ー衝ー「Grain Moon.」(2)

「叶わぬ恋は身を焦がす」だけ。僕はその日の夜から更に懊悩することになった。ソレまではどこかで「渚は美しいアンドロイド」みたいな妄想で、無理やり「女性である」と言う認識を遠ざけていたのだ。しかし、あの「匂い」を知ってしまった以上、もう僕の中でも「渚は女の子さん」と言う認識に変わってしまった。どう考えても僕と渚が「恋仲」になる未来が見えてこない。それでも僕は渚が好きだと言う思いはある。つまりは「憧れ」だったのだ。憧れの女性とデート出来るだけで満足するべきだった。たとえ、帰宅後に「思い出しオナニー」をすることになっても。この夜のオナニーは捗った。あの匂いだけでどんぶり飯2杯はイケそうだ。そのぐらい渚の匂いは「凶悪」だったのだ。


僕はデート後は必ず、帰宅したころ合いを見計らってメールしていた。「家に着いた?」程度の短いメール。分かれるのは夕方なので、帰宅する頃には夜になる。ソレは心配になるだろう。この確認メールは、渚の前に付き合った女性にもしていたし、ちょっと飲んで夜になったら、タクシーに押し込んで数千円を運転手に渡していた。地元の子なので、タクシー代もそんなにかからないから出来たことだ。渚をタクシーに押し込んだら1万円を超えるだろう。何せ、渚の住む街まで電車で1時間半はかかるのだ。

 僕は渚の匂いを吸い込んだことを気取られないように、その日のデートを終えた。いつも通り、駅まで送って「メールするね、メールしてね」の挨拶をして別れた。


「もう着いた?」とメールしてみた。確認メールには反応が速い。「うん。今からごはん」だそうだ。いつも通りの短いメールのやり取りが数通。それでいいのだ。


 そして次回のデートは割とすぐにやって来た。渚が積極的で、日取りは8月の下旬。給料日前だが、お金のかかるデートでは無いので問題は無い。やっぱり「写真デートがいい」と言う。勿論、街中希望なのだが、僕はある計画を思いついた。僕にとって「大事な場所」に渚を連れて行こう。何の変哲もない河川敷のグラウンド&公園だが、僕の人生の中心地だ。屋上からその川を望める産院で産まれ、川沿いの民家で幼少期を過ごした。しばらくはその川から離れた場所で暮らしたが、高校時代はまたその川の河川敷で、初めて出来たカノジョのポートレートを撮りまくった。人生の節目節目で、その川は僕を呼ぶようだ。


その河川敷で「告白しよう」なんて思いは露ほども無い。ただ、渚にも知っておいて欲しかったのだ。「この川は僕にとって特別な場所なんだよ」、と。


我が街の子供たちは、幼い頃に必ず言われる。「お前は〇〇川で拾ったんだよ」と。僕の場合は更に細かいシチュエーションが設定されていた。僕はミカン箱(当時のミカン箱は木製)に乗って流されてきて、〇〇橋の下で「みーみーと鳴いているところ」を、まだ若かった母が拾ってくれたらしい。ちょっとこの川の上流を訪ね歩いて「本当のお母さん」を探してやろうかと思った。小学校4年生ぐらいになると宿題で「生い立ちの記」を書きなさいと、担任が重々しく告げる。「お父さんお母さんに話を聞くこと」とまで言われ、その結果が、川で拾った、ミカン箱の中で鳴いていたと言う談話である。クラスの中に5人は「川で拾われた」と言うショックで、若干「人間嫌いになる」宿題であった。毎年、このようなトラウマを生みつける宿題を、新4年生が与えられるのだ。あの川は埋めてもいいかも知れない。


あ、ダメ。僕の想い出はあの川に絡むモノが多いのだから。


 その日、僕の目は鷹のように鋭かった。フォトデートだけれど、渚は僕の半歩後ろを歩く。最近、この「半歩」が縮んできてるように思えるのだ。そう、渚がちょっと腕を伸ばせば僕の腕に届く距離。その気配を感じるたびに僕は脚をちょっと早めた。接近注意なのだ。またあの匂いを嗅がされたら、僕のオナニーが捗り過ぎるだろう。そして「鷹の目」で被写体を探し出し、渚に「ほら、アレを撮ってみ?」と言う。渚は「うん!」と言って、その被写体に向かって歩いていく。こうやって見てるだけなら本当に美しくも可愛い生き物なのだ。そして、あーでもないこーでもないと撮影で試行錯誤して、僕を呼んで「洋二さんならどうするの?」と訊いてくる。僕は「作例になるように」慎重に撮影する。あとで、お茶でも飲みながら作例を見せ合うのがいつものお約束なのだ。


