十六夜ー3.

僕は秋が嫌いだ。気候も良く美味しいものが多いのが秋の魅力だが、如何せん、僕の誕生日がある。あまり祝福されたことが無い誕生日は、僕の心をちょっとだけ硬くさせる。ただこの先は秋も愛せるようになる。渚が必ず祝ってくれる。僕の誕生日に合わせて、渚は休みを入れていた。木曜日では無いが、そこらへんは融通が利くのだろう。僕は単に「シフトを入れない」だけで休みになる。まだ温暖な日々が続き、待ち合わせ場所では渚が僕を待っていた。渚は何か理由があると、ベックスには入らず改札前で待つ。近づくと、最近は千切れんばかりにブンブン振っていたしっぽも、パタパタとゆっくり揺れているだけ。「お付き合い」も安定期に入ったと言うことだろう。

「プレゼント、買っておいたよ」

「そりゃ嬉しいな、なに?」

「あとでー」


 それでも何か欲しいものがあればと言うことで、街を散策した。特に買う物も無い。今日はどこかで飯を食おうと言う話になった。「誕生日は特別だから」と言うことらしい。そうは言っても特別な店に行くわけでも無い。たまに行くスパゲティレストランで食べることにした。午後1時半のレストランは空いている。ランチタイムが終わればこんなもんだ。6つあるテーブルの4つは空いていて、カウンター席に2人ほど腰かけている。僕はニンニクのキツいスパゲティを避ける。渚はたらこスパゲッティを避ける。あとでキスをする時に匂いが気になるからだ。僕はたらこが嫌いであった。誕生日と言うことで、食後のデザートにケーキを頼んだ。この店のケーキは冷凍品だが、味は悪くない。そもそも、僕は甘いモノをあまり食べない。渚は甘いモノと渋いものが大好きらしいけれど。


 僕たちはあまり遠出をしない。いや、渚がほぼ必ず僕の住む街まで来る。一度、渚の住む街でデートしようかと提案したが「何もないよー?いいじゃん、洋ちゃんのとこで」と拒否された。思えば、職場の都合で住んでる街に思い入れが無いのだろう。渚は遊ぶなら、栄えた県の中心部の大きな駅まで出るらしいし。

 エアポケットにいるような恋。誰も僕たちに干渉しないし、僕たちも周囲へ影響を与えるような行動をしなかった。いつだってこの世界は僕と渚で完結していた。会えない日は仕事に忙殺されたり、それなりに面倒な人間関係もある。会えない寂しさも募っていく。しかし、そんなことは渚の笑顔を見るだけで解消された。渚も僕に寄り添うことで心の平穏を手に入れていた。本当に安らぐ時間を二人で過ごしていた。


「そろそろ部屋に行こうよ」

渚が振り向いて言う。

左斜め前から僕を振り返ると、見上げてくる感じになる。その時の渚の瞳は本当に美しい。僕はいつだってその瞳にドギマギしていた。

「疲れた?」

「うん。プレゼントも渡したいし」

「飯はどうする?」

「お昼は食べたし、簡単なものでいいからルームサービス?」

「不味くは無いしな。じゃ行こうか」


 そう、いつだって渚はその身体を僕に預けようとする。おっさんになったとは言え、まだまだ現役である僕にとって、渚の身体はまだまだ味わい尽くしていない最上のご馳走だ。もちろん、女性の身体を「ご馳走」と書くことに多少の躊躇いはあるが、他に適当な表現が無い。「女神の恩寵」と書けばいいのだろうか?

 渚は美しいだけではない。様々な表情を見せるし、反応もその時々で違う。「美人は3日で飽きる」と言うのは嘘だ。


ホテルの部屋に入ると、渚はキスを要求してきてそのあとはスルリとテーブルの椅子に座った。


「洋ちゃん、お座り」

完全に犬扱いであるが、犬になりたいからそれでいい。

「ん」

渚はあの大きなバッグから小さな箱を取り出した。

「お誕生日、おめでとう」

赤いリボンで飾られたほぼ立方体の小箱。

「開けていいか?」

「開けて、開けてみて」


 僕は丁寧に包装をほどいていく。普段はかなり雑に引き破るタチだが、渚からのプレゼントは特別。小箱の中に更に箱があり、その箱にはCASIOと書かれていた。あ、時計だ。こんな高価な物など要らないのに・・・いや嬉しい。箱の中にあったのは文字盤が赤い、アナログ表示アリのGショックだった。

「お、欲しかったヤツだ」

「色々考えたんだけどさぁ、洋ちゃん、仕事の時に使う時計が無いって言ってたから」

「そうそう、持ってる時計が若干ブランドものっぽくて、工場で使うには向かない」

「あの時計も似合ってるけど、コレは仕事用に使って」

「毎日使うよ、嬉しいよ」

「私も時計を貰った時、凄く嬉しかったの」


 渚はベッドに移動して腰かけた。そしてすしざんまいだ。珍しく、僕が匂いを嗅ぐことを許してくれた。勿論、ありがたく匂いを嗅がせてもらった。まだ暖かいので汗ばんでいた。変態と呼ばれてもいい、渚の匂いを永久保存したい。

