Long Night Moon.ー2

会えない間、何度もメールをやり取りした。直電は1回だけ。12月と言えば恋人たちの性の饗宴「クリスマスイブ」がある。最初のうちから渚が「泊りでもいいよ。やだ、泊りがいい」と主張した。姫様は我がままである。しかし、12月中旬に入ってからホテルを探しても、空きがあるわけが無いのだ。僕は「いつものラブホテル」のメール会員なので、ラブホでも予約出来ないことは無いのだが、既に完全に埋まっていたし、「俺、ラブホの会員だから」なんて言えば、渚から冷たい目で眺められながら「誰と来てたの?」と尋問されること必至だ。となると、あちこちのラブホで「空き室待ち」をするしかない。アレはかなり精神が参る。普段でも週末は「空き室待ち」が出るが、あの待合室の重い空気は耐えがたい・・・


 それに「クリスマスイブに休む」と言うことも難しい。考えることは皆一緒なので、この日は人手が足りなくなりがちで、逆に言えば出勤すれば会社に貸しが出来る。渚と話し合った結果、お互いにクリスマスイブは仕事することに決まった。何のことは無い、お互いに昼間は働いて、夜になったら会おうと言う話だ。幸い、僕は毎年クリスマスイブと当日は休むことにしていた。理由は単純で、「何となく予定なしと思われるのが悔しいから」で、毎年クリスマスは朝からパチンコを打って、勝ったら風俗負けたら、昼間から安い焼酎を煽っていた。不動の7連敗中である。

 しかし、ただでさえラブホに空き室は無いのに、夜になってから会って空き室を探すのは無理だろう。渚の勤務先からこの街まで1時間はかかる。割と短時間で着くのは、その病院が大きな路線の駅前にあるからだ。つまり、待ち合わせは早くとも19:00ぐらいになり、いつものペースでデートをすると2時間しかない。行き場を失っている僕たちは、寒空の下で悲しげな眼をして公園のベンチに座り、1つの肉まんを分け合いながら「美味しいね、美味しいね」と・・・


「洋ちゃんちでいいじゃん」

渚は「お泊り」の線を譲る気はないようだ。だったらもっと早く予定を決めるべきだと思うのだけれど。

「私、25日に休みいれたし」

先に予定を作っているんですね、何が何でも「お泊り」なんですね?

「洋ちゃんも休みな?」

 僕は頭の中にカレンダーを思い浮かべた。24日は警備員の日勤。工場夜勤は休むとして、25日は警備員の仕事を休みにして、夜勤も面倒臭いから休もう。

「分かった。でも本当に俺んちでいいの?」

「洋ちゃんちならいいよ、狭くても」

「狭くて悪かったな」(笑)

「エッチなベッドがあるから狭いの」

「シングルベッドに買い替えていいのか?」

「あ、ソレは駄目。私が寝る場所が無い」


 忙しいことになった。部屋を片付けて掃除して、「隠さないと駄目なモノ」もあるし、バスルームも丁寧に掃除したい。僕の部屋に泊まると言うことは、女の子さんが必要としそうな細々としたものも買っておきたい。あと、イブの食事だ。どこかで食べてからこの部屋に来ると言うわけではなさそうだ。「それなりの店」は予約でいっぱいだし。ならば僕が腕を振るって食事をふるまうしかないだろう。渚は言っていた、「私、料理下手だよ」と。

 毎年毎年、あのチキンのCMの歌に打ちのめされていたが、今年は大丈夫だろう。これから先、大丈夫なのだろう。アメリカでは「ターキー=七面鳥」らしいが、美味いものではない。日本では「チキン」になっている。そしてクリスマスは「予約制」なので買えない。スーパーで地鶏の美味しいところを買ってきてローストチキンにして、あとは何となく作ればいいだろう。


僕を悩ませている問題は「プレゼント」だ。


「クリスマスプレゼント」ほど悩ましいモノは無い。ソレを言ったら誕生日プレゼントも悩ましいが、誕生日プレゼントは「欲しいモノ」を直接聴けばいい。しかし、クリスマスプレゼントは何だか「特別」な気がした。本当の「気持ち」を乗せたものを贈りたいと思った。