「今日はちょっとコースを変えようか?」と提案した。あの河川敷まで徒歩圏内なのだ。渚は素直に付いてきた。男はオオカミなので、迂闊に付いていっては駄目だと教えるべきだろうか?ともかく、その河川敷に行くには大きな橋を渡る。僕がミカン箱で流れ着いた橋で、しかも架け替えもせずに長く使われている。補強工事は何度も行われているが、歩道には「第二次世界大戦でのアメリカ軍機の機銃掃射の弾痕」が残っている。由緒正しい橋なのだ。

「あ、アレはなに?」と渚が質問してきた。橋からすぐの場所に「城のような建物」があるのだ。僕は普通に「アレは結婚式場だよ」と教えた。

「行きたいっ!ね!見に行こうよっ!」と、渚が食い付いた。きっと「結婚式場マニア」なのだろう。橋を挟んで反対側にあるので、僕は渚と並んで信号が変わるのを待っていた。


渚が腕を僕の腕に絡めようとしてきた。

僕はさりげなくスルリと腕を抜いた。


 後ろからクトゥルフ神の気配を僅かに感じたが、気のせいだ。式場に着くと、当然中には入れないので「外観写真」を撮り始めた。「結婚式場マニア」って、熱心なんだなと思った。この時も、渚はそっと僕の写真を撮っていた。敢えて無視したが。僕も数枚だけ撮影したが、乗り気では無かったので「つまらない写真」になった。結婚式場の外観を撮るだけで15分はかけただろうか?やっと渚が満足したので、また横断歩道を渡って、今度は僕の行きたい場所に向かった。普段なら住宅街を抜けて河川敷に行くのだが、コレは「思い出があるから通る道」で、渚を連れて行くなら思い出を辿る必要もない。僕と渚はまだまだ暑い午後の日差しを全身に浴びながら、川沿いの土手を歩いた。住宅街を抜けるコースではないので、ほんの300mほどだ。


遊具もあまりない公園。ベンチがあって、ブランコと砂場があるだけ。河川敷のグラウンドはかなり広く、サッカーぐらいは余裕で出来そうだ。


「ここ?」

渚が僕に問いかける。

「ここはさ、俺の思い出がいっぱい詰まっているんだ。ここに渚を連れてきたかった」

あらやだ、僕ってばカッコいい。

「ふーん。何も無いね」と辛辣だが、渚は笑顔だ。僕は敢えてベンチには座らず、土手から降りたところにある自販機で冷たい飲み物を買った。缶コーヒーとお茶を買った。そのまま土手を上がって、急斜面を見下ろす場所に座る。渚も隣に座った。無言で河川敷を眺める。子供たちが数人遊んでいた。

「落ち着く場所ね」と渚が言った。僕は「ああ」とだけ答えた。また渚が近い。僕は左手を伸ばしてちょっと移動した。渚が近寄ってくる。また移動したらクトゥルフ神が降臨しそうなので、逃げなかったが「口呼吸」に変更した。何せ、渚は本日も長袖姿で、しかも胸元が結構開いたTシャツだ。絶対に誘惑される。僕が勝手に誘惑される。

「写真、見せてみ?」と渚の撮った写真の話にする。渚はカメラをいじくって、今日撮影した写真を見せてくれた。多少は「被写体に寄り添った写真」になってきたようだ。渚はまた僕の胸元に顔を突っ込んで、上目遣い。この距離で初めの一歩並みのリバーブローを放たれたら死ぬなと思った。そして、リバーブローよりも殺傷力が高い美しい顔。ある意味、ガゼルパンチである。

「ちょっと編集すればいい写真になるよ、コレ」と、何枚かリストアップしてあげた。渚は嬉しそうだが、今度は違う写真を見せてきた。渚が追っかけをしている「インディーズバンド」の写真だった。「上手く撮れないの」と言う。確かに見せられた数枚こそきちんと撮れているが、多くはブレていたり真っ暗だったりだった。渚の持ってるレンズでは限界だろう。そして今度は「渚が一人で撮り歩いた作品」とか、友達の写真を見せてくれた。僕の頭の中は、見せられたインディーズバンドのボーカルでいっぱいだった。「コイツが渚の本命か?」と思うと、血が湧きたつようだ。渚は僕に見せる写真を選ぶ時、何枚、いや10数枚を飛ばしているようだ。そりゃ誰だって「見せたくない写真」はあるだろう・・・いやちょっと待って。この子のカメラには何枚の写真が収納されているのだろう。


