四話

食後にいつものお茶を頂いた後、ロイドとレティはそれぞれの洗濯を終え寛いだ時間となった。

だけどそれはロイドだけであり、レティはまたクローゼットからあの新しい青いローブを引っ張りだして着込んでいた。因みに黒色のローブ、鼠色のローブは頑張って洗っていた。やはりというか残念ながら黒のローブの汚れは落ちなかったみたいだが。


「また、何処か行くのか?」


椅子に座り本を読もうかと考えていたロイドは手を止めてレティに聞いた。


「はい。ロイさんはゆっくりしていて下さい」

「俺も手伝えるなら付き合うが?」


一人でのんびりしていても気不味いだけだ。


「ええ、と。森に生えている薬草を探してくるだけです。あと、ついでに薪も集めようかと」

「それなら俺も呼べ」


ガタリと立ち上がりながら思わず突っ込む。薬草はともかく薪なぞ重労働すぎる。


「薬草は知らないが薪くらいなら俺が運ぶ」

「え、でも」

ロイさん、と声が掛かるが、ロイドも準備のために壁際に歩いた。

壁の一角に適当に荷物が置かれていた。その中から剣を引っ張りだして腰に括り付ける。

一連の行動を見ていたレティはキョトンと首を傾げていた。


「あの、浄化の湖の周囲ですから魔物は出ませんよ?」

「……それを先に言え。だが一応、用心だ」


昨日の朝、レティの言葉が本当なら湖の近くに魔物は近付かないのだろう。確かに森のど真ん中に家があるというのに窓からも魔物の気配は全くしなかった。時折湖の向こうから獣らしき足音が耳に届くが、それ以外は静寂だ。平和過ぎて自分が今何処にいるのかも忘れてしまいそうになる。

けれど同時に湖の近くだろうと、森の中で丸腰でいられるほどロイドはまだ湖を過信していない。


「でもロイさん。近くなので、私一人でも大丈夫ですよ」

「……そういう問題じゃない」


じゃあどういう問題なのだとレティは目で尋ねてくるが、上手い説明が思い浮かばない。

安全とは言われても何となくレティ一人で森を歩かせるのには抵抗があったこと。もう一つは、レティの日々の仕事の負担を減らせればと考えたこと。

後者は意識していなかったが、レティはどうも他人を頼ろうとしないのは何となく理解していた。


「いいから、さっさと行くぞ」


まだ何やら言いたげなレティを横目に見ながら、先に玄関に辿り着き扉を開いた。


ーー何故か、目の前には巨大な灰色の狼がいた。


「……っ!」


咄嗟に柄に手を掛ける。思考が一瞬で臨戦態勢に切り替わり、素早く目の前の異形を観察する。

紅い瞳孔に灰色の毛並み。外見は犬か狼のそれだが、体躯が異様に大きい。高さで既にロイドの身長の半分ぐらいはある。それに伴って顔や顎も、支える四つ足も全て大きい。猛獣にしても説明がつかない。


ーー何故ここに魔物が!?


ここは湖の中心地である。レティの言葉が真実ならこの辺りには決して魔物は近寄らないはずだ。

レティの言葉に嘘があったのか。それとも異常事態でも起きたのか。

それにこの魔物、足音が全くしなかった。ロイドの聴覚で捉えられないなど普通の獣では有り得ない。

後ろにはレティがいる。余計な考えを振り払い目付きを鋭くさせ、魔物を睨む。ここまで間近に接近されれば魔法を発動させる暇がない。

すると、向こうもロイドの敵意を感じ取ったのか低い唸り声を上げて身を沈めた。

一色即発。どちらが先手を取るかお互い足に力を込めて出方を伺っていると、


「あれ?ラフィ?」


レティの呑気な声に双方の敵意が途端に霧散した。

ロイドの後ろ、肩の上からヒョッコリとレティの顔が突き出した。背伸びをしているのだろう、若干身体がふらついている。


「……レティ、こいつは何だ?」


肩越しにレティに問う。敵意は消えたが、身体はまだ癖で構えを解いておらず視線も切っていない。

それは向こうの異形もそうだった。何とも言えない空気だが、先に目を背けたら負けという気配だけはお互い残っていた。

ロイドの問には答えず、レティは今度はロイドの脇をすり抜けてトコトコと気負いもなく大きな異形に近付いていった。そのまま手を伸ばすとーー徐に、ワシワシと頭を撫で始めた。


