第0話 魔女の休暇

桜蘭は美沙の興味を引いたのか、しばらく美沙との話に付き合っていた。




 「へえ…、魔女、ねぇ…」


 「魔女って言われてるけど、別に私が強いわけじゃない。私の艦本体と、そこにいらっしゃる艦長のおかげ。本当に、艦長には感謝しています」


 「あ、うん。ありがと」




 いきなり感謝を伝えられても、反応に困るのだが…。




 「じゃあさ、桜蘭、愁のこと、好きなの?」


 「えっ? 私は、愁艦長を尊敬しているけども、好きって…。好きって、どういう感情なんだろう…」


 「好きっていうのは…、うんと…、伝わりにくいんだけど、その人の隣にいていて、なんかこう、心が落ち着くというか…、なんというか…」




 美沙が答えに困っているようなので、愁が代わりに答えてあげる。




 「好きっていう感情は、その人の隣にいていることに喜びを感じ、その人の隣に別の人がいると嫉妬を感じ、自分がその人の隣から離れなければならなくなったときには悲しくなる、っていうこと」


 「嫉妬…、とは?」




 嫉妬がわからないか…、という反応を愁が見せる。美沙も説明できないので、最終的に良輔が答えることになる。




 「嫉妬、っていうのは、そいつのことが憎い、そいつと自分が入れ替わりたい、ってこと」


 「なるほど…。じゃあ、好きじゃないかな」




 具体的にどこが、と美沙が聞く。




 「確かに隣にいると安心感を感じる。愁は頼りになるし、話していて楽しい。ある意味喜びに近いと思う。でも、愁の隣に誰かがいても嫉妬は感じない」


 「なるほど、ね…」




 美沙がつんつん、と肘で僕の横腹を突っつく。何を言いたいのか分からなかった。


 おいおい、こいつ鈍感かよ、と顔で言っている良輔が、耳元で小声で説明する。




 「つまり、お前さんの魅力をもっと高めて、桜蘭をお嫁さんにしちゃいなさいっていうふうに言っているんだよ」


 「…、わからない。あくまでも、桜蘭は機械なんだけど…」


 「別に、機械に恋してもいいと思うけどな…」




 それより、と美沙が話を続ける。桜蘭も興味を持っているようだ。


 どんな話をしたのか、後で聞くことにしようと決心する。




 「そういえば、特殊戦って、どんな感じなんだ?」


 「どんな感じって…。簡単に言えば、それぞれがそれぞれ。つまり、完全個人主義。必要なとき以外他人には関わってこない。挨拶とかも疎らだね…」




 へんなところ、というのが第一印象だった。








 僕が特殊戦に入った時、先任は23名、同期は6名いた。先任の最年長は25歳で、かなり若い集団だというのが率直な感想だった。特殊戦に所属している軍人が指揮するのが主力艦隊の戦艦で、一生涯に渡って同じ戦艦を指揮するものが多い。


 もっとも、才能がある軍人はここから「八将」、そして「総指」へと出世していく。総司令官にも進んだ軍人もおり、特殊戦といえばエリート、という印象が強い。




 しかし、実際のところは無能を排斥するという要素が強かった。


 実際、僕が特殊戦に入った時の先任23名のうち、19名は戦死している。そして、同期の6名は5名戦死であり、文字通り殆どが戦死している。


 特殊戦は一部のエリートのみに優しい世界だったとも言えるかもしれない。








 「挨拶しないって…、雰囲気悪くない!?」


 「いや、挨拶はしないけども、そもそも関わりが薄いから雰囲気は悪くないよ。もっとも、関わりがうすすぎるのが玉に瑕だけど」




 そりゃそうだろ、と言われた。


 いやまあそうでしょうけども。




 「そういえば、桜蘭ちゃん、魔女って呼ばれてるのか?」


 「ハハハ…。別に、ただ魔女って呼ばれているわけじゃないよ。サマール沖とレイテ沖の魔女、もしくは二冠の魔女って言うふうに言われてる」






 レイテ沖海戦。


 「桜蘭」を含む当時の第一主力艦隊は戦艦四隻、重巡洋艦六隻、軽巡洋艦一〇隻、駆逐艦二四隻からなる大艦隊だった。これに対して、レイテ沖へと突入してきた敵艦隊はそれを大きく上回る戦艦n級一八隻、巡洋艦nor級六〇隻、駆逐艦de級一〇〇隻以上…。


 第一から第四までの主力艦隊はフィリピン島嶼部の攻略を狙う敵艦隊の配置を絞りきれずにみすみす戦力を分散せざるを得なくなり、その結果全主力艦隊を合わせれば敵よりも優勢な味方艦隊は各個撃破の危機にさらされた。