「ねえ渚。カードの容量はいくつなの?」

「ん?店員さんに勧められて8GB」

「それはまた・・・大きいな」

「そうなの?」

「俺のカードは2GBだよ、コレで十分だ」

「でも、撮れる枚数が減るじゃん」

「撮ったらパソコンに読み込んで、カードはクリアするんだよ」

「えーっ!写真が消えたら困るよー」

渚は8GBのカードだけでやり繰りしていた。カードがいっぱいになると、失敗作を1枚1枚消して容量を確保していたのだ。それじゃ8GBでも足りないだろう。

「私、パソコン無いし」

「今度、パソコンを見に行こうか?」

「ホントっ?いつ行く?いつ?」

「来月でいいかな?」

「うん」


渚はニッコニコであった。買ってやるとは言ってないぞ、渚。


帰りはまたぶらぶらと散歩しながらスナップ撮影。街中と違って「被写体」が少ない。自然とただ歩くだけになる。そして、右半歩後ろの渚が接近してくる。僕は逃げる。


「洋二さんは恋人がいる?」

「いねーよ。いたら渚と遊んだりしないわ」

「ふーん」

と言いながらまた距離を詰めてくる。僕は半歩下がる。

「今日はこれからどうする?」

「どうしよっか?私、明日も休みだし」

「飲みに行く?」

と、僕は勇気を振り絞って誘ってみた。アルコールが入れば、多少は僕も饒舌になれるかもしれない。

「あの、私お酒は一滴も飲めませんけど?」

「え?前にブログにアップした写真にウィスキーのボトルが写ってたじゃん」

「アレは前のお男が置いていったモノです」


僕は嫉妬に狂いそうになった。前の男が「置いていった」と言うことは、同棲していたか、渚の部屋を訪れる男がいて、その男はこの美しい人を独占していたと言うことだ。いやしかし、これほどの美人だ。過去に男がいないなんて話の方が信じられない。信じられないが、やはり嫉妬心は抑えきれない。僕は無言になった。渚も「前の男」と言うのが失言だったかもと思ったようだ。

 もう「ごっこ遊び」は終わりだ。僕は渚と「友達ごっこ」をして「カメラマンごっこ」をしていたようなものだ。「恋人ごっこ」になりかけると、僕は逃げていた。「グラスハート」と呼ばれるぐらい、僕は慎重なのだ。傷つくのはこっちだけかも知れない。そして渚は「ごっこ遊び」をしていない。生々しい「前の男」なんて言葉まで出てくるのだ。本音で僕と接しているように思えた。行きつく先は橋の下のミカン箱。


無言になったとは言え、最低限の言葉は交わした。渚から見れば「不機嫌そう」に見えただろう。僕の頭の中はかなり混乱していた。だからあんな失敗をしたのだ。


 僕の住む街には「ラブホテル街」がある。「ホテル街」と言っても、いつだったかテレビで見た渋谷のように林立しているわけではない。半径100mほどの地域にラブホテルが4軒あるだけだが、ここはカップルが肩を寄せ合うような地域だ。当然、僕には下心が無いので、少しはあるので。それはもう結構あるので、意識的にこの地域を歩くのを避けていた。渚はこの街に住んでいたこともあると言うので、当然だがあのラブホテル街を知らないわけがない。頭の中が混乱していた僕はうっかりその地域に踏み込んでしまった。いつも使うラブホテルの「お休憩のメニュー表」を見て我に返った。僕はこの地域から抜け出す最短距離を脳内検索し始めた。この瞬間、渚が腕を組んできた。僕はまたするりと腕を抜いた。


「洋二さん、なんで逃げるの?」

「なにが?」

僕はとぼける。

「洋二さんは、私のことが好きじゃない?」

この質問は答えにくい。まだそんな関係ではないと思っていたのだ。「ごっこ遊び」だったはずなのだ。

「どうして逃げるんですか?」

渚は問い詰めるように言った。僕はやっとのことで答えることが出来た。

「自信が無いんだ・・・」

「なんの?」

「渚と付き合える自信が無い」


渚は無言だ。ここでこの関係が終わっても不思議はない。それほどまでに重苦しい雰囲気になった。すぐ横にはラブホテルの休憩の価格表がある。


「したら自信持てる?」


僕は慌てた。渚の「したら自信持てる?」とはどういう意味だろうか?先ず、僕の名字は安元であって、設楽ではないので「設楽、自信持てる?」と言う意味ではない。しかし「主語」が無いので、見当違いな受け取り方をしたら、それこそ愛想を尽かされるだろう。コレは多分、「私とセックスをしたら、自信が持てますか?」と言う意味に違いない。真横には「お休憩・宿泊の料金表」があるのだ。いや、ちょっと待て。42歳の冴えないおっさんに、21歳の「超」が付く美人がセックスのお誘いをするだろうか?混乱しつつも、僕の下半身は正解を導きだした。