「おはようラフィ。珍しいね、どうしたの?」


レティが両手で撫でていると先程の態度は何処へやら。

ラフィと呼ばれた異形は呆気ないほどロイドから視線を外し、撫でられるがままに身を任せていた。目は細められ、尻尾に至ってはブンブンと大きく振られていた。

レティはレティで相変わらず無表情なのに、触る手付きには優しさが籠もっている。

その光景を見ながら、ロイドは間抜けにも剣の柄を手に掛けたまま突っ立っていた。

思いっ切り置いていかれた状態だった。

取り敢えず、ラフィという獣の意識が完全にロイドから外れたので構えを解く。レティの登場によって一変したラフィをもう一度観察した。

さっきまでの恐ろしい気配は何処へやら。今、レティに撫でられている姿は最早完璧に犬のそれである。


「……何だその犬は?」


意図せず本音が出てしまった。

だが、反応は劇的だった。

それまでロイドのことをまるで眼中になかったラフィが、犬、という単語にギッとこっちを睨んできたのだ。まるで言葉を解しているかのような態度にロイドは面食らう。


「あ、この子はラフィです。……ラフィ、この人はロイさんだよ」


レティは律儀に紹介してくれた。

……犬と言ったことに否定はなかったが、呼ばれたことに気を良くしたのかパッとラフィの目が輝いた。

レティに擦り寄って匂いを嗅ぐ。するとあの犬、眉間に皺を寄せた。グリグリと頭を押し付けてじゃれ始める。


「でも、珍しいね。ラフィがここにいるの。……何かあったの?」


撫でながらレティが尋ねるが、ラフィはお構いなしに頭を押し付けている。猫ならば喉が鳴っていそうだ。

押し付けられているレティはニ、三歩後ろによろけた。多分、レティの方が軽いのだろう。


「……その、ラフィというのはお前のペットか何かか?」


ロイドが聞くとまたラフィが目だけがギロリとこっちを睨んできた。邪魔をするなと言わんばかりである。


「ラフィは師匠が育てたそうです。私が来た時には既に森で生活していましたが」

「……で?」要領は得ないが続きを促す。

「いつも日課の手伝いをしてくれるんです。でも、この時間に来るのは珍しいです。家にも余り近寄りませんし」


レティがロイドに向いて話していると、ラフィが更にグイグイと身体を押し付けてくる。


「わっ、……昨日からどうしたの?ローブが汚れるよ」


レティが柔らかく窘めてもグリグリと擦りつける。ロイドとレティの間に割り込み、全身でレティを後ろに下がらせている。気のせいか引き離されている気がする。

ラフィはフンフンと匂いを嗅いではまた身体を寄せていくを繰り返す。……もしかして、あれはマーキングか?

折角の青いローブに毛が着いていく。レティは困ったようにロイドとラフィを交互に見るが、手はずっと撫でているもんだからラフィも止めようとはしない。

しばらく続いていたがやがて自分の匂いが染み付いて満足したのか、チラリ、と紅い目がロイドを見たような気がした。しかも心なしかドヤ顔で。

レティも諦めたのか、されるがままラフィの毛を梳いていた。

ロイドだけ、見ていて段々と面白くなくなってきた。

無言でスタスタと近付くとレティの腕を取り、レティとラフィを引き剥がした。

引っ張られた衝撃でレティが耐えきれずトン、とロイドの胸にぶつかる。

ローブがかなり犬臭くなってしまったが、レティの髪や肌からはいつもの林檎の香りが仄かにロイドの鼻に漂ってくる。

急に押し付ける対象がいなくなったラフィの頭は、空を切ってよろけていた。

バッと頭を上げるとそこにはロイドとレティが密着した状態だ。

ざまあみろ、と大人気もなく思っていると、ラフィが低い唸り声を上げて威嚇し始めた。


「駄目だよ、ロイさんは敵じゃないよ」


レティが注意するが、ロイドとくっついているのが気に入らないラフィにとってはそれどころではないのだろう。聞いてないのかグウウゥと唸り続けている。

それをロイドは冷たく見下してやる。

優越感が心を支配するが同時に、犬畜生相手に何をやっているんだろうという呆れと、何に優越感を抱いたのかという疑問と、未だにレティの頭が直ぐ近くにある羞恥がごちゃ混ぜになって自分でも何がしたかったのか分からなくなってきた。

だが犬から喧嘩を売られていることだけはひしひしと伝わってくる。

ここで引いたら負け犬になる。お互い視線をそらさず、見えるなら火花が散ってただろう。

しかし、こうやって観察してみるとこの犬、本当に大きい。

ロイドの腹近くに頭がある。本気で噛めば人間の頭蓋など一撃で砕きかねない。馬では無いから乗れるかどうかは疑問が残るが、それでも逞しい背中は重い物を乗せてもびくともしなさそうだ。


「今から薬草を取りに行こうとしたんだ。ラフィも一緒に来る?」


レティだけが状況を分かっておらず、ロイドに腕を掴まれたままのほほんと呟いた。

やはり人間語を理解しているらしい。ワフっと小さく吠えて尻尾を振り回し始めた。


「じゃあロイさん、行きましょうか?」


ロイドにもそう声を掛ける。が、その時にやっと気付いたのかレティが腕をじっと見てきた。心なしか目を見開いてあ、と小さく漏らした。


「……あぁ」


ばつが悪くなって手を離す。レティはまじまじと腕を凝視していたのが居た堪れない。少し強く握り過ぎただろうか。

だがラフィがこの機を逃さじと割って入ってきた。あからさまに嫉妬している表情だ。……こいつやけに人間くさい。

レティはラフィに気が付かず先に歩き出した。心あらずといった感じで掴まれていた腕の箇所を擦りながらトコトコと石橋に向かっていく。

無視される形になったラフィは分かりやすく落ち込んでいた。尻尾を垂れながら、それでもレティの後ろをピッタリと付いていった。

が、悔し紛れなのか振り向きざまにギッ、とロイドを睨んできた。

これは最早喧嘩を売っているところでは無く宣戦布告だ。相手は犬だぞという突っ込んでくる理性を無視して、お互いにガンを飛ばし合う。

立ち止まって因縁を飛ばし合う一人と一頭を訝しんだのか、いつの間にか正気に戻っていたレティが振り返ってラフィを呼んだ。


「……どうしたの?おいで」


思いっ切り水を掛けられた形となり、ラフィは渋々といった感じでロイドから目を離した。

ロイドは取り敢えず勝ったという気持ちと、本当に何やってんだろうという呆れが去来して虚しくなってきた。

レティとラフィから遅れてロイドも足を運び出す。

その時、先に歩いていたラフィが憎々しげに一瞥する姿が見えた。


『オボエテ……、……ゾウ』


気のせいか、微かに硬質な声が脳に直接響いてきた。

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