がありました。それが怖くて停車できんのです。ゆっくりゆっくり走りながら、路側の広いところを必死で探しました。慣れた道です。この辺に駐車可能な路側があるとかわかっているはずなのですが、今どこを走っているのかさえも分からない。左側を凝視してもまったく見えない。本当に50cm先も真っ暗で見えない。街灯は、家の灯りは、自販機の灯りは、本当に見えない。灯りというものがまったくない。そんな状態でした。

 そのうち、ガソリンが減っていることにも気がつきました。山口を出るときに、少ないなと思ったのですが、給油が面倒で、どうせたったの80kmなので大丈夫大丈夫と後回しにしていたのでした。ミニカの660ccのエンジンが止まったら、どうなるのだろうかとか、凍死とか、トラックに追突されるとか、崖から落ちるとか、とにかく不安なことしか頭に浮かびませんでした。ワシは大げさではなく、戦慄しました。

 これがいわゆる「ホワイトアウト」だったということは、後日になって織田裕二のドラマを見て知ったのですが、ワシはとにかく何がなんだかわからなかったので、とにかく絶対に死んでも生きて帰ろうと思いました。死んでも生きて帰りたい。ワシが死んだら飼い猫たちがかわいそうなことになる。突然野良になってしまう。誰かに飼われたとしてもなつかなくてきっと捨てられる。それはじゃあ死んでも死にきれない。それから妻や父や母や妹や、いろんなことが頭を過ぎるのでした。もちろんこんなことになったのは生まれて初めてのことでした。この原稿を書きながら「死」という言葉がえらい出てくるのうと自分で思っています。それぐらい近づいていたんでしょうか。ゾッとします。

 いつの間にか、ワシのクルマは一台で走っていました。ちょっと前まで前後にいたクルマはどこにいったのでしょうか。そんなことも不安に輪をかけてくれました。

 そんな状態で走って運転して、それから雪が小降りになって、徳佐の交差点の信号が見えたとき、ワシは本当に生きていたんだと思いました。視界がいつもの普通の雪の夜道に戻ってきました。ワシは少し安心して、津和野のドライブインに寄って熱いコーヒーを買うことにしました。今になって、のどがカラカラに乾いていることに気がつきました。ワシはウインカーを出して、津和野の9号線沿いにドライブインに寄りました。クルマを止めてドアを開けようとしたら、ドアの下のところまで雪が積もっていてびっくりしました。それから雪に埋もれながら自販機のところまで歩いて、やっとコーヒーを買いました。コーヒー飲みながら少しホッとして周りを見たら、見たこともないぐらい雪が積もっていました。でも生きていた喜び、ここまで来たらきっと無事に帰れるだろうという安心感で、しばらく夜の雪景色を見ていました。

「やっと終わった。長い旅だったな。ミニカありがとう。」

と感傷に浸っているときでした。一台の軽トラが入ってきて、ミニカの横に止まりました。正確には、横に直角に止まりました。つまり(今は雪でまったく見えない)駐車線通りに自販機に向かって縦に止まっているワシのミニカの側面に頭をつけるような形で止まったのでした。おっちゃんが下りてきて、「よう降るねえ。」とワシに言ったので、「やれませんねえ。」と答えました。

 おっちゃんはコーヒーを買うとすぐに軽トラに乗って発進をしようとしました。ところが雪に埋まってスリップして出られなくなりました。おっちゃんは思い切りアクセルを踏みました。そしたら、おっちゃんの軽トラは雪から脱出できた・・・。と思ったら勢い余って、ワシのミニカの側面にぶつかりました。ワシは目が点になりました。なんでこんな落ちがつくのでしょうか。

 おっちゃんが出てきてしきり謝まってくれました。。確認したら、左側のフェンダーが少しへこんでる程度でしたので、ワシは「いいですよ。古いクルマですから。」と言いました。ミニカのいいところは、こんなことは気にもならないことです。おっちゃんは、お詫びにコーヒーを買ってくれたので、ありがたく頂戴してミニカに乗り込みました。

 それにしてもただのFFの2WDの5MT車で、軽自動車で、スタッドレスタイヤをはいているだけなのに、信じられないほど雪にミニカに感心しました。

 おっちゃんが買ってくれた熱いコーヒーを飲みながら、自宅に向かいました、あと少し、さあ、安全運転で帰ろう。ワシは、家に帰って今日の出来事を妻に話すために遅くなった言い訳を考えながら、頭の中で整理しながら運転を続けました。

 たぶん信じてもらえんじゃろうけど・・・。


(追記)

 このことに懲りたワシは、出かけるときには天気予報を確認して、ガソリンは絶対に満タンにして、お金も多めに用意して、できる限り万全の体制を取るようになりました。「備えあれば憂いなし」とともに「君子危うきに近寄らず」を心がけるようになりました。どちらかというと無鉄砲で無計画な人間でしたが、自分なりに学習することができたと思います。おかげで、ワシはまだ元気に生きています。クルマを運転するということは、家で寝ているよりもずっと危ない目に逢う確率が高くなるのす。

そのことを肝に銘じて安全運転に努めたいと思います。みなさんも気をつけてくださいね。

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