「うん」


渚は僕の返事を聞くと、スタスタとホテルの入り口前まで歩いて行って、僕を振り返った。そう、ここから先は男の僕がリードする場面だ。どこの世界に、「女に連れられてホテルに入る男」がいると言うのだ。いるけど。


このホテルはサービスが良く、休憩は3時間ある。しかも今の時間帯は「イブニングサービス」で、プラス1時間が付く。軽食も付く。僕は無人のフロントのタッチパネルを見て、高過ぎず、かと言って貧相でもない部屋を探した。ちょうど、広めの6千円の部屋が空いていた。何だかベッドに天蓋の付いている部屋等もあって、このベッドに座って微笑む渚を見たい気もしたが、ソレが次回以降にしよう。




そう、この流れは「僕と渚が親密になっていく」と言う流れだ。また抱ける日が来る。ソレが例え半年後でも。




タッチパネル下から自動的に出てくるルームキーを手にして、僕は渚をエレベーターまで導いた。


「よく来るの?」


僕の無駄の無い振る舞いに、渚が反応した。


「いや、2回目かな?」


「嘘つき・・・」


エレベーターの中で渚は僕の前に立って、「トスン・・・」と身体を預けてきた。うわっ、この子、可愛い。しかもいい匂いまでする。部屋は4階だった。エレベーターが4階に着く直前、僕の前に立つ渚が下から振り向き仰いできた。もう僕は完全に渚の虜だ。緊張もMAXレベルである。「二人の初めて」である。僕は紳士であろうと心に決めた。あんなことやこんなことはしないで、飽くまでも「ジェントルマン」に徹しようと誓った。部屋のドアまでちょっと歩いた。このホテルは結構広いのだ。渚はいつもと違い、僕の半歩前を歩く。「意思を持って歩く」と言った雰囲気ではなく、僕が後ろにいることで安心感を得ているような、そんな雰囲気だった。


「部屋の番号は?」と渚が訊いてくる。


「405」僕は短く答える。


渚はすぐに部屋番号が金色で描かれたドアを探し出した。僕は厳かに鍵を差し込むと、捻った。優しい時間の始まりだ。


部屋に入ると、渚はあの大きなバッグとカメラを椅子に置いた。椅子、一人がけのソファのような豪奢な椅子。僕はテーブルを挟んで反対側にある椅子にカメラを置いて、渚に問いかけた。


「シャワーは渚が先に浴びるでしょ?」


渚は無言でひらりと身体を返すとシャワールームに向かった。ここで僕の緊張感は若干だがほぐれた。もう大丈夫だ。次に僕がシャワーを浴びて、軽くピロートークなんぞをしてから、僕の股間のヒンデンブルク号を渚に挿入すればいい。いや、その前に前戯だな。最近、リアルに素人女性と交渉を持ったことが無いので、過去の記憶を掘り起こす。素人では無い女性が相手なら、何もしないで寝そべっていればいいので、「営み」の仕方を忘れかけている。冷蔵庫を開けて冷えたウーロン茶の缶を取り出す。ざっとチェックしたが、他には缶コーヒーが2本。緑茶の缶と、コーラにビール。僕は酒が入ると下半身の元気が無くなるタチなので、ビールは論外だ。ベッドの枕元にある電話機を取り上げれば、簡単にルームサービスを頼めることも知っている。しかも今の時間帯なら軽食は無料だ。こんなことをしているだけで10分は経っていただろう。カチャリと音がして、渚が浴室から出てきた。備え付けのバスローブを羽織っていた。僕はどちらかと言うと「エッチ巻き」(バスタオルを巻いただけの姿)が好きなのだが、バスローブを羽織った渚はさらに魅力的に見えた。1枚下は裸体なのだ。


