第5話 運命(後編)

 それから数日後、僕はまたもや重山課長の小言を聞くハメとなった。自動演奏ピアノを納入したキッズレストランから、「矢島さんは何も説明してくれない」とクレームが来たのだった。

「おまえは何年この仕事をやってるんだ、納入調律はただ楽器の調整をすればいいってもんじゃない。しかも自動演奏ピアノのような機械モノはな」

「一応説明はしたはずなんですけど……」

「バカやろう、説明書を暗記して喋ればいいってもんじゃないんだよ! お客様がその瞬間から使えるようになって、初めて説明したと言えるんだ!」

 僕にはその感覚がよくわからなかった。僕は人からあれこれ教わるより、自分で色々やってみて使いこなしていくタイプだ。

「とにかく、もう一度キチンと説明しろと先方は言ってきている。だがおまえだけだと心配だ。店頭の宜川さんを同行させて説明してもらいなさい。宜川さんは上手だからな、おまえも彼女がやっているのを見て勉強させてもらえ」





 思わぬ形で宜川さんと一緒になる機会がおとずれてきて、僕は舞い上がった。

──「どうせ僕は」なんて言う人に運命は味方しない──

  あの市崎女史の言葉が脳裏をよぎる。そうだ、このチャンスを生かそう。そう思った僕は意気揚々と店のピアノ売り場へ向かった。

「よ、宜川さんっ!」

 つい声がうわずってしまう。宜川さんも少し驚いた様子だ。

「はい」


 彼女は透き通るような声で朗らかに返事した。


「重山課長から聞いてるかもしれませんが、キッズレストランで自動演奏ピアノの説明をして欲しいと言われているんですが、宜川さん、一緒に来て下さいますか?」


 すると彼女はニッコリ笑顔を浮かべて言った。


「はい、いいですよ。喜んで」 


🚙


 こうして僕は宜川さんと一緒にキッズレストランを訪問した。重山課長の言うとおり、彼女の説明は完璧だった。


「今日はありがとう、助かりました」

「矢島さん、もし私の説明でよかったらいつでも同行しますから、声かけてくださいね」


 なんて優しいんだろう。すっかり有頂天になった僕は、その勢いに後押しされた。

「あの、今日のお礼と言ってはなんですが、会社の近くにアプフェルシュトゥルーデルの美味しい店があるんですけど、今度ごちそうさせていただけませんか?」

 ところどころ声を裏返しながら、僕は懸命に誘った。返事を待つまでの時間が長く感じる。

「嬉しいです。今度の金曜日、仕事が終わってからでもいいですか?」

「ははははい、もちろん!」

 やった。生まれて初めて女性を誘ってオーケーもらった。天にも昇る心地とはこのことだ。目をつぶれば周りには天使が飛んでその羽根が舞っている。


📖


 僕は金曜日に備えて色々勉強した。ネットで「初めてのデート」で検索して見たり、その手の雑誌を買って熟読したり。


 ところがその金曜日、因果なことに急な仕事が入ってしまった。重山課長に他の人ではダメかと食らいついたが、どうしても僕でないといけないらしい。僕は泣く泣く宣川さんにメッセージを送った。

[すみません、急に仕事が入っていけなくなりました。またお誘いしてもいいですか?]

 するとすぐに返事が来た。

[了解です。残念ですが、またの機会に]

 文面からは彼女の気持ちは読み取れない。もうダメかも。僕は肩を落とした。


📞


 初デートを犠牲にしてまで行った仕事は、どう考えても僕以外の人間でもよかった。僕は丑の刻まいりで重山課長を呪ってやろうかと思った……とその時、携帯が鳴った。宣川さんからだ。

「ももももしもし」

「お仕事お疲れさまです。もうよろしいですか?」

「はい、もう終わりました!」

「よかったです。それで……あの、スイーツもいいんですけど、お夕食をご一緒でもよろしいでしょうか? 仕事の後だとおなかもすきますし、実は、前から行きたいと思っていたお店があるんです」

 もうダメかと思ったら、スイーツから食事へのグレードアップ! ああ、神様は僕を見捨てていなかった……。


「ぜぜぜ是非そこに行きましょう。何と言うお店ですか?」


「レ・シュヴー・ド・ランというカジュアルフレンチのお店なんですけど、テレビで取り上げられて有名になったんです。矢島さん、フレンチはお好きですか?」


 一瞬、フレンチはマナーがうるさくて大丈夫かなと思ったが、そこは必死で勉強して乗り越えようと決意した。


「も、もちろん大好きです! そのお店是非行きましょう!」






 その日から僕はフレンチのマナーを猛勉た。夕食は食べるものが何であれ、ナイフとフォークをきちんと数本並べ、フレンチ風に食べた。面倒極まりないが、これも運命がかかってのことだ。


