第22話 病室にて

 翠は翌日、あらかじめ聞いていた瑠璃のスマホに電話を掛けた。


「もしもし高倉です」

「あー、悪いね。古すぎて無かったかな」

「いえ、ありました。1歳の頃にあの痕の通りで、右前腕を10針縫ってます」

「そっか。予想通りだな。目の事は書いてなかった?」

「はい。書いてないです。でも気になることが書いてて」

「へえ、なに?」

「瑠璃先生、貝原病院ってご存知ですか?同じ苗字なんですけど」

「え?なんで?」

「貝原病院の貝原医師が処置して、多分救急車に載せたみたいなんです。場所が湯立渓谷で、そこってここから山の方に入った場所なんです。紅葉の名所で。でも貝原病院はカッコ書きで、東京国分寺って書いてました」


 貝原病院…東京国分寺。瑠璃は焦った。藪からとんでもない棒が出た。もはやトラップじゃんか。


「あー高倉さん有難う。貝原なんて無さそうな苗字だけどあるんだねえ。遠い親戚かも。ごめんねスパイさせちゃって」

「はい。これでいいんでしょうか?」

「うん大丈夫。今度なんか奢るわ。じゃね」


 翠も不審感を持った。貝原病院と告げてからの瑠璃の口調、朱雀さんと同じテンション。無理がある。彩葉と貝原病院って何かあるのかな。しかし事実は翠が思うような呑気なものではなかった。


 スマホを置いて瑠璃も考え込んだ。湯立渓谷…。有名な北陸の名所だ。朱雀が北陸に行ったのは義指のドクターがあっちに行ったから仕方なくだったから、関係はないように見える。しかし、東京国分寺の貝原医師って、どう考えても父さんに思える。父さんと北陸の関係って何だろう…。瑠璃は考えているうちに少し前の出来事を思い出した。母さん、北陸の銀行にお金を送ってぼやいてた。


『地方銀行にお金送るって面倒ねえ…、北陸に都銀はないのかしらねえ』


 初めて使ったインターネットバンキング。私も画面をのぞき込んで操作をあーだこーだ言ってたんだ。あの時の振込先口座、確かに北陸の地方銀行で、名義は『タカクラ』と書いてなかったか? その時は深く考えず、また着物の生地でも取り寄せるのかと思ったんだ。友禅染で有名なところだし。

 しかし『タカクラ』ってあの子の苗字でもある。朱雀の病室を初めて訪れた日、あの高倉さんの名前を聞いて、父さん一瞬変だった。どう言う接点なんだろう…。


 瑠璃はリビングへ入って行った。ごそごそとリビングボードの最下段の引き出しを探る。2年前の通帳… あった。

ペラペラとページめくる。これだ。


 振込先は『タカクラ ミドリ』 200万円。


頭の中が整理し切れない。200万円はまとまった金額だ。友禅染の生地と思えなくもないが、母さんがそんな高価な生地を注文するとは思いにくい。あの場所に何があるんだろう。朱雀が彩葉に出会ったのは本当に偶然なのか。


 瑠璃は思案を続けながら朱雀の病室へと向かった。瑠璃の家から病室へはたったの3分。当たり前だ。自宅は病院の裏手にあるからだ。朱雀は眺めの良い貝原病院の特別室に入っていた。


「朱雀、どう?」

「あー姉ちゃん。もうヒマでヒマで、オヤジに言ってくれよー、退院させろってさぁ」

「確かに家で寝てても大して変わらないわね」

「だろ?だろだろ? オヤジもうすぐ回診に来るからさ、言ってくれよ」


 何も解っていない呑気な弟を眺めながら、瑠璃は頭の中を整理した。きっと父さんとタカクラミドリはお金が絡む。それは母さんも承知のことだ。タカクラミドリとあの高倉翠の関係は不明だが、翠って字はミドリとも読める。そして湯立渓谷で彩葉に応急処置した貝原医師は恐らく父さんだ。何があった?応急処置は偶然かも知れないが、そもそも父さんはそこで何してた? あの辺りは貝原家に何の縁もない地域だ。の地のタカクラミドリに200万円も送金する理由は軽いものじゃない筈。母さんも絡むとなると只の知り合いとかじゃないだろう。もしかして…。


 それと肝腎の話、彩葉の目と応急処置は何か関係があるのか? 

 うーん、ややこしい。


 まもなく院長・貝原健介(かいはら けんすけ)がお供を連れてやって来た。


「どうだ?朱雀」

「ぜーんぜん大丈夫だよ。異常なし。もういいだろ入院生活。姉ちゃんも退院させろって言ってる」

「ふうん、ま、数値は大丈夫そうだな。瑠璃も来てくれてたのか」


 健介はお伴の医師と看護師に先へ行けと手で合図し、ベッドサイドに座った。


「なあ朱雀」

「あー?」

「おまえ、あの高校生とどこで知り合ったんだ?」


 瑠璃の眉毛がピクっと動いた。


「高校生って翠ちゃんかい?」

「おう、高倉さんとやら」

「オレ倒れちまったんだよ、高校の校門の前で。そしたらあの子らが寄って来て助けてくれたんだ。特に翠ちゃんはね、看護科だからってその後もずっと一緒に居てくれた」

「それだけか?」

「そうだよ。でも就職で東京に来るかもよ。んなこと言ってたなー」

「こっちってか…」

「いいじゃんか」

「いや、まあな」


 健介の瞳は一瞬曇り、瑠璃はそれを見逃さなかった。瑠璃はカマを掛けてみた。


「父さん、父さんはずっと前に1歳の女の子が怪我したのを助けたでしょ?あっちの方で」

「な、なんだ急に…」

「それってタカクラさんの所へ行ったの? もしかしてタカクラミドリさん」


 その時病室の扉が開き、一人の看護師が顔を出した。


「院長、回診お願いします」

「おう、今行く」


 ベッドから立ち上がり、パタパタと白衣を叩いた健介は一言言って病室を出て行った。


「瑠璃、解っても詮無い事だ。考えなくていい」


 ベッドで半身を起こした朱雀が不思議そうな顔をする。


「姉ちゃん、何あれ。何が解んの? タカクラミドリさんって?」

「朱雀は呑気だね。妹がいるかも知れないってのに」

「はあ?妹?誰よ?」

「気を付けなよ。まだ高校生だから大丈夫とは思うけど、変なことにならんようにね。これ以上ややこしくしないでよ、ウチの家族。ほんじゃ私は学校行くわ」


 瑠璃も父親張りに言い残して病室を出て行った。一人残された朱雀はポカンとした。


「何言ってんだ?二人とも。何が起こってんだ?オレの周りで」

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