十五夜、月は衝(望)

ようやく歩けるようになり、僕は5月から職場に復帰した。ちょうどGWに入り、人手が足りなくなる時期だ。警備会社の方も、僕の体調を考慮してくれた。GW中はいわゆる「道路工事」も少ないので、この期間は主に駐車場の交通誘導が増える。GW中に穴が空いた現場に入り、そこの常勤になれるように配慮してくれたのだ。前任者には悪いとは思うが、休むとこうなることもあると言う事例である。きっと前任者はGW休暇から帰ってきたら「自分の現場が無い」と嘆くだろうと思う。


歩けるようになったと言っても不安は残る。第一、まだ「走ること」が出来ないのだ。忙しい現場では無理だろう。この身体では「警備業」は荷が重いのだが、贅沢は言っていられない。病気で倒れてから職場復帰まで半年かかったのだ。籍を置いておいた警備会社に復帰出来ただけ幸運だろう。収入が無い間は、写真の仕事で使っていた高価なレンズやカメラを売って凌いでいた。「プロ用の機材」ばかりだったので、かなりの値段で売れた。レンズ1本10万円とか、ボディも7~8万円の値段が付いた。ボディは3台使っていたので、これだけで20万円になる。ただ、どんどん減っていく機材を見るのは寂しかった。もう写真の仕事は出来ない・・・

警備の仕事だけでは生活が厳しい。病院への返済だけで7万円あるのだ。最低でも毎月20万円は稼がないと食うにも困る。

写真の仕事をしている時に、写真だけでは食えないので「アルバイト」もしていた。警備の仕事もしていたが、写真の仕事が優先だったので、あまり稼げなかった。警備業は2週間前に「シフト希望」を出すルールで、僕は2週間先の「確実に写真の仕事が無い日」にだけシフトを入れていたのだ。しかも日勤限定であった。僕はそれまでの経験から「人間に夜型は無い」と言う考えに至ったので、夜に働くなんて論外だった。そこまで写真の仕事を優先しても、年収は2桁である。当然のように毎月ピーピーの生活で、カメラを質に入れて「交通費を捻出する」こともあった。今では警備業が本業で、コレで稼ぎが足りないなら、何か探さないといけないのだが、写真の仕事をしている時期に、本当に「アルバイト」感覚で勤めていた会社があった。中学校時代の同級生が経営する会社である。僕は地方都市に住み、地元から出たことが無い。この地方では、割と「家業を継いだ」と言う同級生が結構いた。その中学時代の同級生も親の世代から継いだ工場があり、この工場の夜勤はその「社長」自らがやっていた。入退院を繰り返していた頃、僕は公平な視点から見れば「無職」に近かった。警備業や雀荘のアルバイトをしながらどうにか支払いをしていた。ある日、その中学時代の友人とバッタリ出くわして、「お、安元。今何やってんだ?」と問われた。平日の日中である。無職アワーであろう。仕方なく「写真で食ってる。いや仕事が無くて困ってるんだけどな」と答えたら、「暇ならうちに来るか?夜勤に空きがあるんだ」「いや、俺は夜勤はやらない主義でな」「いいんだ、俺が夜勤が出来ない日に代わりに入ってくれれば。工場知ってるべ?あれの夜間保守だから、寝てればいい、何かあったら警報が鳴るから」と物騒なことを言う。しかし、僕は高校時代に同業他社の工場でアルバイトをしていて、夜間は任されていた程度の知識はあった。「俺はさ、お前には恩返しをしないと気が済まんから」僕は罠にかかった鶴を助けた覚えはないし、亀を助けた記憶も無い。「お前は憶えていないって言うが、いじめから助けてくれたのはお前だけだったんだ」済まん、ソレは本当に記憶が無いんだ。社長が言うには、「軍鶏」と言う陰湿ないじめが流行っていた時、僕が必ず助けに入っていたそうだ。「軍鶏」と言ういじめは陰湿で、「いじめられっ子」2人をトイレに連れ込んで「喧嘩をさせる」と言うモノだった。陰湿だし、そんな「軍鶏」を囃し立てる不良たちの声が癇に障って何度も乱入した記憶ならある。そうか・・・ゴン、お前だったのか・・・


当時のいじめられっ子が今ではこのあたりでは「名士」で、積極的に当時の「いじめっ子」を雇用していた。こんな地方都市で「いじめ」をしていた半端者は職に就くこともままならんこともある。社長はそんないじめっ子を雇用しては「使い潰す」男だった。因果応報とはこのことだろう。