 シャワータイムを挟んで部屋を少し暗くした。バスローブをするりと脱ぐ渚。鮮やかなほどに裸体を見せつけてくる。そう言えば、渚は最初から「裸を見せることに躊躇いは無い」女の子さんだった。


その身体がまた素晴らしいので、僕は夢中になるのだ。


 デートコースは「大いなるマンネリ」と化したが、コレは二人だけの秘め事、プライベートなレッスンだった。僕は渚が大好きで、渚も僕が大好きで。

 まだまだお互いを知ることが大事だった。こうやって会えた日は、お互いをどん欲に貪っていた。もう少し、あと少し知りたい。だから喧嘩はしない。不思議なくらい喧嘩をしなかった。多少イラっとさせたりされたりはするが、お互いにスルーするようにしていた。


 10月はこの日に会っただけ。渚が休みを木曜日から金曜日に移したのも原因だったが、10月末には僕もシフトを金曜日休みに変更した。渚はどうにも木金の連休を取る体制になっていたようだ。お互いのプライベートには踏み込まないのが僕たちのルールだった。社会生活をしていれば、いくら恋人が優先とは言え、外せない用事もあるのだ。いつか一緒になったなら、こんなことも「昔話になる」ことは分かっていた。


 11月、渚は更に僕に近づいた。距離の話ではなく、精神的に更に近くなった。もうお互いの存在がちょっと重なるような感覚。そこにいるのが当たり前の関係。会えない日は仕方ないだろう。会えば近付き続ける。僕も渚を受け入れ続ける。僕は女性を「理解しよう」とは思わない。ソレはあまりに傲慢が過ぎる。理解する必要はない、ただ受け入れればいい。


渚は11月に入ることから「弱くなった」ように思えた。元気なのだがどこか儚さを感じることがあった。そんな儚い渚をベッドで討伐するのも楽しかった。別に儚くなんか無い、いつだって小悪魔で僕を翻弄して・・・最後は「鬼だ・・・」と呟くだけ。


迎える12月は恋人たちのシーズン。


そう、聖なる「性の夜」と言えるクリスマスイブがある。今年はかなり贅沢と言うか余裕のあるイブを過ごせる。10年かけて返済していた病院の医療費の借金が終わったのだ。コレで余裕が出来た。渚の免許費用も出せるだろう。渚は僕が免許費用を出すと申し出たら、最初は断っていたが「いいの?」の一言で受け入れてくれた。地方都市で免許が無いのは致命的だ。市街に近ければどうとでもなるが、駅から離れれば車は必須になる。僕のように徒歩通勤が出来て、警備員のアルバイトも駅までバスで出れば現場までアクセス出来ると言うのは恵まれている方なのだ。僕の街では「自動車通勤」が当たり前だった。大きなショッピングセンターに行くにも車は必要だった。

 寒い時期はあまり渚を連れ回せない。デートはマンネリとなって、暑い日寒い日はラブホ直行だが、そろそろペースを落とさないと、長い人生で飽きてしまいそうだ。「抱くことに飽きる」と言うのは確実にある。コレはお互い様だが、男の場合はこかんのロビンフッドのモチベーションこそ大事である。快楽のためのセックスから「愛情表現としてのセックス」に移行する日が必ずやって来る。僕と渚の場合は、遥か10年は先のことだろうと思うけれど。

 12月の上旬のデートではクリスマスの話はしなかった。その日、渚は「激しいのは駄目」と僕に釘を刺した。普段なら糠に釘なのだが、じっくりと渚を抱くことも大事だと思った。激しくない代わり、濃厚だった。


身体を離そうとすると、しがみついてくる。トイレぐらいは行かせてくれたが、脚を絡めて離してくれない。このままでは四の地固めにまで発展しそうだが、それはそれで「ご褒美」だろう。


改札前で別れる。メールするね、メールしてねの言葉は変わらない。


 だが、2週間の間、渚からのメールは無かった。当然だが直電も無い。僕も「用事が無ければメールをしない」タチなので、ゆっくりと2週間が過ぎて行った。しかし、そろそろイブの予定を決めなければと思った20日過ぎ。街は嫌でもクリスマスムードを煽って来る。あまり街には出ない方だが、警備員の仕事帰りに繁華街を通ることはある。デート資金に余裕はあっても、この手のことには疎いので、高級なホテルの予約とかレストランの予約はしていない。僕のアパートで過ごせばソレでいいはずだ。もうどこも予約でいっぱいだし。今年は何を作って食べようかとか、クリスマスプレゼントは何にしようかとか考える毎日だった。予定を決めようと、渚にメールを送った。


「イブはどうする?」


素っ気ないメールだが、いつだってそうだから。そして返信が来ない。イブまであと4日しかない。ようやく返信があったのは翌日の夕方だった。


「ネトゲで忙しい」


何考えてんだこのアマ。コレには流石に怒りが湧いた。月に2回も会えれば上等の二人にとって、クリスマスイブは「外せない日」なのだ。ソレをたった7文字で却下してきた。


この時、僕は初めて渚を手から離した。

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