第31話 みどりの理由

 瑠璃は相変わらず週一しゅういちで西谷高校へ通っていた。彩葉たちも3年生に進級し、第一回目の進路調査票が配られた4月下旬、彩葉の授業を終えた瑠璃が校門を出て横断歩道で信号待ちをしていたら、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。


「瑠璃先生」

「ああ高倉さん。丁度良かった。ちょっと付き合える?」

「はい、あたしだけですか?」

「うん。イロハは大学どこ受けるかで悩んでたから放って来たんだ」


 二人は幹線道路から少し入った商店街のカフェで向い合った。


「あのさ、進路、どうするの?ずっと前に東京って言ってたよね」

「ええ、まだ決めてはいないんですけど、やっぱり県立の看護大学かなって。お金の事もあるので」

「お母さんはどうって?」

「東京の話はしていないんです。やっぱり知ってる人とかいないと反対しそうだし」

「そうか。ウチに下宿する?」

「え?」

「貝原病院の話は別にして、部屋はあるからさ、私たちと一緒で嫌じゃなきゃご飯も食べられるし」

「本当ですか?」

「ま、まだウチの親とかにも言ってないんだけどさ、反対はしないんじゃないかな。朱雀も世話になったし」

「嘘みたい…」

「なんなら私がお母さんに話してもいいんだ。高倉さんからじゃ信用してもらえないかもだから」

「めっちゃ助かります…バイト探さないと」

「はは。バイトは私も探したげるよ。変なバイトされても困るから」

「有難うございます。あれ?瑠璃先生は今どこに通ってらっしゃるんですか?」

「大学院だよ。中途半端なピアニストじゃ仕事来ないし、もうちょっと親の脛齧ろうかと思ってね」

「へーぇ、すごい」

「じゃ、私今週は金曜日にもう一度来るんだよ。その時ちゃんと話できるようにしておくから、お母さんに会わせて」

「はい、判りました」


 翠の顔が輝いた。


「あ、でもサプライズだから、まだお母さんには言わないでね。糠喜ぬかよろこびになる事だってあるんだから」

「はいっ」


+++


 その週末、瑠璃は高倉家のマンションのリビングで翠の母・高倉緑と向かい合っていた。傍らの翠は心配顔だ。


「貝原さんですって?」

「はい」

「えっと、どちらの貝原さんでしょうか?」

「どちらのって言うか、糸巻彩葉さんの講師をしている貝原です」

「彩葉ちゃんの講師って、音楽関係?」

「そうです。若月音大大学院でピアノをやっていますので」

「それがなんで、翠の下宿の話になるんですか?」

「以前、糸巻さんと翠さんとでお喋りしてた時に、翠さんは東京に進学したいみたいなことを仰っていたので、弟が病院でお世話になった事だし、ウチも部屋は余ってるので構わないかなって感じです」


 緑は不審感ありありだった。そりゃそうだろう、因縁の苗字だ。幾ら音楽関係とは言え勘繰るのに無理はない。緑は翠に小声で言った。


「翠、ちょっと自分の部屋で待ってて」

「え?」

「子どもには聞かせたくない話もあるからね」

「えー?」


瑠璃も頷いた。


「そうだよ。お金の話とか聞きたくないだろ?」

「ええ、まあ…」


翠がすごすごと自室へ向かったのを確認して、緑は声のトーンを落とした。


「あなた、貝原病院と関係あるの?」


瑠璃も目を逸らさなかった。


「長女です」

「え?」

「翠さんの姉ですね」


緑は額に皺を寄せた。


「何を企んでるの?翠を奪いに来たの?」


瑠璃は予想していた。母さんはいい人だって言ってたけど、そりゃ疑うだろうし面白くないだろうと。


「いえ、単に彼女の将来を考えた時に有利に働くだろうと思っただけです」

「貝原病院に取り込もうと?」

「それは彼女の選択です。そんなことを私は勧めも否定もする気はありません。医療関係は私には解りませんし、彼女が看護の道を目指すに当たって選択肢が拡がると思っただけです。それにこう言っては何ですが、もっと緑さんもウチを利用されればいいと思ってます」

「今さらそんなこと、出来ると思ってるの?」

「しれっとやればいいんです。第一この話、父は知りません」

「え?」

「私が勝手にやってるんです。でも多分反対はできませんよ、父も母も。弟が翠さんのお世話になってますし」

「そんな」

「私、翠さんと話して思ったんです。この子にはもっといろんな道を用意してあげるべきだな。もっと広い世界に出してあげたいなって。それは緑さんにとってもいい事なんですよ」

「なんで?私の娘よ。かけがえのない」

「それが彼女のアンカーになってるんです。互いにいい事はないと思いますよ。翠さんももう充分独り立ちできる歳だし、緑さんにも自由世界が待ってます。それに彼女は出てったきりにはなりませんよ。ちゃんとお母さんのことは考えて、時々戻って来ますよ。そうじゃなきゃ私がどやしつけますから」


 緑は組んだ手の指をじっと見つめた。アンカー…。拠り所だけど単なるおもりとも取れる。


「何も今すぐに決めて下さいって話じゃないです。これから進路を考えるタイミングだったので、こういう選択肢もありますよってお話したかっただけです」

「本当に…、健介さんが翠を取り込んで放さないってことないでしょうね…」

「父は娘と言うものには辟易してますから大丈夫ですよ。私は翠さんの味方だし」


 瑠璃は微笑んだ。


「今日はこれだけです。翠さんはがっかりかも知れませんけど、翠さんは父のことを知りませんし、ウチの事は単なる彩葉さんの先生の家と割り切って頂いて、それで親子で考えて決めて頂けばいいと思います。勿論、そうなっても父には口止めしますし、父も今さら自分からは言わないと思います。ただ、私から一つだけ聞いていいですか?」

「はい?」

「翠さんの名前、なんでお母さんと似たようなお名前にされたんですか?」


 緑は頬を緩めた。


「私より輝いて欲しかったのよ。松の葉っぱみたいな地味なみどりより、キラっと光るみどりになって欲しいって」


 なるほど母さんの言った通り、やっぱいい人だ。この人の願い通り、きっと翠は翡翠カワセミのようにきらっと光って羽ばたいて来るだろう。瑠璃はほっこりとした。

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