 そしてこのクリスマスが最大のチャンスな気もした。渚の誕生日は4月10日なので、まだまだ先だ。プレゼントを贈るチャンスはクリスマスしかない。誕生日まで待つ気はない「特別なプレゼント」がある。


「指輪」だ。


この歳になって女性に「指輪を贈る」のは相当な覚悟が必要だった。万が一「ドン引き」されたらと思うと、本当に心臓がキュっとする。僕と渚の「関係」はあやふやなままだ。お互いに「恋人」と認識はしているが確証は無い。そもそも、あんな美しい人が僕と一緒にいることがおかしいのだ。しかし、クリスマスイブに「泊りに来る」と言うのだから、脈無しでもないだろう。僕の心はちょっとしたこと、例えば渚の不機嫌そうな顔を思い出したり、千切れんばかりに振るしっぽを思い出したりでかなり浮き沈みが激しかった。僕は不安だったのだ。

 しかし、徐々にイブに向けて準備が進み、そろそろプレゼントを買いに行かないとならない日になった。僕は夜勤の無い日に、警備の仕事帰りに宝飾店を覗いていた。スラム街のはずれにある楽器店のショーケース。そこにあるトランペットのように、指輪とかブローチは輝いて見えた。僕はすっかり黒人少年の気持ちになって、とぼとぼと帰宅することを2回繰り返した。

 意を決して店に飛び込んだ。比較的安い「ペアのリング」を探すのだ。どう考えても場違いな「警備員の制服を着たおっさん」で、どうかすれば他の客から「あの人、万引きしました」とか言われそうだ。

 店員さんは誰も僕に声をかけない。金も無さそうな警備員だし。仕方ないのでこちらからショーケースの向こうにいる店員さんに声をかけた。我が街ではそこそこに名の通った店である。店員さんまで高そうだ。つまり美人である。しかも、ヒールを履いているので、身長が僕よりも高い。渚には敵わないだろうが「美人」だ。身長が高いのもマイナスポイントだなと考えながら相談してみた。


「クリスマスプレゼントにペアのリングをと思って探してるんですけど・・・」語尾は消え入りそうだ。どう考えても場違いだものな、僕は。

 美人で身長が高く、肩の下まで伸ばした髪は茶色で、ネイルは控えめのフレンチネイルで、早い話が童貞ヲタクを笑顔で切り刻みそうな店員さんは「クスッ・・・」と笑って「お仕事帰りですか?」と訊いてきた。笑顔が可愛かった。俺の嫁になれ。

「はい。で、こ・・・恋人にそろそろ指輪を贈りたいと思いまして・・・」あ、恋人と言ってしまった。俺の嫁候補に向かって。

「このような感じでいかがでしょう?」と言いながらいくつか候補を並べてくれた。予算予算・・・割と安い品が並んだ。きっと金の無さそうな警備員向けのラインナップが決まっているのだろう。早い話が「安過ぎる」品ばかり。渚の指を飾るには役者不足だ。

「ペアで7~8万円ぐらいだとどうなりますか?」どうかすれば安い結婚指輪だって買えそうな予算らしい。

「女性向けにダイヤモンドを使ったモノもあります。ここだけの話、男性用は安いんですよ」そうだろうなと思った。男の指輪なんてモノは「売約済み」のタグみたいなモノだ。いくつかまた候補を出してもらった。今度は漆黒のスェードのトレイにうやうやしく置かれた。安い指輪はケースのままショーケースのガラスの上に置かれたのに。かなり差別的な扱いであるが、僕が店員だったら同じことをしただろう。


ちょっとデザインに意匠を凝らしたリングが目についた。価格も手頃だった。予算内だ。

「コレはサイズとかどうなりますか?」

僕はこの手の商品に疎いのだ。過去に「婚約指輪」を買ったことはあるが、あの時は婚約者も同伴だった。僕は年甲斐もなく、リングを指に嵌めてはいるが、買ったのはハードオフである。銀製品が安いのでたまにショーケースを見ることがあるのだ。

