トイレの花子さんたち

硯哀爾

第1話

 確かな出所はわからないが、この国のお手洗いには花子さんと呼ばれる怪異がいるのだと聞いた。

 彼女は学校のトイレ──特に小学校に出るというが、生憎この噂を聞いた人物は小学生ではなかった。不法侵入でもしようものなら、即座に捕まって警察署に連れていかれることだろう。日本の刑務所は彼の出身よりもずっと清潔で治安が良いと聞いているが、それでも拘留の憂き目を見るのはご遠慮願いたかった。

 それでも、異国の怪異に対する興味が尽きる訳ではなく、彼はあれこれと模索した。どうすれば噂の花子さんと会えるのか、考えに考えて、そうだそれなら廃校で試してみれば良いじゃないかと思い立った。ちょうどこの国は過疎化が問題視されているし、児童の不足で閉めなければならなくなった学校はいくらでもあるだろう。

 くして、彼はとある廃校にやって来た。付近にあった村は市町村合併を機に村人が街の方へ流れてしまったらしく、山の中腹にある廃校以前に退廃的な雰囲気が漂っていた。しかも夜間だから、人工的な明かりがあるはずもなく、彼は何度も転びかけながらどうにか目的地までたどり着いた。

 一般的に花子さんは三階の女子トイレの三番目の個室にいるそうだが、残念なことにこの廃校は二階までしかなかった。そのため彼は妥協して二階のトイレへ向かうことにした。

 女子トイレに入るのはいささか良心が咎めたものの、長らく誰も使用していないのだし相手は怪異だということで気にするだけ無駄足だと判断する。ずんずんと大股で歩みを進め、三番目のトイレの扉を三回叩いた。


「おおい! ハナコさん! いるならいっしょに遊ばないかい? チョコレートもあるぞ!」


 この青年は流暢に日本語を操ったが、一般的な花子さんの誘い文句からは少々逸脱していた。そしてとてつもなく声が大きかった。

 懐から日本のそれと比較すると倍はありそうな大きさのチョコレートバーを出してもみたが──トイレには彼の声が反響するばかりだった。やがて響く声も遠ざかっていく。

 やはり噂話に過ぎないのか。彼は肩を落として踵を返そうとした──が。


「はあい」

「呼んだ?」


 ぎぃ。

 木製のドアがきしんだ音を立てる。そこから聞こえたのは、少女の声。


「ん?」

「うん?」

「あれ?」


──が、ふたつ。

 これには首をかしげずにはいられなかった。花子さんを呼ぼうとした青年だけではなく、呼び掛けに答えた声の主たちも、一様に疑問をあらわにした。


「ええと……君が、ハナコさん?」


 困惑する青年が見つめる先には、二人の少女が立っている。


「な、何を言ってるの? 怪異が──トイレの花子さんが二人もいる訳ないでしょう?」


 一人は、三番目のトイレから出てきたと思わしき少女。

 明らかに狼狽うろたえた様子は何処と無く人間臭いが、目元がわからない程に長く伸ばされた艶のない髪の毛、青白い肌、そして白いワンピースは日本の女幽霊のお手本とでも言うべき様相をしている。声の調子から、恐らく若い──二十歳前後と思われた。


「うーん、でも出ちゃったものは仕方ないんじゃないかなあ。片方しか見えてない、って訳じゃなさそうだし……。たまたま増えちゃったんじゃない?」


 もう片方は、四番目のトイレから出てきたと思わしき少女。

 こちらは黒髪のおかっぱだが、毛先に至るにつれて何故だか髪の毛が赤みを帯びている。着ているものも赤い着物で、豪奢な花が描かれていた。背は低く、顔立ちから幼い──それこそ小学生と言うべき見た目だ。その話し方はふわふわとして、可愛らしいが掴み所がない。

 青年はううん、と腕組みした。トイレの花子さんは日本各地で語られるから、色々とバリエーションがあるものだが……一度に二人も出てくるという噂は聞いたことがない。ジャパニーズニンジャは分身が出来ると聞いたが、それは怪異も同様なのだろうか?