「洋二さんも浴びたら?」


勿論である。汗臭い身体で渚を抱くなんて、そんな無作法が許されるはずがない。


「冷蔵庫、飲み物が結構入ってるよ」


そう僕は言い残して・・・渚は素早い動きで冷蔵庫に飛びついた。やはり暑かったのだろう。喉が渇いていたようだ。


浴室には温かい湿気がこもっていた。熱めのシャワーを浴びたらしく、無警戒に蛇口を捻ったら熱い湯でびっくりした。少し迷ったが、頭から洗い始めた。渚と会う日は朝にシャワーを浴びてくるが、夏のデートでは頭皮も匂うだろう。そう言えば渚は髪は洗っていなかったようだ。コレは「ご褒美」だろう。渚の匂いを嗅げると言うだけで、僕の股間のヒンデンブルク号はフル勃起していた。丁寧に上半身から洗う。ペニスはとことん丁寧に洗った。仮性ではないので、臭いと言うことは無いだろうが、相手が渚である。丁寧に丁寧を重ねることは悪いことでは無い。


足の指の間まで洗った。歯も磨いた。爪は短く切り揃えてある。「童貞は爪を見ればわかる」と言うのは「至言」である。


納得のいくまで身を清めたら、次はどのような姿でベッドへ向かうかである。渚のようにバスローブを羽織るか、それとも腰タオルでベッドに向かうかである。絶対に全裸で「フハハハハハッ!」と笑いながら襲い掛かっては駄目だ。絶対に、だ。


結局、背中に拭き残しの水滴があることに気づいて、バスローブを羽織った。さて、これから桶狭間の戦いだ。僕は脱衣所のドアを開ける。


部屋は薄暗く調整されていた。いや、初めてにしては明るめだろう。新聞が読めそうな程度の暗さである。僕はテーブルに置いたウーロン茶の缶を手に持ってベッドに近づいた。渚は掛け布団に下半身を入れて座っていた。エアコンがよく効いている。やや薄めの掛け布団を被っていても暑くなく、動き回っても(主に腰)暑くない。このホテルは本当に値段の割に上質なのである。


僕がベッドに近づくと、渚はするりと、本当に「するり」と言った感じでバスローブを脱いだ。いきなりである。いきなり裸体を見せられてしまった。




そして僕は知った。渚が真夏でも長袖姿である理由を。




右腕に牡丹のタトゥーがあった。いや、タトゥーなんて軽いものでは無かった。見事な「和彫り」のフルカラーで二の腕をぐるりと牡丹が描かれていた。僕は子供の頃からこの手の「彫り物」を見てきた。養父がヤクザまがいの男で、その同僚たちの背中には見事な鯉や龍や弁天様が鎮座していたものだ。渚ほどの美しい人なら、何があっても不思議は無いだろう。僕は妙な納得をして、ごく普通に隣に滑り込んだ。僕が「必ず」女性を右側にするのは、左利きだから。何かあっても女性を護る手が利き腕であった方がいいし、ベッドの上ではおっぱいを触りやすい。しかしその前に、渚が自然に瞼を閉じた。コレは「キスをしなさい」と言う命令だ。僕はキスをして、下半身をまさぐろうとして我に返った。先ずはおっぱいからだろう。渚は「痩せ型」だと思っていたが、違った。丸みを帯びてはいるがDカップはあるだろう。張りのあるおっぱいだった。仰向けに寝ても流れてぺったんこにならない。そのおっぱいを優しく揉みながら、匂いを嗅いだ。ボディソープの匂いがした。キスをしてはおっぱいを触り、やっと下半身に手を伸ばした。ヌルっとしていた。僕は枕元のティッシュボックスの横にあるコンドーム(標準2個)に手を伸ばした。


「そんなの要らないよ」


え・・・と・・・生でいいってことですか?


「大丈夫なの?」


「私、ピル使ってるから大丈夫」


そうならば話は早い。僕は女性にピルの服用を強制したりはしないが、やはり「生がいい派」なのだ。それに、相手が渚なら妊娠させても責任を取れる。いや、妊娠させたいなとは思わなかったが、避妊してるなら・・・


最初のセックスは布団の中で優しくゆっくりと。コレが僕のポリシーだ。起こしている左半身をゆっくりと渚の上に乗せていく。


渚の準備は万端だ。ヌルっとしていた。






勃たない。




この期に及んでなんと言うことだろうっ!僕の股間のさんぱち式歩兵銃は突撃体制を取れないのだ。理由は簡単で、ベッドの上でこれならセックスなんて言う場合、間近、それも20~30㎝の近さであの美しい顔があるのだ。薄化粧こそしているが、完全無欠の素肌である。僕は緊張のあまり、下半身が「降参!降参!」と万歳してしまったのだ。