 全主力艦隊を失えば、人類の防衛線は決壊する─。


 そう考えた司令部はフィリピン島嶼部の放棄を決断せざるを得なくなっていた。




 しかし、それを根底から覆したのが基幹戦艦「桜蘭」だった。


 「桜蘭」は海戦初頭に敵艦隊へと強行突入し、敵艦隊を大混乱に陥れたのだ。しかも、この突撃は味方の支援も何も無い深夜に行われた。


 奇襲の効果は絶大で、艦隊の再編成に敵艦隊が手間取っている間に全主力艦隊の結集に成功した人類はこの敵艦隊の再編成終了とほぼ同時に突入。結果的に敵艦隊は潰走した。






 この時の「桜蘭」の指揮官は当時僅か一六歳。


 このレイテ沖海戦以後、「桜蘭」とその艦長は第一戦隊の次席旗艦とその艦長に抜擢されることになったのである。




 「そういえば、どこに向かっているんだ? お前さんに、両親を煽りに行く趣味があるとは思えないんだが…」


 「別に両親に会いに来たわけじゃない。どんなところだったかな、と自分の過去を見つめ直しに来たんだよ」




 似合わないな…、と良輔が言う。




 「良輔、そういえば、僕のことどんなふうに思っていたの?」


 「どんなふうに、って…。そうだな…、別に、ただの友達だったと思うぞ。どうして?」




 何でも無い、と返す。


 別に、特段理由があったわけでもないのだ。ただ、良輔がどんなふうに思っていたのか、それが気になっただけだ。それ以外に、理由はない。




 「タイムリープして、聞いてみたいか?」


 「まさか。そもそも、タイムリープなんて不可能じゃなかったか?」




 昔、タイムリープについて話したことがある。


 良輔、美沙はタイムリープできると言っていたので、大量の資料を持ってきた上で論破してやったことがあった。その後、お二方は呆れ返っていたが。




 「ハハハ。お前さんが思いっきり論破してくれたもんだな。だが、その理論の中枢をひっくり返してやれるかもしれないぞ」


 「? ひょっとして、何かあったのか」


 「丁度、お前さんが行きたがっている故郷にいただろ、ほら、『博士』」




 ああ、博士か。そう思った。


 那珂泊十三(なかどまり十三)、相対性理論的な時空に関する重大な研究を行っていた博士の一人だ。本人いわく、若い頃はノーベル賞候補にも選ばれたらしい。




 ノーベル賞とは?




 それに関する記録は残っていない。北欧系の名前、という情報は残っているし、そのような名前を持っている人も何人もいる。だが、その北欧とはどこなのか、というのがはっきりしない。




 「ノーベル賞候補に残った、と言っていたね…。まったく、どんな研究をしてたんだか…」


 「俺に言わせてみれば、ありゃ神話研究、とでも言ったほうが正しいな…」


 「ひょっとして、最近会ったのか?」




 良輔が頷く。




 「大当たり。その那珂泊博士いわく、時空の認識と実際の物理現象には差異があるそうだ」


 「? 人の認識学の方が正しくないか? 脳外端子の研究ならば、そんな研究をしていても不思議じゃないけれども…」




 良輔が首を振って否定する。


 何かあるのか、と続きを促す。良輔が僕の脳外端子に操作認証を求めてきた。


 脳外端子へのアクセスを許可、それと同時に別空間が広がる。




 「この方が分かりやすい、と思ってな。那珂泊博士いわく、この時空間に存在するあらゆる物理減少は、全て人の脳の幻想、ということらしい。つまり…」




 そう言って、いつの間にか手に持っていた手毬を投げる。


 放物線に従って、その手毬は無限大に落下していく。




 「いまこの手毬は放物線に従って動いたが、これは僕らが総認識しているだけ、ということらしい」


 「あの博士って、そんなオカルトティックなことを信じる人だったっけ?」




 視界が元に戻る。




 「いや、だから、お前さんにその話がどこまで信じられるのか、見極めてほしいってことだ」


 「なるほど、だからわざわざあんな話を…」




 タイムリープの話をわざわざ話した意味がわかった。


 つまり、この仮説が正しければ、タイムリープも可能だと言いたいのだろう。




 「さてと、目的地についたぞ。おい美沙、それに桜蘭ちゃん、目的地だぞ」


 「はーい!」


 「分かりました!」




 ああ、やっぱり自然な日本語で付き合いやすい、と心の中で思った。




────────────────────────────────




 「へえ、あのビル、解体されたのか…」


 「残念か?」




 僕らが「あのビル」と呼んでいるのは、昔両親と住んでいたグリーンヒル南ビルだ。


 特に思い出があるわけでもないが、自分の両親の住んでいた家が消えたとなると、両親とは確実に音信不通だな、と思った。とはいえ、両親と会うことを期待していたわけでもないが。




 「そういえば、さっき、両親がまるで住んでいるかのような口ぶりだったね、良輔」


 「ん? ああ、お前さんに両親煽る趣味ないだろ、ってやつか? あれは確認のためだったからな。もしも煽る趣味があるなら、あいにくここにはいないぞ、と言ってやろうと思っていた」


 「なるほど、ね…」




 ここから小学校に通った。


 にしても、その小学校も解体されているとは…。ここ十年来ていないだけで、これほどまでに景観は変化してしまうのか…、と感じた。


 まあ、どうだっていい。




 故郷なんて、もとからあってないようなものだ。


 故郷でのいい思い出なんて、良輔と美沙とふざけあったことくらいしかない。




 「十年経ったら、だいぶ景観変わるな…、とでも思ってんじゃねぇのか?」


 「すごい、ドンピシャ」


 「確かに、十年ぶりなら景観変わったな…、と思うんだろうな…。俺たちはずっとここに住んでいるから、そんなことはあんまり思わないけどな。


 でも、安心しろ。博士の家は変わってないぞ」




 そう言うと、良輔が僕の手を引いていく。




 「ついてこいよ。俺が博士に、お前さんのことを紹介してやるよ」


 「いやいいよ、自分でできるから」


 「いいじゃないか、たまには世話、焼かせろよ」




 じゃあ、お言葉に甘えて、と返事した。


 そして、十年前と変わっていない、質素ながら風格のある家へとたどり着いた。

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