「ちょっと、哲学しないでよ! こっちだって混乱してるのよ」


──と、思索に耽ろうとしていたら抗議の声が飛んだ。三番目の花子さん(仮)である。


「混乱してるって言われても……。俺はただ、日本で語られてるお化けを見たかっただけだよ。二人も出てくるって話は聞いたことなかったけど……まあ、幸運ラッキーだったってことにしておくよ」

「幸運とか不運の問題じゃないでしょ。むしろお化けに会うことは総じて不運よ。それよりもこいつは何者なの? お化けってことは間違いないんでしょうけど、トイレの花子さんは私よ。そこのところはっきりさせないと」

「何者かって言われても、ねえ? わたしは基本的にお手洗いにいるから、きっとその……花子さんなんじゃないかな? ほら、お着物にもお花が描いてあるし……」


 自分が『花子さん』であることに執心しているらしい三番目の花子さん(仮)とは対照的に、四番目の花子さん(仮)は自分が花子さんであることに固執している訳ではなさそうだ。しかしトイレにいる、という点において自分が花子さんなのでは?と思ったらしい。

 これはややこしいことになってきたぞ、と青年は神妙な顔になった。どちらが真の『花子さん』なのか──見極めが肝心ということか。


「それじゃあ、さ。俺がいくつか質問をするから、二人はそれに答えていってくれないかい? そうしたら、俺が知ってる『ハナコさん』の噂と噛み合う方が『俺の探していたハナコさん』ってことになるだろうしさ。本物か偽物かはわからないけど、少なくともどっちが俺の目的たる花子さんかってことはわかるだろ?」


 そう提案すれば、二人の少女は顔を見合わせてから、こくりとうなずいた。


「そうね、それが良いと思うわ。噂話があってこその花子さんだもの。合致した方が相応しいんだわ、きっと」

「わたしはどっちでもいいけど……まあ、みんなに合わせるよ」


 三番目の花子さん(仮)は真剣そのものといった表情──ただし目元は見えない──だが、四番目の花子さん(仮)は何ともどっち付かずである。ある意味で日本人らしい。

 あんた何言ってるのよ存在意義に対しておろそかにするとかいい加減にも程があるわよ、とたしなめている三番目の花子さん(仮)に微笑ましさを覚えつつ、青年は質問を投げ掛ける。


「それじゃ、質問。俺はハナコさんと遊ぼうと思ってたんだけど、君たちはどんな遊びがしたい?」


 ポピュラーな噂によれば、花子さんに遊びましょと声をかけ、高確率で首絞めごっこなる物騒な遊びを所望するらしい。その他にも溺死させられるとか、トイレに引きずり込まれるとか、全身の血を抜かれてしまうとか、最終的に呼び掛けた者が死に至るような遊びを好むのは確かだ。何をして遊びたいか聞いてくるパターンもあるらしいが、今回はこちらから質問するので割愛しよう。


「そんなの決まってるでしょう。首絞めごっこよ」


 真っ先に答えたのは三番目の花子さん(仮)だった。彼女はふふん、と謎に勝ち誇りながらお手本とも言うべき答えを発した。

 これに対して、四番目の花子さん(仮)はうーん、と熟考していた。首絞めごっこにはあまり興味がない──というよりは良く思っていないらしく、三番目の花子さん(仮)の答えを聞くとむむむ、とうなって唇をとがらせた。


「わたしは何でもいいし、お兄さんに合わせるよ。お兄さん、海の向こうから来たみたいだし、わたしの知ってる遊びは知らないかもしれないじゃない? だから、わたしがしたい遊びは特にないかなって」


 さんざん迷った末に、四番目の花子さん(仮)はそう答えた。

 たしかに、青年は日本の出身ではない。髪の毛は明るい茶髪だし、鼻は大きく高く、それでいて顔の彫りも深い。閉鎖的な空間に現れる怪異もそうとわかる程、西欧的な見た目をしている。

 これがジャパニーズ気遣いかあ、と青年はしみじみ思った。空気を読む、とはこういうことなのだろうか。いや、花子さんであることを示そうとしている中でこの答えというのは、空気を読んでいないことになるのかもしれないが。