🚉


 そして約束の日、僕は宜川さんと川渡中央駅で午後6時45分に待ち合わせした。僕は少し早めの6時半に待ち合わせ場所に到着した。


 待っている間、心臓が飛び出しそうだった。僕があの宜川祥子さんとデートするなんて、また告白して、あわよくばOKなんかされちゃったりして……

そんなことが本当に起こるのか? 全く信じられない。

 その時、誰かが駅ピアノを弾いている音が聞こえた。曲はショパンの「別れの曲」……やめてくれ、別れだなんて縁起でもない……。


 ちょうどその演奏が終わるタイミングで宜川祥子さんが現れた。


 クラシカルなベージュのワンピース。シンプルだが、それが余計に彼女の美しさを引き立てていた。






 う、美しい。素敵すぎる。






「ごめんなさい、大分待ちました?」

 宜川さんが申し訳なさそうに少しお辞儀した。その時、ほのかに甘い香りが漂ってきた。


「いいえ全然。今来たばっかりです」

 僕は言いながらネットの記事を思い出した。


『まず、相手の服を褒めろ』


 だけどそれが口から出て来なかった。 彼女の素敵さは、軽く口にするには余りにもリアルであり過ぎた。






 僕たち二人は、ぎこちなく距離を保ちながら一緒に店まで歩いた。まもなく店のロゴが目に入った。





 Les Cheveux de Lin (レ・シュヴー・ド・ラン)


🍷


 店はビルの半地下にあり、広い階段を降りると、そこにガラス張りの入り口があった。階段を降りるタイミングに合わせてスタッフがドアを開けて待っていた。


「いらっしゃいませ。ご予約の矢島様ですね。只今お席にご案内いたします」


 案内された席に座り、改めて真正面から宜川さんを見た。


 透き通った雪のように白い肌。宝石のように深く澄んだ瞳。



 なんて可愛いんだ。なんて美しいんだろう。こんなに美しいものが世の中にあるだろうか。結構舞い上がって来たぞ。


「……大丈夫ですか?」


 宜川さんが素で心配する。


「ははははい、大丈夫です」


 となりのテーブルではおばちゃんたちが6人座っていた。時々興味深そうな目でこちらをチラチラ見ているのが気になった。






 ギャルソンがメニューを持ってきた。

「……何にしましょうか」


 僕は緊張しながら言った。それに気づかぬような振る舞いで宜川さんが言った。

「このシェフのおまかせコースどうですか?」


「はい、それにしましょう」


 このおまかせコースは正直助かる。一応事前に一般的なフレンチメニューは調べてあったが、いざメニューを見るとわけがわからなかった。


 後で知った話だが、この店のディレクトールは誰でも美味しい食事を楽しんで欲しいという方針で、フレンチが初めての人でも緊張したり恥ずかしい思いをしたりしないよう、色々工夫を凝らしているらしい。

 それでもアペリティフは何にいたしますか? と聞かれてオドオドしたり、フィッシュナイフで肉を切ったりと、ヒヤヒヤする場面は多々あった。



 だがそれ以上に僕の頭を悩ませたのは、この場にふさわしい話題を提供することだった。フレンチではダンマリすることはマナー違反らしい。僕の頭の中では「話題、話題」とそればかりが駆け巡る。

 ピアノ科出身の彼女との共通の話題と言えば、ピアノ。それでは、とばかりに僕はピアノについてあらゆることをしゃべくりまくった。ところが、勢いがつきすぎて、彼女が置いてけぼりになっているのに僕は気がつかなかった。やがて話の切れ目に彼女がこう言った。

「矢島さんて、ピアノに恋してらっしゃるのね……」

 宜川さんはそう言って少し寂しそうな表情をした。


「いや、その、なんて言うか……」


 僕が慌てたそぶりを見せると宜川さんはクスッと笑った。






「矢島さんて、面白いですね。私が新人の頃、みんな言ってたんですよ。矢島さんは変わった人だって。私は変わってるとまでは思いませんでしたが、何だか我が道を行ってらっしゃるマイペースな方だなと思っていました」


「そうだったんですか」

「はい、でも最近、矢島さんのこと少しずつ知るようになってきて、ああこの方、とてもピアノを愛しておられるんだなって、そういうのいいなって思うようになったんです」 



 僕は嬉しくなった。


 そして心の声が叫ぶ。


──今思いを伝えよう──




「宜川さん」


「……はい」


「僕は宜川さんのことが好きです」

「……」


「僕とお付き合いして下さい」






 しばらく沈黙が流れる。






「矢島さん……」


「はい」


「嬉しいです」

「……」

「私も同じ気持ちです。こちらこそ、よろしくお願いします」






 となりのテーブルのおばちゃんたちがこちらを見てニヤニヤしていた。 僕たち二人は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。



💕


 駅までの帰り道、僕たちはぎこちなく手を繋いだ。壊さないように、離れないように力加減を考えて。

 駅に着くと、誰も弾いていないピアノが目に入った。

「矢島さん、一緒に連弾しませんか?」

「ええ、いいですね」

 僕はピアノの前の椅子に座った。その横に宜川さんが……と思ったら、彼女は僕の膝の上に座った。気づいた彼女は慌てて飛び退き、

「ごめんなさい! 私、ワインで酔ってしまったみたい……」

「いやいや、大丈夫ですよ」

 と僕は言ったが、


……これって何かの前触れ?


第5話 終わり

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