 工場の夜勤は社長が言う通りで気楽だった。2時間に1回ほど工場内を巡回すればいいだけで、あとは本当に寝ていればいい。正直、警報ブザーが鳴らなければ巡回の必要も無いのだ。工場の製造機械は電源を落とすと再起動に時間がかかるので、日勤がギリギリまで残業をしたあとの「保守」さえしていればいい。どうかすると、ソファで眠り込んでいると、「おい、朝だぞ」と社長に起こされる(苦笑)コレで一晩1万円貰えたのだ。僕の日給は社長の財布から出ていたので、ここで雇用されていたわけではない。それでも毎月確実に5万円は入っていたのでありがたかった。


寝ていればいい夜勤。なんと素晴らしいアルバイトだろう。僕は悪魔も目を逸らすような邪な考えで社長に電話してみることにした。「あ、後藤ー?安元だけどさ。時間取れるか?」僕の方が偉そうだが、相手は社長である。「なんだよ、どーせまた仕事が無いっつーんだろ。今夜、工場に来いよ」話が早い。

 夜に来いと言われたけれど、時間指定は無かった。今までのアルバイト経験から、21:00には日勤が帰るので、21:00ちょっと前に工場に出向いた。工場で社長が待っていたのだが、何故か割と綺麗な女性もいた。勝手に(ああそうか。これからお楽しみするんだろうな)と思ったので、女性を極力見ないようにした。じろじろ見られたら女性だって不愉快だろう。


「まだ紹介してなかったからな、ちょうどいいから紹介しとくわ。妻だ」


妻だと?スナックの女性とかではなくて「妻」と言ったな、この元いじめられっ子。女性は「こんばんは」と頭を下げる。いや、この顔には見覚えがある気がする・・・同郷と言うことで、地元の子と結婚する男も多いが、何かが違っている気がする。30秒は考えただろうか。急激に思い出が蘇る。「あーっ!ヨシミか!」「安元さん、記憶力いいよね」社長の奥様を呼び捨てにしたには理由がある。この「ヨシミ」は、1個下のレディース(今で言うヤンキー)で、かなり可愛かった。僕と同学年のツッパリ(死語)に大人気の子だったのだ。当然、僕もこの子は可愛いと思ったが、当時は「サキちゃん」と言う女の子に夢中だったので、ちょっかいは出していない。びっくり仰天とはこのことである。僕は率直に訊いてみた。「財産目当てか?」と。

 馴れ初めは20代後半だったそうだ。一応は真面目に高校を卒業した「ヨシミ」だったが、社会に上手く適応出来ず、地元でぶらぶらしていた。そこで社長と出会い、お付き合いが始まったと。「コレのどこが良かったの?」(コレ=社長)「優しいし、昔はいい男だったんよ?」そうか、イケメンで優しい上に金持ちだもんな。「お金は関係ないから」だそうだ。

「そう言うわけでな。うちのはあまり社内でも知らないモンがいる。何かあったらフォローしてくれ」そう言われましても、僕は一人夜勤で、朝8:00前には社長と交代するから、社員と会うことすら稀ですが?

「非常勤としてうちに来い。今何やってる?警備か。じゃ、月に10日間だけ夜勤してくれ。1日1万円のままだがいいだろ?警備は社員か?そうか、アルバイトか。だったら源泉はうちに出せばいい。今の収入にきっちり手取りで月に10万乗せてやる」ごん・・・おまえ・・・


警備員のアルバイトにとって、この「源泉徴収」は頭の痛い問題で。同じ社に数年勤めても「年末調整は無い」のだ。毎月1割ちょいを天引きされる。きちんと申告すれば還ってくるのだが、どこの社も本気で嫌がる。アルバイト風情にそこまで手間をかけられないと言う理由で。ただ、自分で申告するなら徴収票は出すと言う警備会社が多かった。出さなければ違法だし。社長が言ったのは「うちで丸抱えするから安心しろ」と言う意味だ。ざっくり計算だが、多分僕の「給与額」は警備業で15万円ほど、社長のところで額面は同じく15万円を超えるかどうかだったはずだ。そこから月収で10万円。これでいくつ掛け持ちしても税金等の心配は消えた。あの腹立たしい「住民税」もだ。国保と住民税の納付はアルバイトだった僕にとって脅威でしかなかった。若い頃は正規雇用で社保、税金関係は全部経理に丸投げ出来た。それでいて、年末には年末調整で数万円が還ってくるのだ。その会社を辞めた後は、ほとんどの期間を国保でやり過ごし、税金は源泉徴収されるに任せていた。コレを書いている今では社保になり、税金は相変わらず払っていると言う自覚は無い。全部会社任せで、年末調整を受け取ることも無いからだ。過分な給料を貰っているのだから文句は無い。