 「サイズですか。お相手のサイズは分かりますか?」

「知らないんです。小さい子なんで指もかなり細いんですが」

「細いと言えば、大体は男性の小指と同じか、やや太いくらいなんですが」

「そのくらいなんですか?」

「お買い上げ後、半年以内でしたら無料でサイズ直しも出来ます」

「ではちょっと大きめの方がいいんですか?」

「そうですね。サイズを詰めるだけですから短期間でお渡し出来ます」


 自分のサイズ(薬指だ)に合わせて買った。渚に渡す方は「9号」らしい。これでも大きいだろうと言う、あの親切で綺麗で可愛い店員さんの見立てだ。自分だけ先に指に嵌めるのも「舞い上がっているようで恥ずかしい」ので、ペアリング用のケースに入れてもらった。1500円もした。

コレでクリスマスイブの準備は終わった。あとは2日後の待ち合わせまで「じりじりと待機」するだけだ。


あ、クリスマスケーキ・・・


本当にギリギリまで動かないのが僕なのだ。そう言えばケーキも必要だよな。アパートに帰って着替えた。今からでもケーキを買うことは可能だろうか?渚に相談しようと思い、スマホを取り出したらメール着信があった。

「ケーキ、チョコのでいい?」

良く出来た子である。コレでケンタッキー・フライド・チキンまで予約していれば完璧だ。

「チョコのヤツ、大好き」

僕は可愛いのだ、こうやって姫様に従って生きていくのだ。

「料理、洋ちゃんがするんだよね?」


姫様・・・


 待ち合わせはいつもと違う駅にした。街中で遊んだりラブホがあったりで、普段はこの街で一番大きな駅にしていたが、今日は僕のアパートに直行なので、1つ離れたローカル駅で待ち合わせ。改札前なら間違えようがない小さな駅だ。クリスマスイブの夜なので、それなりに混雑はしていたが、大きな駅ではきっと人ごみに流されて変わってしまう女の子さんを、遠くから叱る人が出るくらいの混雑だろう。あ、ユーミンは嫌いだ。

 待ち合わせ時間の15分前に着いた。この駅は僕のアパートの最寄り駅なので時間調整がしやすい。渚も知っている駅だ。渚はこの街の元住民で、最寄り駅は大きな駅の方だが。用が無ければ降りる駅でも無いだろうと思い、時間前に余裕をもって到着したのだ。遠目に見えるオレンジ色の電光掲示板を見ると、次の到着電車が5分後だった。コレに乗っていなければ、渚は初の「待ち合わせに遅刻」となるので、僕はひそかに楽しみにした。遅刻したら「お仕置き」である。それはもう、とってもえっちなお仕置きをしたいと思います。

当然のように渚はその電車に乗ってきた。コンチクショーである。


「あーもう、ムカつくっ!」

何やら姫様はお怒りである。上司にセクハラでもされたのだろうか?

「電車の中でさー、カップルがキスしたんだよ?」

クリスマスイブくらい赦してやれば?

渚は僕の真下からジっと見上げてくる。この瞳に射すくめられると、いつだってドキリとする。渚が視線で僕を誘導する。バッグを見ろ?

その一瞬でキスされた。もうやだこの子可愛い。

「行こっか」

姫様はクールである。


 ケーキの入った箱入りの袋を持って、僕が先を歩く。階段を降りればすぐにタクシー乗り場だ。こんな特別な日に、路線バスに揺られるのは美しくない。そう言うのは高校生カップルに任せておけばいい。


「タクシー、乗るの?」

「家まで千円ちょいだから、バス代と大して変わらん」

「そっかー、ここが最寄り駅だもんね」

「そ。寒いしタクシーの方がいいだろ」

「うん」

 先に渚をタクシーに押し込んで行く先を告げた。大まかな目印を伝えて、あとは道案内すればいい。

タクシーに乗り込んでしばらく無言。

僕は緊張していた。1時間後には指輪を渡すのだ。コレで緊張しない男は確実に妻帯者だ。

「でもさー」

「なんでしょう?」

「電車の中でキスとかする、普通?」

「改札前は」

「アレはついカッとなって・・・」


 姫様は我がままだ。

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