「あ、アレ・・・おかしいな・・・」


渚は黙って僕を見ている。その顔がまた美しいので緊張感をいや増すのだ。


「ちょっと待って・・・緊張し過ぎて・・・その」


こんな場合、「もうっ!仕方ないわね」と言われ、休憩時間をピロートークで費やすことになる。それでもいいけど。


しかし渚は違う反応を見せた。罵倒されたわけではない。


布団をいきなり跳ねのけると、「仰向けになって」と言う。僕は愚者そのものと言った体で仰向けになった。上半身を起こした渚は、萎んだままの僕の股間のリビングストン将軍を数秒見詰めてから、パクっと。


うわぁぁぁぁぁぁぁ!ちょっと待ってちょっと待ってっ!貴女みたいな美しい人がそんなことしたら駄目ですっ!勃たない僕が悪いんですっ!


ちょっとやりにくいのか、渚は僕の脚の間に移動した。これはもう風俗プレイのような感じであるが、プライベートである。事後に「3万円ね」とでも言われない限りは。


「ちょ、ちょっと待って、渚」


「えっ?嫌?」


「嫌じゃないけど、気持ちいいけど」


「・・・・・・」


渚は瞳を閉じてせっせと僕を奮い立たせようとしていた。コレで勃たなきゃ男を廃業した方がいいだろう。文字通り、「フル勃起」まで数分だった。そのまま数分のサービスの後、渚はまた仰向けになって「おいで」と言った。


そう、渚は”おいで”と言ったのだ。




何この小悪魔っぽい生き物。




僕は覆いかぶさって、手を添えながら挿入を試みた。やや下に向けないと「方向性が合わない」とか、どこぞの音楽バンドのようになるからね。押し当てて挿入を試みるが入らない。アレ?穴を間違ってはいないよな?ここだよなと思いつつ押し当て続けた。徐々に埋没していくが、押し返してくる。そしてある境界を越えたところでヌルンっと入った。中は熱かった。エアコンを浴びていたせいかもしれないが、それでも「温かい」と言うよりは熱いと言えるほどだった。ライト兄弟が初飛行したのは1903年のことで、飛距離は36mだった。西暦だけで言っても、人類が空を飛ぶまで1900年以上かかったのだ。しかし、その後のたった66年後には、30万km先の月面にまで人類は「飛んで行った」のだ。この飛行技術の発展の速さには目を見張るものがあるが、この発展の早さよりも早く、僕は渚の中で果てた。正直、5分と持たなかった。いや、いいとこ3分だろう。しばらくの間、僕は渚の上で余韻を味わいながら息を荒くしていたが、そんな僕を渚は抱きしめてくれた。


「ねぇ?」


渚が僕に問いかける。


「ん?」


「悪い子だと思った?」


タトゥーのことだろう。


「思わないよ、渚は渚のままだ」


やっとの思いで(名残惜しい・・・)身体を離して仰向けになった。渚はしばらく横たわっていたが、中から流れ出した僕の精液をティッシュで受けながら「多いよ・・・」と言った。ごめん、いつもはこんなに多くないんだ。渚の魅力で全部一気に出たみたい・・・まだ元気だ。


「元気ねー」


渚はそう言うと僕に手招きした。またもや愚者のように渚に近づいた。渚の胸に顔を埋める体勢で股間を触られた。もう臨戦態勢である。


2回戦目は余裕があった。いや、渚を抱いていると言う「夢のような椿事」に半ば呆然、半ば陶然としながらではあるが、時間的な余裕があった。「音速の貴公子」ではないのだ。僕はじっくりと渚の感触を確かめていた。そんなことをしたものだから、2回目も10分以内であった。




「お腹すいたー」と渚が言うので、ルームサービスで軽食を頼むことにした。通常の700円メニューが無料になる。渚は焼きそば、僕はサンドイッチを頼んだ。あっけらかんとしたものだ。初めてのセックスをしたあとに、「お腹すいたー」と言う子は初めてだ。妙な雰囲気になるよりはいいし、コレはかなり良い感触である。次回からは緊張しないで済みそうだ。


時間はたっぷりあった。休憩でも4時間あるのだ。入ったのがまだ明るいうちで、2時間経過している。あと2時間ある。


「泊る?」


と渚が言うが、生憎と翌日は警備員の仕事がある。家に帰らなければ制服が無い。


「ごめん、明日は仕事なんだ」


「じゃ、仕方ないわね。電車が遅くならないうちに帰る」








このあと、もう1回した。

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