年末が近づくと、書類に記名押印するだけだ。


 かなり安直に仕事が決まった。「寝ていても勤まる夜勤」なのだから、日中は普通に警備員をすることが出来る。季節は春から初夏になっていた。現場に出て仕事をする警備員の収入が激減する季節。雨でも仕事がある「駐車場警備」に人員が殺到する。僕は身体の事情で「常勤」にななりきれていないから、施設警備のクチは無い。社としては、多くのアルバイトを養ってる都合で、「誰にでも出来る現場」を交代で回すしかない。つまり、それまでは毎日のように入っていた駐車場と言う現場を3人ぐらいで回すようになった。休憩の交代要員としての仕事をクライアントに了承させるのは営業さんの仕事だ。この時期にアルバイトに辞められると困ると言う社の腹積もりもあっただろう。意外と、夏休みの学生さんは警備員をしたがらない。もっと稼ぎの良いアルバイトに精を出すのだろう。収入は平月の7割以下に落ち込んだが、社長の計らいでどうにか生活は出来た。工場の夜勤が無ければ本当に詰んでいたかも知れない。僕は社長に忠義を尽くすと決めた。人生の「悪い時期に力を貸してくれる友」こそ本当の友だ。人生の良い時期には、誰もが寄ってくる。しかし、落ち目になると離れていくものだ。僕はこのことについて何の感慨も持たない。当たり前だからだ。だが、「悪い時期」に手を差し伸べてくれることは「当たり前ではない」とは思う。そう、社長には恩がある、忠実な家臣として身を粉にして・・・

「安元ー」

「なんすか、社長?」

「社長と呼ぶな、気持ち悪い」

「で、なんだよ、デト」(デトは社長の中学時代のあだ名)

「3Pがしたい」

「アナタハナニヲイッテイルノデスカ?」

「3Pぐらい分かるだろ?紹介してくれ」

「お前に紹介する女がいたら、俺がとっくに食ってるわっ!」

「違うよ。お前、風俗とか詳しいだろ。出来る店は無いか?」

「そんなもん、検索すりゃいいじゃないか」

「お前の知ってる店なら安全だろうし・・・」

「仕方ねーなぁ。ホレ、この店。あとは女の子と直接交渉だぞ」

「女の子と交渉は得意じゃないんだよ・・・」

「この店のメニューに3Pがあるだろ。コレで好みの子を呼んで、あとはチップで語れ」

「チップ?」

「金ですよ、世の中金なんです」

「こ、好みの子って・・・?」

「あーがっつくな、がっつくな。俺の会員IDを貸してやる。顔写真を閲覧出来る」

「やっぱ安元だよなぁ。あ、コレ取っとけ」と1万円をくれた。


コレで、社長が指名した女の子を把握出来た。会員としてログインしたままで「ネット指名」していましたから。コレで社長の弱みを握れた(忠義とは?)


 稼ぎに不安があったので、僕は3回線あった携帯のうち、2回線を解約した。もう使わないような回線の維持で1万数千円を払ってる余裕が無かったからだ。僕には友達もいない。みんな離れて行ったし、家族だって怪しいものだ。血の繋がりがあるのは実弟ぐらいで、他の親戚筋はその実弟が「兄貴は精神病だから」とシャットアウトしてしまったし。実弟は結婚して家庭を持ち、自営業で持ち家。年に数回はこちらから挨拶に行く程度だ。つまり、僕が携帯を解約しても困る人はいない。病院関係と仕事で使う回線が1つあればいい。残したのは履歴の無い「某バンク」の携帯だった。維持費が一番安かったからと言うのがその理由だ。今でも某バンクのままだ。理由はいずれ分かると思う。通話履歴はカスタマーサービスぐらいのもので、あとは迷惑メッセージがいくつか履歴に残ってるだけ。なので僕は安心しきっていた。誰もこの番号を知らないのだ。病院から電話が来るわけがなく、仕事はこちらから電話するだけである。


ソレは6月の中頃だったと思う。仕事も無く、僕はベッドに寝転んでコミックスを読んでいた。ネットで遊ぶのもいいが、割と気疲れするものだ。枕元には一応、携帯を置いてある。鳴るわけも無いのだが、何かあれば電話することもあるだろう。その青い二つ折りの携帯電話がいきなり鳴った。社長かなと思い、携帯を取り上げると、背面と言うのだろうか?表面かな?折りたたんだ状態でも表示される液晶に名前が・・・


「渚」

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