「まあいっか。じゃあ、次の質問にいくぞう」

「まあいっかって何よ。思うところがあったなら言いなさいよ、むず痒いわね」


 三番目の花子さん(仮)からは難色を示されたが、それはそれ。青年は空気を読まずに進める。


「君たちの好きな色を教えてくれないかい? 二色以上でも良いよ」


 聞いた噂によれば、花子さんは赤系の色、もしくは青系の色が好きらしい。そして、白系の色を嫌うという。別の噂では牛乳が嫌いともあったが、関連性は不明である。

 トイレにまつわる怪談には赤、青と色が絡むものも多い。そのため、彼女たちの好む色からどちらが『花子さん』か見極めることは可能なのではないだろうかと青年は考えた。


「はい! わたし、赤と白が好き!」


 この質問に食いついたのは四番目の花子さん(仮)だった。

 彼女は目をきらきらとさせながら、ぴしっと挙手をして答える。青年はどうしてだい、と理由を尋ねた。


「何かを好きなことに、理由っているのかな?」

「それを言われたら反応に困るよ」

「そう? あっ、でも、強いて言うならめでたいからかなぁ。ここだと、紅白って縁起──あ、難しいかな。とにかく、良いことの象徴みたいに扱われているの。だから好き」


 普段から使ってる言葉の説明って難しいね、と四番目の花子さん(仮)は苦笑した。

 そんな中、三番目の花子さん(仮)はというと、何やら深刻に考えている様子だった。


「好きな色……そんなの、考えたこともなかったわ」

「えっ、そうなのかい?」


 青年がぎょっとして尋ねると、三番目の花子さん(仮)は当たり前でしょう、とため息を吐く。


「トイレの花子さんってのは、子供たちを怖がらせるのが本業みたいなものじゃない。どうして趣味嗜好が知られているのよ? 生者に好き嫌いを教える場面なんて、ないと思うけど」


 言われてみればそうかもしれない。花子さんとは、元来子供を怖がらせるもの。ならば、好みを教える機会などないはずだ。

 しかし、そのように考えると他の怪異に関しても疑問点が生まれてしまう。そもそも、人の命を奪うような怪異の話が大衆に伝わっていること自体が一種の矛盾なのだ。気にしていたらきりがない。

 青年は気を取り直すために咳払いをした。それから何事もなかったかのように質問に移る。


「じゃあ、次が最後の質問だ。──君たちは、どうしてここにいるんだい?」


 花子さん(仮)二人は押し黙った。


「君たちが俺の呼び掛けに応じたのは、トイレに現れる怪異だからだろう。じゃあ、どうして君たちは怪異になった? どうしてトイレにいる? その理由を教えてくれ」


 花子さんがトイレに現れるようになった理由は複数存在する。

 トイレに閉じ込められた、変質者に追われて逃げ込んだが結局殺された、いじめを苦に自ら命を絶った──。その他にもたくさんの理由はあって、その経緯は数えきれない。

 青年にとっては、その理由などどのようなものでも良かった。無念のうちに、トイレの中で死んだ少女。その証拠さえあれば、この少女たちは花子さんになれるのだ。


「わ──わからないわよ、そんなの」


 しかし、響いたのはあまりにも弱々しい声だった。


「どうして私がここにいるのかなんて──そんなの、言われるまで気にしたこともなかった。私は、花子さんは、トイレにいるのが当然なのでしょう? 理由なんて、そんな……気付いたらここにいたってだけよ。そう、私、あんたに呼ばれて初めて、ここに出て……」


 先程まで自信満々だった三番目の花子さん(仮)は、明らかに周章狼狽していた。その声には震えが混じり、彼女の言葉をどんどん頼りなく変えていく。

 彼女は、自分の存在する理由を知らなかった。知らないまま、トイレの花子さんなのだと信じていた。そもそも、こうして現れたのは初めてだという。

 訳がわからない。この少女は何者なのか。


「良いじゃない、それで」


 慌てふためく少女の肩に手を添えたのは、不思議な程落ち着いた様子の四番目の花子さん(仮)である。

 彼女は紙のような顔色になってしまった三番目の花子さん(仮)を見て、にこりと微笑む。


「わたしもね、自分がどこから来たのかは不思議とわからないの。気付いたらこんな形になって、人々に語られていた。だから、気にしなくても大丈夫」

「でも、それじゃ私は」

「人間の噂は、もとより口伝え。その途中でいくらでも変わるし、矛盾だって生まれる。確固たる理由がなくても、何かと混じり合っても構わない」


 四番目の花子さん(仮)の口調から、幼さ故の不安定な調子は消えていた。彼女の口調は淀みなく、それでいて歌うような朗らかさを併せ持っている。

 ぺたりとその場にへたり込んだ三番目の花子さん(仮)を見届けてから、少女は青年に振り返る。微笑んではいるが、その眼差しには牽制の意が込められている。


「そろそろお開きにしましょう。どちらが本物の花子さんかなんて、決めない方がもの」


 柔らかだが、有無を言わせぬ語調であった。

 青年はうなずき、踵を返す。この少女に逆らってはいけないと、本能が告げているような気がした。

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